第16話

「おはようございます」


 ライラが中庭に出て声をかけると、マディスとイルシアはそれぞれの手を止めた。

 イルシアは軽く会釈をしてきたが、マディスはライラを睨みつけて顎をしゃくる。

 さっさとこっちにきて調整の確認をしろという意味だろう。ライラがマディスの元へ行くと、彼はぶっきらぼうに弓を手渡してきた。


「言われた通りに軽くしておいたぞ」


 マディスは弓を手にしたライラをじっと見つめながら腕を組む。

 さっさと試せと言われているのだと思ったライラは、的に視線を向けると即座に矢を番えて弦を引いた。

 ライラが放った矢は真っすぐ的に向かって飛び、真ん中に突き刺さった。


「わあ、すごい! ど真ん中だ」


「……へえ、軽すぎてちゃんと矢が飛ぶのかと思っていたけど、大丈夫なものなんだな」

 

 ライラのそばで見ていたファルが、両手を握り合わせて明るい声を上げた。

 鍛練の手を止めてこちらの様子をうかがっていたイルシアも、感心したようにつぶやきながら矢の刺さった的を見つめている。


「もちろん重い方が早く遠くに飛ぶわ。……だけど、そこまでの筋力が私にはないから。んー、こんなものかしら?」


「なんでだよ、ちゃんと飛んでるじゃん。今ので駄目なのかよ?」


「……うん。えっと、すぐに感覚が取り戻せるとは思っていないけどね……」


 ライラは淡々とイルシアに答えながら、弓に視線を落とす。弓束を握っている手を開いたり閉じたりしながら、握りの確認を念入りに行う。

 イルシアはそんなライラを不思議そうに眺めている。そこへ、マディスが渋い顔をしながらイルシアに向かって声をかけた。


「おいイル。これだけ引きの軽い弓で、今の矢勢と的のど真ん中を射抜く正確性がある奴はそうはいねえからな。勘違いすんなよ」


「ああ、やっぱそうなのか! それってこいつの腕が良いってことだよな?」


 イルシアは目を見開いてぱちくりさせながら、マディスを振り返って嬉々とした声を上げる。マディスはイルシアの問いに黙ったまま頷いた。


「へえ、元冒険者ってのは本当だったんだな!」


 ライラの耳に届くイルシアの声が、昨日から聞いていたものとはあきらかに調子が違う。

 ライラはイルシアのまとう空気に違和感を覚えて、彼の様子を確認しようと弓から顔を上げた。彼の声の調子は明るく弾んでいるのだが、なぜかとても嫌な予感がする。


「昨日は妙に小奇麗な格好をしていたし、今にも倒れそうなくらい青白い顔をしているしさ。試験を受けるなんて絶対に冷やかしだと思っていたのに!」


 ライラの視界に入ってきたイルシアは、年相応の少年らしい好奇心に満ちた顔をしている。

 そんなイルシアにライラは困惑する。あまりに邪気のない純粋な笑顔に、なぜか言葉では言い表せないほどの不安がこみあげてくる。


「すまない!」


 ライラの感じている不安を吹き飛ばしてしまう勢いで、イルシアが頭を下げて謝罪をしてきた。

 ライラは突然のイルシアの行動に拍子抜けしてしまう。


「…………しかたないわ。冒険者とは思えない格好をしていたのは私だもの。イルシア君が謝ることはないわ」


 イルシアが心底申し訳なさそうにしているので、ライラはいつものような愛想笑いはせずに、真面目な顔をする。深呼吸をしてから姿勢を正すと、イルシアに向かって手を差し出した。


「あらためまして、ライラと申します。この度、冒険者登録試験を受験させて頂きますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしますね。……先輩?」


「いや、ご指導って言われても……。おっさんが実力を認めるような奴に俺が教えられることなんて何もねえと思うけど」

 

 イルシアはライラに握手を求められているのだと気が付くと、恥ずかしそうに視線を泳がせてうろたえだした。

 ライラはそんなイルシアのもう一つの少年らしさに自然と微笑みながら、彼の手を無理やり取ってかたく握る。

 そこへ、ファルがぱたぱたと足音を立てて駆け寄ってきた。次は私だと、彼女はライラへ向かって手を突き出してくる。


「イルってば遠慮することないのにー。ライラさん聞いてください! イルはとっても強いのですよ」

 

 ライラはファルともしっかりと握手を交わす。ファルは握った手をぶんぶんと上下に激しく振りながら、力を込めて話しだした。


「イルは冒険者登録試験が受験可能になる十五歳になってすぐ試験に合格にしたんです。しかも、一年も経たずにAランクに上がった実力派なのですよ!」


 ファルは胸を張って得意げな顔をした。誇らしげにイルシアについて語るファルに、ライラは温かい気持ちになる。

 だが、ファルの口から出た聞きなれない単語に、ライラは彼女の手を握ったまま首を傾げて問いかけた。


「……あのね、Aランクって何かな? それは冒険者ランクのことなの?」


「え⁉ ……それってどういうことですか?」


 問いかけられたファルは口を大きく開いてぽかんとした顔をする。ライラとファルは、互いに困惑したたまま見つめ合ってしまった。

 すると、そばにいたマディスが何かに気が付いたような顔をしてから、呆れたように声を上げる。


「まさかとは思うが、ランク制度が変更されたことを知らないとかないよな?」


 ライラはマディスの言葉を聞いて、心の中でまたかと溜息をつく。


「……もしかして冒険者組合のシステム変更の一環なのかしら?」


 ライラがうんざりとしながらマディスに問うと、彼は腰に手を当てて呆れ顔で頷いた。


「まったく知らなかったわ。これはどうしたものかしら」


「おいおい、そんなことで大丈夫か? せっかく特急で調整したってのに、それで試験に受かってくれなけりゃこっちはがっかりするぜ」


 マディスはちらりと娘のファルに視線を向ける。ファルは父親の視線に力強く頷いてから、ライラに向かって現在のランク制度についての説明をはじめた。


「現在の冒険者組合でのランクは全部で五段階あります。下からC、B、A、S、SS」


 ファルは片手を大きく上げて、指を一本ずつ立てながら得意げに話す。


「組合での依頼をこなしてポイントを貯めていくと、昇級試験を受けることができるようになります。それに合格すればランクアップします。つまり、イルは十五歳で半分までいったんです。凄いことなのです。本当に凄いですよね⁉」


 ファルが無邪気な笑顔でイルシアのことを褒めちぎる。

 イルシアは恥ずかしいらしく、どんどん頬を赤く染めていく。彼は真っ赤になってしまった顔を隠すようにそっぽを向いてから口を開いた。


「……た、たしか、前はランクの名前が金とか銀とかアダマンタイトとか……、鉱石の名前だったんだろ? それが分かりにくいとかっていうので変えたらしいぞ!」


 ライラはイルシアとファルの様子を微笑ましく見つめながら、以前のことを思い出そうとする。

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