第7話重さには人それぞれある
「さぁ、朝だぞ! みんな起きろー!」
低く野太い声が部屋一杯に響き渡り、眠りについていた一同の鼓膜を激しく揺らした。
もぞもぞと寝藁の塊が、芋虫のように四つ、うごめいている。
時間差はあれど、一人また一人と蛹から孵る様に、寝藁から体を掻き出して起こしていく。
(嫌な目覚ましだな)
(お前のその発言も嫌な目覚ましだよ、コロ)
(あー、もういいそんな事言うならもう二度と助けてやらない)
(はいはい、自分勝手な奴だな全く)
タッチの差で一番初めに起きたアリスは、朝から面倒なやり取りをさせられて心底辟易しながら、イタズラついでの夜更かしが体にきていることを、立ち上がり際の体の重たさで知らされる。
「やはり歳には敵わない……」
現実から目を逸らす様に、小さく言い訳をして己のメンタルの安寧を図るも、この呟きを聞いていたカリドが、
「アリス嬢ちゃんが歳なら俺なんかもう死んでるさ」
なんてつまらない上に対応に困る自虐を多分に含んだ横槍を入れてくる。
これに対し、苦笑いをしながらフォロー入れるという更に気分が沈む様な面倒をしなくてはならない事になり、アリスの朝はまるで底なし沼の底からの様なスタートだった。
「おはようございます! いい朝ですね!」
そんな重苦しい空気を切り裂く様に、ジーナの声が飛び込んできた。
亜麻色の美しい髪を四方八方に跳ね回らせながら、満面の笑みを浮かべて挨拶をした後、すぐに自身の体にかけていた寝藁をせっせと片付けている。
「おう、おはよう! ジーナ嬢ちゃんは朝から元気で偉いねぇ!」
誰かに対する皮肉の様な物言いに対しても、ジーナは笑顔を崩さない。
そして、ジーナの声を聞いたマリが棺桶に入れられた様なぴっしりとした寝姿から目だけを開いた。
むくりと上半身を起こし、数秒フリーズした後、何も言わずに淡々と寝藁を片付け始める。
(マリはもしかしてからくりなのか?)
あまりにも味気ない上に、周りが全く見えていないマリに引き気味のアリスを視界の端にさえ捉えず、マリは文字通り機械の様に黙々と寝藁を片付けていく。
すると、何を思ったのか寝藁を片付けている最中にも関わらず、持っていた寝藁をその場に置くなり、ジーナの方へと歩み寄った。
「ジーナ、おはようございます。寝癖が出てますよ」
「お母さんおはよう! 寝癖気がつかなかった! これは失態だ! えへへ」
「今直してあげますからね」
正座の状態で膝の上にジーナを座らせ、どうやって持っていたのか懐から小さな櫛を取り出してジーナの髪の毛を整え始めた。
ジーナが座ってからマリは興奮気味に鼻息を荒げているが、手は物腰柔らかな動きで綺麗に亜麻色の細い糸の様な美しい髪を整えていく。
「ジーナ、ほんの少し重くなりましたね?」
「あー! お母さん! 乙女の秘密を赤裸々に言わないでー!」
「あぁ、すいません。配慮が足りていませんでした。次からは気をつけますね」
「うん! 許そう!」
幸せそうに、髪を梳かすマリと、母の膝で嬉しそうに髪の完成を待つジーナ。
和やかに流れていく時間は、死と隣り合わせである現在の環境すらも打ち消す程に二人の心を満たしていく尊い時間だった。
(あ、もしかして、マリはジーナしか見えてないのかも! マリって実はアホなのかも!)
朝一の喧騒でアリスの思考回路も暴走気味になってきた所で、ティリアがむくりと体を起こした。
未だ完全に目覚めきっていない様相で伸びをしながら、体についた寝藁を大雑把に払い除けると亀の様な速度でのろのろと立ち上がる。
「んー! お父さんおはよう……」
目を擦りながら大きな欠伸を一つ放ったティリアは、台所で朝ごはんを作っているカリドの方へとふらふらと足取りがおぼつかないまま向かっていった。
「ティリアおはよう! 寝藁片付けて机用意してくれ! ブレークファーストだぞ」
千鳥足で歩くティリアは、カリドの足にしがみつく様に抱きついた。
すりすりと頭をこすりつけて、小動物の様に甘える様な仕草を見せている。
「おいおい、今手が離せないんだ。残念ながら期待には応えてやらないぞ?」
娘の突然のラブコールに満更でもない顔で仕方ないなぁ、なんてにやにや言いながら、ボコボコになったダッチオーブンを赤く光る炭の入った小さな石窯の中に放り込み、手を素早く開けてティリアを抱き抱える。
ずしりと重く両腕にのしかかる娘の成長に、カリドはひしひしと喜びを感じていた。
「ティリアも、大きくなったなぁ……」
父の娘を思う気持ちは、当の本人には届いていないのか、反応が一切感じられない。
それどころか、やけにティリアが重たく感じる。
「…………」
ティリアは完全に夢の中へと旅立っていた。
だらりとさげた手足と、カリドの肩に乗せた頭が快眠度合いを物語っていた。
