第9話



『……ここは?』


 私は気が付くと、何も無い空間に一人で立っていた。

 見渡す限り一面が白く染まり、空と地面の境界線も分からない様な空間。

 確か、昔読んだ漫画で似たような部屋について描かれていた様な……。

 ……駄目だ……何故か上手く頭が回らない。


『……ん?』


 どれくらい時間が経っただろうか。

 ぼんやりと佇む私の視界の中に強い光が生まれた。

 その光は一ヶ所に集まり、軈て人の形に変わっていく。


『……!』


 私は言葉を失った。


 長い睫毛で縁取られたくっきりとした瞳。

 すっと通った鼻梁と、瑞々しい唇。

 緩やかな波を描く髪は、まるで聖別された銀糸の様に光沢を放つ。


 およそ、美と呼ばれる概念の全てがそこに──



『にゃはにゃは!天使ちゃんどぇす!!こんばんみ!!』



 一瞬前いっしゅんまえまでは在ったと思う。


『にゃー!!失礼しちゃう!!天使ちゃんは美人さんなのに!!』


『うるさい。黙れ』


『……』


 およそ、美と呼ばれる概念の全てがそこには在った。


『にゃーーはぁーーーッッッ!?』


 どうやら、この残念な美人は本当にあの天使の様だ。


『失礼しちゃう!!本当に失礼しちゃう!!天使ちゃんは喜びの天使ちゃんなのに、怒りの天使ちゃんになっちゃいそう!!にゃはにゃは!!』


 そう言って腰に手を当て頰を膨らませる天使。確かにその容姿は“天使”と呼ぶに相応しい程美しい。


 それだけに残念だが。


『……それで此処は何処だ?私に何の用だ?』


 私はそう彼女に尋ねる。今まで声でしか話をしなかった彼女が、何故今更姿を現したのか理解出来なかったのだ。


『……にゃは、トカゲちゃん。自分がどうなったのか、覚えてないの?』


『何を言っているんだ?私は……』


 そこまで言った私の脳裏に、今までの事が一気に浮かんで来た。トカゲになった事、妹達の事、そして、あの蜘蛛との死闘についてだ。


『ッッッ!!どうなった!!あの後私はどうなった!?まさか、死んだのか!?』


 私はそう言って彼女に詰め寄る。


『大丈夫!死んでないよ!良かったね!にゃはにゃは!……やっぱり転生しても自分が可愛いんだね?』


 若干私を見下す様にそう言った天使。以前の私なら、それに苛立ちを覚え噛み付いていた事だろう。

 しかし、今の私にはそんな余裕は無かった。膝が崩れ、涙が溢れて来る。


『……良かった……あの子達を……置いて行かずに済んだ……』


『……人間って、多少は成長する奴も居るのね……』


『……何か言ったか?』


『にゃはにゃは!何も言ってないよ!!』

 

 そう言っておどける天使。何か言っていた気もするが、大した事は言って無いだろう。

 私は立ち上がると、再び彼女に尋ねた。


『それで、此処はなんだ?何故私は此処に?』


『にゃはにゃは!ここはチェスボードと神界の間みたいな場所だね!トカゲちゃんがここに来たのは、なんと御褒美の為です!!先程の戦闘と、その後のの絆に深く感銘を受けた、慈愛と豊穣の女神“エルフェフィナ”様から、“オリジンスキル”のプレゼントです!!やったね!!』


 情報量が多い。まぁ、何と無く分かったが、一つだけ聞き捨てならなかった。


って言ったけど、どういう意味だ?あの子達はどうなったんだ?』


 そこである。私一人に対してなら複数形にはならない訳だし、その後の文脈から察するに妹達が関わっているのは明らかだった。私はその事を聞かずにはいられなかったのだ。

 天使は右手の人差し指を口元に持って行き、軽く唇に当てて続ける。


『トカゲちゃんが生き残ったのには、3つ程理由があるの。何でか分かる?』


『……体内に入った毒の量が少なかった事、戦闘でのHPの消費が全く無かった事、毒耐性スキルを持っていた事の3つか?』


『概ね正解!!だけど、何で体内に入った毒の量が少なかったと思う?飛散して付いた量でも、耐性スキルを上回る致死量だったんだよ?』


『……』


 私は考える。思考を誘導しようとする輩は嫌いなのだが、私はそういう手合いを相手の土俵で倒すのは好きだった。


 しかし、が出た私は、思わず天使に詰め寄ってしまった。


『……!!妹達はどうなったッッッ!?あの子達……んだろ!?』


『にゃは!正解!流石シスコンロリトカゲ太郎!!大正解だよ!!』


 “グルーミング”だ。スモールリトルアガマの習性の一つで、体に付いた汚れやノミ等を舐めとる行動なのだ。

 巣穴で集団生活を営むスモールリトルアガマにとって、衛生管理は重要となる。ノミや病気の蔓延を防ぐために定期的に互いの体を舐め合うのだが、今回は私を心配した妹達がグルーミングを行い、私の毒を舐めとってしまったのだろう。


