第11話
近くに人の気配を感じて、ライラは目を覚ました。
そのまま素早く起き上がって、傍にいた人物を自分が寝ていたベッドに押し倒す。
服の中に忍ばせてあった短剣を取り出すと、ベッドに押さえつけた人物の上に馬乗りになって喉元に刀身を突き付けた。
「――っひいいいい! な、なによおお⁉」
ライラの耳に女性のか細い叫び声が聞こえた。
ライラは、はっとして目の前の人物をまじまじと見つめた。
「………………ルーディさん?」
「そ、そうよ! あなたに危害を加えるつもりはこれっぽっちもないから! そ、その物騒なものを早くしまってええ」
ルーディは怯えた視線でライラを見つめながら冷汗をかいて固まっている。
ライラはここでようやく自分がどこにいるのかを思い出した。慌てて短剣を鞘にしまうとすばやくベッドから飛び降りる。
「ご、ごめんなさい。驚かせてしまって……」
ライラはルーディに詫びながら自分の胸に手を当てて、気持ちを落ち着けようと努める。
ルーディはライラが自分から離れても身体に力が入らないらしい。ぐったりと手足を伸ばしてベッドに横たわったままだった。
「いやいや、こっちも勝手に入っちゃったのが悪いのさ。声をかけても返事がないからどうしたのかと思って」
「そ、そんなことは。ここはルーディさんのお家なのだから、自由に出入りするのは当たり前です」
「何を言っているのさ。もうこの部屋はアンタに貸すって決めたのだし、勝手に入っちゃダメでしょ」
ライラが横たわったままのルーディに手を伸ばすと、彼女はためらわずにその手をとって勢いよく上半身を起こした。
「よいっと! まあ、気を取りなおしてさ。それじゃあ行こうか」
「……へ? あの、行こうってどこへ行くのですか」
ルーディがベッドから降りて立ち上がったので、ライラは彼女から手を離そうとした。
だが、ルーディはライラの手を離してはくれず、自分の方へと強く引いた。
「客も引いたしお話しようと思ってさ。うちの旦那がおいしいお茶を用意しているから、一緒に頂きましょうよ」
ルーディが幸せそうに笑う。そんな風に笑われたら逆らえない。
ライラはまたしても流されるまま、大人しくルーディに手を引かれて一階の食堂に向かった。
「さて、あらためて自己紹介をさせてもらうね。私はルーディ!」
一階の食堂につくなり、ライラはルーディになかば無理やりカウンターの椅子に座らされた。
ルーディはライラの隣の椅子に腰かけて明るく自己紹介をはじめる。
「んで、そっちがうちの旦那のジークよ。よろしくね」
ルーディの声に合わせるように、ライラの目の前に湯気の立ったカップが置かれた。
ライラがカップから視線を上げると、厨房の中にいるジークが目で挨拶をしてきた。
その顔は無表情で何を考えているのかまったく読めない。
ライラは、この夫婦は正反対の性格をしているのだなと思った。妻のルーディはよく喋り天真爛漫な振る舞いをするが、夫のジークは寡黙で職人気質のようだ。
「よろしくお願いいたしますわ。私はライラと申します」
ライラが挨拶を返すと、ルーディは夫に出されたカップに口をつけてから話し出した。
「あのね、兄さんからはアンタが宿無しで困っているようだからしばらく泊めてやってくれ、としか言われてないの」
ルーディはそこまで話して、もう一度カップに口をつけてお茶を飲んだ。
そして、はあと大きく息をついてから続きを話し出す。
「あの部屋はずっと空き部屋で持て余しているからさ。空き部屋の掃除って案外と骨が折れるから貸すのは構わないの。だけどさ、ライラさんはどれくらいこの街にいるつもりなの?」
ルーディはトゥールそっくりの笑い方をして尋ねてきた。
さすが兄妹だなと感心しながら、ライラは小さく笑う。
「……ライラで結構ですわ」
「んじゃ、私のこともルーディでいいよ。一つ屋根の下で暮らすのに、さん付けも堅苦しいものね。あ、その丁寧な言葉遣いもできたらなしでお願い!」
ルーディの眩しい笑みに、ライラは視線を逸らしながら目の前のカップを両手で握って考える。
嫁入りしてからさんざん矯正された言葉遣いを指摘されて、ライラは困惑しながら答えた。
「……そうです、ね……。どれくらい、とは決めてはいないのだけど……」
とりあえず元夫や顔見知りの人々がいる土地から離れる。
冒険者として新たに生活をしていく基盤をつくる。
ライラはそれくらいしか考えてはいなかった。
離婚したいと常々思っていたはずなのに、その後の生活については具体的な計画を何一つ考えていなかったと思い知らされる。
本当に無駄な時間を過ごしていたなと猛省する。
「……はあ。とりあえず冒険者登録試験に受からないと何とも……」
カップを覗き込み、そこに映った自分の顔を見ながらライラは溜息をついた。
「いつまで、とはすぐにわからないな。冒険者としてきちんと依頼をこなせるようになるまで、としか今は……」
ライラが自嘲気味に笑いながらそう言うと、隣にいたルーディが手にしていたカップをカウンターの上に落とした。
