第18話

 ライラは日が暮れてしまう前に、宿にしている定食屋に戻ってきた。

 店内に足を踏み入れたライラは、カウンターに座るトゥールの姿に気がついた。


「おお、なんだその格好は! 見違えたなあ」


 トゥールはライラの姿を見て豪快に笑った。

 そんなトゥールの横には小さな女の子がいる。どことなくトゥールに似ている女の子を見て、ライラはすぐに彼の娘だと気がついた。


「あら、今日は素敵なレディーをお連れなのね」


 ライラは女の子に近付くと、目の前で跪いてそっと手を差し出した。


「お初にお目にかかりますお姫さま。私はライラと申します」


 女の子は目の前に差し出されたライラの手に戸惑っている。彼女は助けを求めるように隣にいるトゥールを見上げた。ライラはそれをあえて無視して女の子の手を取る。


「可愛らしいお嬢さん。あなたのお名前を知る栄誉をこの私にお与えくださいませんか?」


 ライラが女の子の顔を覗き込むようにして微笑むと、彼女は頬を赤く染めて手を引っ込めた。女の子はトゥールの身体にしがみつくと、恥ずかしそうにしながら彼の背に隠れてしまう。


「おいこら。うちの娘をたぶらかすんじゃねえよ」


「まあ、こんな素敵なレディーを連れているあなたがいけないのよ」


 ライラは立ち上がると、トゥールの隣の椅子に座った。カウンターに肘をついて身体を前に乗り出すと、トゥールにしがみつく女の子を見つめる。

 女の子はトゥールの身体に顔を埋めてこちらを見てくれない。だが、トゥールに肩を揺すられておずおずと口を開いた。


「あ、あの……。わ、私はアヤ、です」


「まあ、素敵なお名前ね。アヤちゃんって呼んでもいいかしら?」


 ライラの問いかけに、アヤは耳まで赤く染めて無言で頷く。


「おいこらライラ! うちの姪っ子をたぶらかすんじゃないよ」


「まあルーディってば。それはたった今あなたのお兄さまにも言われたわ。さすが兄妹きょうだいね」


 ライラがうんざりした顔でぼやくと、トゥールとルーディが同時に口を開いた。


「一緒にするな」

「一緒にしないで」


 二人の言葉がきれいに重なった。すると、アヤがトゥールの身体から離れてきゃっきゃと子供らしく笑い出す。

 やっと顔を見せてくれたアヤの無邪気な姿を眺めながら、ライラはトゥールに話しかけた。


「無事にお仕事が片付いたようで安心したわ。こうして娘さんとも仲良く過ごせているようで何よりね」


「それはこっちの台詞せりふだ。昨日の今日で顔つきがまったく違う。無事に過ごせているようで何よりだ」


「そうよ。命を絶つつもりなんてこれっぽっちもないから、変なことを言いふらさないでね」


「そうらしいな。今のお前を見たらわかる。安心した!」


 そう言って歯を見せて笑うトゥールに、ライラは肩をすくめた。


「それなら良かったわ」


「おう良かったぜ! じゃあな、俺は帰るぜ」


 そう言うが否や、トゥールは立ちあがる。

 相変わらず慌ただしい人だなとライラが呆気に取られていると、トゥールはアヤの腕を引いてとっとと歩き出した。アヤはいきなり父親に腕を引かれてフラフラしながら歩いていく。

 ライラがはらはらしながら親子の姿を見ていると、店の扉が閉まる直前にアヤがこちらを振り返って声をかけてきた。


「またね、お姉ちゃん!」


「ええ、またね」


 恥じらいつつも笑顔で手を振るアヤの表情はトゥールにとてもよく似ている。

 ライラはそれを微笑ましく思いながら手を振った。


「うちの姪っ子は可愛いだろう」


 トゥールとアヤが店を出て行ったあと、ルーディはライラの目の前に夕食を並べながら話しかけてきた。


「ええ、とっても。トゥールさんったらデレデレね」


「親族一同デレデレさ。兄さんは今から嫁に行く心配ばかりしているよ」


「……親なら誰だってそうよ。可愛い我が子だもの」


「だからさ、あんまりたぶらかさないでね。兄さんがうるさいから」


「だから、してないってば!」


 ライラがルーディにそう言い返したとき、団体の客が来たので彼女はそちらに駆けつけていってしまった。


 せわしなく動き回るルーディから視線を逸らし、ライラは目の前の食事に向き合った。

 今日は久しぶりに充実した時間が過ごせたと思う。たくさん話を聞いて頭を使ったし、身体だって存分に動かした。

 ライラはスプーンを手に取り食事を口を運んだ。


「……今日は食べられそうな気がしたのだけどな」


 やはり味がしない。これでは食事が進まない。目の前の料理をどう処理すべきかと困り果ててしまう。

 ここで世話になっている間、朝食と夕食は宿代に含めてくれるとルーディは言ってくれた。ライラは行為に甘えることにしたのだが、毎回残してしまうのであれば食事の世話になるのは考え直したほうがいいかもしれない。


「無理することはない」


 目の前から突然声をかけられて、ライラは顔を上げた。厨房の中からこちらを見ているジークと視線があう。


「あ、ありがとう。でも、これからは食事を作ってもらうのは……」


「いいんだ」


 それだけ言ってジークはほとんど手を付けていない食事を下げると、代わりにホットミルクの入ったカップを置いた。

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