第8話照りつける陽光と憧れの学校

 さっきまで心地良かった陽光が、マリの体にじりじりと不快感をもたらす程に歩き、ようやくカリドの仕事場に到着した。


「よし! 着いたぞ! さぁ、やるか!」


 意気揚々と声を上げたカリドの視線の先には、雑草がちらほらと生えているだけの痩せた大地が広がっており、十メートル四方の一部分だけがしっかりと耕され、そこには陽の光に向かって真っ直ぐとマリの背丈を優に超える植物が生えている。


「ライ麦ですか」


 マリの言葉に驚く様にカリドが反応する。


「おぉ、マリさんよく知ってるな! この辺は農業に適して無いから、痩せた土地でも生えるライ麦くらいしかまともに育たんのよ。これだけ作るのでもかなり時間がかかって大変だったよ。まぁ、収穫が大変なだけで普段はそこまでだけどな」

「このライ麦達を見ていると色々な苦労が伝わってきます」


 マリは、ライ麦畑へと歩みを進める。

 立派に生えたライ麦達をよく見ると、違う種類のものもライ麦の合間を縫って生えている事に気がついた。


(ん? これは……粟? 種蒔きの時に一緒に入っていたのでしょうか? よく生えてきたもんですね)


「どうだい、中々立派なもんだろ? うちのライ麦はこのヘナンド村でも美味いって評判なんだよ」

「……さぞ色々な味がするんでしょうね」

「お! マリさんはすごいなぁ! やっぱり分かるかい? 味に深みがあるって良く言われるんだよ! 嬉しいなぁ!」


 周りの人達が優しいのか、気がついていないのかはさておいて、マリはこの人達が幸せそうならそれでいいと別種混入の真実を伝える事をやめた。


(にしても気付かないもんですかね? まぁ、食べられないものでは無いですし、いいでしょう。それよりも今は……)


「あの、今日の仕事は何をするんですか?」


 マリにとっては農作物が何であれ、己の体に振るわれるであろう労働の程を確かめる事の方が大事だった。


「ん? ふふふ、今日はなぁ、ちょうどマリさんもいる事だし、少し畑を広げて種を蒔こうと思ってね! うちの村に顔が広い上にできた人がいるんだが、ライ麦の種子を分けてもらったんだよ。お返しは俺の作ったライ麦でいいからって。いつか蒔こうと思ってたんだがその日暮らしで中々出来なくてね」


 自分の作る物を褒められ、上機嫌に鼻歌でも歌い出しそうなカリドが楽しそうに教える。

 マリにとっては、自分がいるからという理由でよりしんどい仕事をさせられるというこの上なく迷惑な話だが、無理とも言えず、楽しそうに話すカリドをただ無心で仰ぐ様に見つめるだけだった。


「少し種を見せてもらっても良いですか?」

「あぁ、いいとも。中々良い感じだぜ? カリドさんが作りましたって似顔絵をつけて配っても良いくらい自信を持って送り出せそうな種だぜ!」


 マリは、カリドからボロボロの腰巻きにくくりつけられた掌サイズの袋を受け取った。

 パンパンに詰まった袋を中身をこぼさない様にゆっくりと開けると、そこには沢山の米のような細長いライ麦の種子の中に、まばらに見える粟の丸い小さな粒がちらほらと混入しているのが見てとれた。


(あー、これは……やられてますね……この人確認しないのでしょうか? あれ? でも今似顔絵貼って自信を持って送り出せそうなとか言ってた様な……気のせいですかね?)


 小馬鹿にされているとはつゆ知らず、これで生産量がまた増えると、喜び勇んで畑へと歩いていくカリドの背中を、マリは何を教えるわけでもなく、ただただ哀れみの目で眺めるだけだった。