ゴンと鈍い音が鳴り、カップの中に入っていたお茶がこぼれてライラの着ていた服の裾にこぼれる。
「――っぎゃあ! ごめんなさい‼」
ルーディが大きな声を上げた。
と、同時に厨房にいたジークがルーディに向かってタオルを投げて寄こしてきた。
彼女はそのタオルを見ることなく手だけを伸ばして受け取ると、慌ててライラの服の裾を拭き始める。
先ほどの昼営業の時も思っていたが、息の合った夫婦だなと二人の動きを見て感心してしまう。
だが、ライラは感心している場合ではないと、自分の服を拭くルーディの手にそっと触れてやんわりと制した。
「大変大変! 火傷はしてない? うわあ、こんな高そうな服を汚しちゃった。どうしよう……」
「火傷はしてないわ。それにこの服は処分しようと思っていたから、汚れてしまってもいいの」
「――っええええ? こんなに上等そうな服なのに、もったいない……」
ルーディがあまりにも情けない顔をしてライラを見てくる。ライラはなんとか彼女を安心させなければと、唇を尖らせて拗ねた仕草をしてみせた。
「あのね、この服ってじつはすごく動きにくいし、ずっと背筋を伸ばしていなければいけないから疲れるの。だから気にしないでね」
ライラの様子を、ルーディは申し訳なさそうに見ている。
なので、ライラが大丈夫なのだと念押しするように笑うと、信じる気になったのかぱっと服の裾から手を離した。
ルーディは頬を膨らませて少し怒ったような表情をしながら腕を組む。
「そうね。そもそもライラが冒険者登録試験に受かる、だなんて驚かすからいけないんだもん。私は悪くない!」
「あらあら。驚かせたつもりはなかったのだけど……。そんなに意外だった?」
「そりゃ驚くわよ。こっちはアナタが自殺でもするつもりでこの街に来たのかと思っていたのに」
ルーディはあっけらかんと、とんでもないことを言ってのけた。
今度はライラがルーディに驚かされる番だった。彼女の言った言葉があまりに想定外で、らしくもなく大きな声を上げてしまう。
「はい⁉ 私が自殺って、どうしてそうなるの!」
「兄さんが言っていたのよ」
「トゥールさんが? どうしてそんなことを……」
「王都から身なりの良い女が青白い顔をしながら、遠くに行きたい、と言って馬車に乗り込んできたんだって。こりゃ街の傍にある谷に身投げでもするつもりでここへ来たのじゃないかって」
ルーディにそう言われて、ライラは愕然とした。
馬車に乗っていたときから、トゥールが妙に話しかけてくるとは思っていた。だが、そんなことを心配されていたのだとは思わなかった。
「……トゥールさんってとても親切だと思ったのよね。そうか、そんなに私は情けなく見えたわけか」
「情けないというよりは、死相が漂っているように見えるわね。口を開けば溜息ばかりだし。そんな調子じゃ、どんどん幸せがあなたから逃げていくわよ」
「……あはは、おっしゃる通り。でも、死ぬつもりなんてこれっぽっちもないのだけどねえ……」
思い返せば、馬車で乗り合わせた乗客も妙にライラを構おうとしてくる者がいた。
その乗客が自らしたことかもしれない。だが、もしかしたらトゥールがライラを一人にしては駄目だと、気を利かせてそうさせたのかもしれないと今になって思う。
「遠くに行きたかったのは、誰も私を知らない土地に行きたかっただけよ」
ライラは真面目な表情をつくると真っすぐに前を向いた。
「誰も私のことを知らない街で出直したいの。だから、死ぬ気なんてさらさらない。死んでなんてやるもんですか」
「へえ、そうなの? なら良かったわ。まあ、色々と訳ありなのだろうけど、聞かないことにする」
ルーディは穏やかに笑い、肩をすくめてからゆっくりと椅子に座りなおした。
「あら、いいの? 罪を犯して逃げてきた犯罪者かもしれないわよ」
ライラがからかうように言うと、ルーディは大きく口を開けて笑った。彼女はライラの背中をばしばしと強く叩く。
「あはははは! 犯罪者がそんな目立つ格好で逃げ回るわけないわ。女が誰も知らない土地に行きたい時ってのは、だいたい恋愛絡みって相場が決まっているものでしょ」
「……ははははは。ま、まあね。そんなところ」
「もしかしてその服は男からのプレゼント? 物に罪はないとはいえ、思い出があるなら手離したくもなるかー。あはははははは!」
ライラがルーディの大らかさに苦笑いしていると、ふと厨房の中にいるジークと視線があった。彼は相変わらず無表情でこちらを見つめていた。何を考えているかいまいち掴みにくいが、雰囲気からルーディに似た優しさがにじみ出ている。
「それにしたってアンタが冒険者かあ。まあ、頑張ってよ。うちは家賃さえきちんと払ってくれればいつまででもいていいからさ!」
そう言ってげらげらと笑いながら、ルーディは部屋を使う上での注意事項をいろいろと説明してくれた。
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