このエピソードを読む
2021年12月6日 15:03
私見なのでアレですが不屈の両殿を見ると島津家の方は相当に部下の裏切りを警戒、恐れていた様子が伺えます。小早川隆景や直江兼続のように秀吉の分断策を見抜いて防ぐでもなく、伊集院は流れのままにしていた節があります。島津側からすると秀吉以降も家康など中央の干渉を恐れていて伊集院をはじめとする家臣に相当な不信感があり、しかも他の意見ではいろいろ対立する三人の殿、義久、義弘、家久がこの点だけは同じように警戒していたのが実情のように思います。伊集院側は歴史の敗者になってしまったので、島津側の意見だけで判断するのは公正ではないのですが・・・ただ、このあたりの解釈は文書だけでは判断できず、しかもこの時期の文書の多くが廃棄されているのでこうした解釈が事実に近い可能性も十分にあるかもしれませんね。
作者からの返信
郭隗の馬の骨さんご丁寧なコメントをどうもありがとうございます。本作は若書き(年齢ではありません(笑))なので、執筆時はこれで精いっぱいな感じでしたが、その後、いろいろな書物を読むと、主従関係が安定した江戸時代とはちがい、この時代はまだ家臣といっても必ずしも主君に忠誠を誓っていたわけではなく、いやと思えば鞍替えすることは珍しくなかったようですね。現代にも通じますが、力のある家臣が凡庸な主君をリスペクトできなくても、人情として仕方ないかも知れませんね。( ;∀;)
私見なのでアレですが不屈の両殿を見ると島津家の方は相当に部下の裏切りを警戒、恐れていた様子が伺えます。
小早川隆景や直江兼続のように秀吉の分断策を見抜いて防ぐでもなく、伊集院は流れのままにしていた節があります。
島津側からすると秀吉以降も家康など中央の干渉を恐れていて伊集院をはじめとする家臣に相当な不信感があり、しかも他の意見ではいろいろ対立する三人の殿、義久、義弘、家久がこの点だけは同じように警戒していたのが実情のように思います。
伊集院側は歴史の敗者になってしまったので、島津側の意見だけで判断するのは公正ではないのですが・・・
ただ、このあたりの解釈は文書だけでは判断できず、しかもこの時期の文書の多くが廃棄されているのでこうした解釈が事実に近い可能性も十分にあるかもしれませんね。
作者からの返信
郭隗の馬の骨さん
ご丁寧なコメントをどうもありがとうございます。
本作は若書き(年齢ではありません(笑))なので、執筆時はこれで精いっぱいな感じでしたが、その後、いろいろな書物を読むと、主従関係が安定した江戸時代とはちがい、この時代はまだ家臣といっても必ずしも主君に忠誠を誓っていたわけではなく、いやと思えば鞍替えすることは珍しくなかったようですね。
現代にも通じますが、力のある家臣が凡庸な主君をリスペクトできなくても、人情として仕方ないかも知れませんね。( ;∀;)