「それじゃあ、まず、俺がある程度、雑草を抜きながら土を掘り起こしていくから、その後にライ麦の種を蒔いていってくれ。やり方は分かるかい?」

「2、3センチ程土を盛り、適度な窪みを作ったらそこに等間隔で種を植える。こんな感じで良いですか?」

「もしかしてやってた?」

「昔、よく手伝いをさせられていたもので」


 そう口にした、マリの中を昔の思い出が色鮮やかに蘇ってくる。

 いつも集中力が続かずに、どこかへマリを連れてサボりに行こうとする親友の姿を、ライ麦畑がぼんやりと映し出す。


「その人、きっと良い人だったんだな」

「ん? どうしてそう思うんです?」

「今、幸せそうな顔してたぜ、ジーナちゃん達に向けている顔と一緒だった」

「これは失礼しました。お手伝いなんですから、真剣にやりますね」


 マリは自分の表情が緩んでいる事に全く気が付かなかった。

 慌てて表情を締め直し、もらったライ麦と粟の混ざった種子をぎゅっと握りしめて準備を整える。


「ははは、そんなに肩肘張んなくて良いよ。そうだ、これが終わった後の山菜採り、どっちが多く取れるか勝負でもしてみるかい?」


「……ふふ」


 懐かしい誘い文句にマリの口から思わず笑みが溢れた。

 それは、いつもサボリ癖のある親友の気分を乗せる為に、勝負形式にして競争心を煽っていた自身のやり方だった。

 マリは、そっと懐かしむ様に髪の上から左目に触れた。


「負けませんよ? 負けた方は今晩の夕食をあげるというのはどうです?」

「おっ、大層な自信だな? 明日動けなくなっても知らないぞ?」

「望むところですよ。カリドさんこそ、お腹が空いて夜眠れなくても知りませんからね」


 二人は、和気藹々とライ麦と粟の種を、新しく開墾する土地に植え始めた。


(ん……? そういえば、さっきカリドさんの言葉に引っかかりを感じた様な……まぁ、いいでしょう)


 カリドとマリは、額に汗を光らせながら、仕事をし始めた。



 ――――



 自分はかなり面倒見の良い方だと感じていた。

 たまにわがままだっていうけれど、そんな所はご愛嬌。女の子には優しく接するのがこの世のルール。こんな辺境の土地だってそれは変わらないし、男の子はみんな自分に優しくしてくれた。だからこそ、自分自身が世話をしなければいけない立場になった時は、きちんとやりきる。責任感は強い方だ。

 しかし、ここに来て、生きてきた中で積み上がってきたものが、ポロポロとこぼれ落ちて行く感覚に襲われた。


「はぁ……」


 ティリアは深々とため息をついた。


 少し窪ませるようにして掘られた、幅にして大の大人一人分程の、道路を模して作られた土の溝に沿って、ティリア、ジーナ、アリスの三人は学校に向かって歩いていた。

 村の景色に興味があるのか、遠くに見えている林から、近くの家まで周囲をしきりにキョロキョロしながら、ティリアの方をさっぱり見ないアリス。道に転がっている石ころ伝いにしか進んではいけない自分ルールの元、マイペースにウロウロと明らかに右前方に進んでいるジーナ。

 三十分は経った。家を出て、村を横断している現在でそれだけの時間がかかっている。

 たかだか十分程の学校までの道を案内しているだけなのに、何故こんなにも時間がかかるのか。

 もう学校は確実に遅刻だ、しかしそれくらいなら女の子パワーできっとねじ曲げられる。


 しかし、ティリアは思った。


(この子達、本当に連れてきて大丈夫かな?)


 私に、この自由そうな二人を制御できるのだろうか。今からでも家に戻ればまだ間に合う、そんな思考が刹那の時間でティリアの頭をよぎる。

 いよいよ石ころの道が完全に溝の幅を逸脱しそうになっているのを見兼ねたティリアは声をかける。


「アリス、ジーナちゃん、大丈夫?」

「え!? あ! 大丈夫! 大丈夫! ちょっとだけ、ちょっとだけね! 周りが気になっただけだから! 自分で歩けるよ!」


 ちょっとだけにしてはものすごい焦り様だ。それにアリスにとってのちょっとだけが三十分近くある事にも驚きを隠せない。 やはり手を繋いだ方が良かったのではないかと不安になる。


「そう……それで、ジーナちゃんは?」

「大丈夫! ちょっと石以外の場所に足を置いたらご逝去するだけだから」

「へ? なんて?」

「こらこら、ジーナちゃん。ご逝去なんて言葉使ったらダメだよ? もう少し優しい言葉でね?」

「はーい。アリスお姉さんごめんなさい」


 ジーナは頭を掻きながら、照れ臭そうに笑っていた。


(……あれ! アリス止めないの!? この二人といると、二人共を私が制御しないといけない立場になるの!?)


 夫婦漫才の様なテンポで会話をする二人をどうにか諫め、真っ直ぐ歩き出した問題児達を背に疲れがどっと溢れ出る。

 早くも、二人を連れてきた事を後悔しながらも、寄り道しない様に監視の目を光らせながら、ティリアは学校へと向かう。

 二人の五歩程前を、温かい日差しに心地よさを感じながら、のどかな一本道を淡々と歩いていく。

 未だにフラフラしている二人を時々目で牽制しながらも、何とか学校まで着くことに成功した。


「着いたわ! ここが私達の学校よ!」

「おお! 学校!」

「おぉ……学校?」


 ティリアの指が差す先には、ネズミどころか野生の犬猫ですら容易に入れそうな程、ボロボロの掘立て小屋に、入り口であろう扉の横に、学校、と生徒が書いたと思しきガタガタな手書きの文字が彫られている木の板がかけてあるだけの建物だった。


「学校! これが学校! すごいすごい! 私と同じくらいの子が、たくさんここで勉学に勤しんでいるんだね!」

「お、おぉ……これは……すごいな……」

「すごいでしょ! すごいでしょ! 私達もこの学校建てるの手伝ったのよ!」

「え! ティリアちゃんこの建物造ったの! すごいね!」

「え……本当に……?」


(ふふふ やっぱり連れてきてよかった! この二人、中々良い反応するわ! 特にアリス! 驚きのあまり言葉も途切れ途切れになっているわ!)