『ふざけてる場合か!!妹達はどうなったんだ!?私を早く戻してくれ!!』


 私は我を忘れて天使に詰め寄る。早く戻らなければならない。妹達が心配で堪らない。


『にゃは!大丈夫だよ。蜘蛛ちゃんの毒は血液に入らない限りはその毒性を発揮しないタイプの毒なの。ほら、スズメバチとかと同じでね?だから貴方の妹達は無傷だよ……良かったわね?』


 そう言われ、思わず安堵の溜息が出る。しかし、やはり悠長にはしてられない。妹達の元に帰らねば。


『……無事なのはわかった。それでもやはり早く戻してくれ。妹達を守らなければならないんだ』


『にゃはにゃは〜……。中々男前な事言う様になったわね。じゃあ、右手を出して?』


『?』


 私は言われた通り右手を出す。何をするつもりか分からないが、恐らく“御褒美”とやらだろう。

 天使は、出された私の右手を取ると、その指先にキスをした。


『なっ!?何をするっっ!?』


 咄嗟に手を引き、上擦った声でそう窘める私。

 その様子を見て、さも面白そうに天使は笑う。


『にゃはにゃは!意趣返しだよトカゲちゃん!さぁ、右手を見て?』


 言われた通り右手を見ると、先程キスをされた指先が淡く光っていた。


『……これは?』


『それは“オリジンスキル”の“真実の絆”だよ!その効果は、“真実の絆で結ばれた者と、喜びと苦しみを分かち合う”ってものなの!!やったね!!』


 ……また曖昧な表現だが、恐らく効果に関して問いただしても、まともな答えは帰って来ないだろう。


『……有り難く貰っておく。じゃあ、元の世界に帰してくれ』


『にゃは〜。なんだリアクション薄いなぁ?“オリジンスキルって何!?”とか、“効果は!?”とか言わないの?』


『どうせ効果は教えてくれないだろう。さっさと帰してくれ』


『にゃは!?正解だけど、つまんない答え!!天使ちゃん切ない!!』


『オリジンスキルって何?』


『この世界で一番最初に出現したスキルって事!エルフェフィナ様はチェスボードに興味無かったから、関連スキルも無かったの!だけど、偶々目に入った貴方達兄妹あなたたちきょうだいの絆に心を打たれて、初めて誕生したスキルなんだよ!!これは凄いね!』


 雑な振りなのに結構な情報量が返ってきた。明らかに適当に流しただけなのに。


『わかったわかった。凄いから早く帰してくれ』


『もう!分かったよ!!じゃあ、そこの魔法陣に入って!トカゲちゃんの体に魂を送還するから』


 そう言った天使が指を鳴らすと、私の後方に光り輝くサークルが発生した。これが魔方陣なのだろう。

 私は天使に別れを告げて、そちらへと向かう。


 すると──


『……トカゲちゃん!!』


『?』


 後数歩のところに来た時、天使に呼び止められた。


『……現実に於ける“進化”ってさ、どんな時に起きると思う?』


『何を言って……』


『いいから!!』


 私はその剣幕に押し黙る。ここは素直に答えておこう。


『……進化とは、大体の場合が環境への適応の為に起きる。高い位置の草を食べる為や、獲物を効率的に狩れる様になる為。後は温度変化や求愛行動なんかにも起因する』


『そう。それで正解。、その概念をベースにしてるの。勿論、全然違う場合や、特別な条件下での進化もあるから一概には言えないけどね。変化の大きな環境では、より激しく。変化の少ない環境では、より穏やかに。分かる?』


 それだけ言うと、天使は黙って私を見つめる。


 ……なんと言うか、思ってた以上に天使とは優しい存在らしい。


『……“神よ、艱難辛苦を我に与え給え”、か』


 それを聞いた天使は、満足そうに笑顔を浮かべた。

 どうやら正解らしい。


 “強くなりたければ戦い続けなさい”。


 遠回しにそう言った天使の顔を見ながら、私は光に包まれた。

 


『……にゃは、極端な肩入れは駄目なのになぁ……』



ーーーーーー



『グシュルルァァァァァッ!!』


 は何度目かの怒りの咆哮を上げた。


 許せない。許せる訳が無い。

 薄汚いトカゲの分際で、自分の顔に傷を付けたのだから。


 スモールリトルアガマは、いわゆる“美味しい敵”だ。

 しかしそれは餌としての“美味しさ”では無く、としての美味しさだ。


 集団生活を営む彼等は、一度巣穴を見つければ80匹近くは見付ける事が出来る。

 大した攻撃スキルも無い為、“捕食”を行う価値は無いが、それ故に容易く狩れる獲物だった。

 しかし、あの木の枝を咥えたトカゲは、幾つかのスキルを使い分け、捕食者たる自分の顔に傷を付けた。


『グシュラァァァアッッッ!!』


 “必ず殺す。見つけ出して殺す。”


 しかし、それは今では無い。今はまだ自分も弱者。一刻も早く強くならねば。


 彼女がそう決意した時、懐かしくも耳障りなあの声が聞こえた。




『うっ……うぅ……!悲しいねぇ……!!蜘蛛ちゃん、悲しいねぇ……!!』




ーーーーーー

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