 ジーナのテンションの高さと、アリスの不安そうにあんぐりと開けた口に、さっきまでの狼藉の一切合切を忘れ、ティリアは自慢げに胸を張ると、ジーナとアリスの腕を掴み、足早に学校の中へと駆けて行った。

 扉の前に立ち、今にもとれてしまいそうなドアノブをがっしりと掴んで、後ろの二人に微笑みかける。


「驚くのはまだ早いわよ!」


 ティリアによって勢いよく開け放たれた扉に、中にいた人物が全員こちらを振り返る。


「おはようございます!」


 そこには、等間隔に三列に並べられた九つの椅子が並べられており、八人の子供達が、席を使用していた。残る一つはティリアの席だと容易に想像がつく。

 前には、細い目に眼鏡をかけた銀髪の青年が、怪訝そうな顔をこちらに向けている。


「おやおや、これは感心しませんね、ティリアさん。遅刻は良くないですよ?」

「あ! ティリアちゃん! おはよう!」

「ティリア! おっせーぞ! 何してんだよ!」


 教室の中にいる生徒全員が、ティリア達に視線を向けて、目を輝かせながらティリアに思い思いの言葉を投げかけている。

 銀髪の青年がこれを咎めるが、静かになるまではしばらくの時間を要した。


「おはようみんな! それと、遅刻してごめんなさい、ヘルヴィス先生! 実は、この村に旅をしに来た人達がうちに泊まっていて、それで学校に一緒に行きたいって話になったから、村を案内しながら歩いていたら少し遅れちゃったの! 紹介するわ! ジーナちゃんとアリスよ! これから少しの間一緒に勉強してもいいわよね? 先生?」


 ティリアは、自身の影に隠れていた二人を矢面に引っ張り出した。


「ジ、ジーナです! よろしくお願いします! 私、学校が初めてなので、今日無理言ってティリアちゃんに連れてきてもらいました! 遅刻は私のせいなのでティリアちゃんの事あんまり怒らないであげてください!」

「ア、アリスです……オ、オイラも学校は初めてで、何も分からないけど、よろしく……お願いします」


 二人は深々と頭を下げた。それに呼応する様に、嬉々として見つめる視線と、拍手の渦が教室を包み込んだ。

 ヘルヴィスと呼ばれていた銀髪の青年は、ちらりとジーナとアリスを一瞥すると、柔和な笑顔を向けた。


「おやおや、そうでしたか。何も無い村ですが、ゆっくりしていってください。 私の名前はヘルヴィスです。ヘナンド村の教師をさせていただいてます。何でも教えられますが、基本的に私は、錬金術や、化学の分野が専門です。ジーナさん、アリスさん、ようこそ、学校へ。みなさん、今日一日ジーナさんとアリスさんと仲良くしてあげてくださいね。みなさんも挨拶をしてください。それではいきますよ、せーの!」


 ヘルヴィスが合図を送ると、みんなが同時に目一杯息を吸い込んだ。


「よろしくお願いしまーすっ!!」


 教室が壊れるのではないかと不安になる程に、建物を揺らした声量だった。

 ティリアは、みんなと合わせるこの挨拶があまり得意ではなかった。理由は単純で、上手に合わないという事の一点に尽きた。

 タイミングはバラバラな上、声も、がなるように出しており、個々の主張が強すぎる。それに自分も合わせると、不協和音を増長させているようで、どうも苦手だった。それに、二人にとっても、あまり耳触りのいいものではないだろう。

 けれども、ティリアはこの挨拶が誰よりも大好きだった。

 みんなの前向きな気持ちがひしひしと伝わるこの挨拶が、誇りであり、学校のみんなと共に行える事に喜びを感じていた。


「にひひ! どう? 驚いた?」


 ティリアはいたずらっ子の様な無邪気な笑顔で、この大好きな挨拶を自慢した。


「うん、すごく!」

「あぁ……! なんだか元気になれそう!」


 やはり、この二人はいい反応をするな。そう思って止まないティリアだった。

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