「って寝てる! 人の体に完全に寄っかかって寝てる! 起きろティリア!」
「んー、お父さん、魚は空を飛ばないって何度言えば分かるのさ……あー、お父さん、めっ! それは食べ物じゃなくて畑を耕す道具……」
「何の夢見てんだ!? というか夢の中の俺しっかりしろ! ほら、早く準備手伝ってくれ!」
バタバタと慌ただしく始まった朝も、全員の目が覚醒しだした頃には落ち着きを取り戻し、作業効率が上がり朝食の準備が即座に整った。
五人が全員食卓を囲んだ所で、後は朝食を摂るだけとなった。
まだ幼いティリアとジーナの二人は、目の前に置いてある野菜のスープ一皿に、目を輝かせながらも、周りの大人達に合わせてその身を動かさずに待っている。
「よし、準備はできたな?」
「はい、お待たせしました。朝食までありがとうございます」
「いいって事よ!」
「ふふっ、お父さん……」
カリドは、くすくすと笑うティリアを怪訝そうに見つめながら、食事の前の祈りの音頭を取るために手を胸の前で組み合わせた。
「さぁ、みんな手を合わせて」
カリドの号令で胸の前で手を合わせ、それを確認したカリドが神への感謝と祈りの言葉を発する。
「私達に美しい朝をありがとうございます。命を頂き、私達の心と体の糧とする事に赦しを、そして感謝を」
一言ずつ、噛み締めるような物言いで神へ言葉を届ける。
言葉の重みを知る者も知らない者も先程までの喧騒が嘘の様に皆深く祈りに沈み、凪のような時が流れる。
カリドとティリアは、真剣な風体で神に今日という日の感謝を伝え、マリとアリスはこの行動に対する理論だけの理解と共にこれからの事を考えながら祈ったふりをし、何のことやら詳しく分からぬジーナは目の前のご飯に向かって美味しくなれと魂を込めて願っている。
(神ねぇ……そんなの崇め奉る事に何の意味があるのやら)
アリスの中にいるコロだけが、神とは正反対の方向を向いていた。
(いつ隣人から魔女狩りの密告があるやもしれんこんなご時世じゃ、神に祈りたくもなるだろう。オイラは神は信じていないが、神に祈る人間はとても好きだぞ。オイラ達サバトの魔女だって悪魔に祈りを捧げているんだ、祈る事は悪い事だとは思わない)
(あぁ、あの裸で乱痴気騒ぎするやつね、あれ祈ってたのな)
(……オイラ達のイメージそれしか無いの?)
(にしてもクリスは物好きだねぇ。こんな奴らの何が良いんだか、毎日くだらねぇことで争ってばっかりでこんな奴らいたってしょうがねぇのに)
人間に親でも殺されたのかと思うくらいのコロの悪態を、アリスは何も返さずにただ黙々と祈りを捧げるふりをした。
しばらくして、カリドから祈りをやめていいとの合図が出され、ティリアとジーナは待ってましたと言わんばかりに朝食に一目散に手を付ける。
元気良く食べ進める幼い二人を、大人二人は微笑ましく眺め、その全てを一歩引いて見つめるアリス。
それぞれの思いがある中で、一時の団らんは再び始まる。
「ジーナちゃん、昨日から思ってたんだけど服すっごく可愛いね!」
「これは私の一張羅なのです! お母さんが作ってくれたオーダーメイドなのです!」
「へぇ! すごい! とっても素敵!」
ジーナとティリアは子供同士何か通ずる所があるのか、食事と並行して話を始めてからまもな意気投合し、すっかり二人の空気を作り出していた。
そんな二人をにこにこしながら見つめる大人二人と、黙々と野菜の入ったスープと格闘しているアリス。
側から見たらどう見ても家族にしか見えない五人の朝はゆっくりと過ぎていく。
「昨日に続き今日までも、懇意にしていただいてありがとうございます」
「あぁ、良いって事よ! こういう時は助け合いだ!」
カリドは子供の様な純真無垢な表情でマリの深々としたお礼を笑い飛ばした。
「もし良ければ、今日カリドさん達がやられるお仕事のお手伝いをさせて頂けませんか?」
マリは都市の中枢に入ることが出来ず、外にある辺境の村で一泊することを余儀なくされているこの前にも後ろにも進めない状態に何か打つ手は無いかと少しばかり苦心していた。
自身の行動の間違いは、最愛の娘の死にも繋がりかねない。
普段の魔女としての癖一つから、何気ない一言に至るまで細心の注意を払いながらも、この村の人達を懐柔して何か情報を、若しくは内部にまで入れはしないかと考えた末に、自身を労働力として売り出す事を思いついた。
体力には一抹の不安を覚えたが、隻眼の女をカリドがそこまで酷使しないだろうと踏んでの提案だった。
このマリの発言に対し、こいつの口からそんな言葉が、と目を丸くしているアリスに余計な事はしないでくださいと目配せで釘を刺した後、悩んでいるカリドへと再び張り付けた下手くそ笑顔で応対する。
「そいつは嬉しいが、無理はしなくて良いぜ? あんた達はあくまでお客さんだ。あのジジイからも紹介状も貰ってる。だから、別に働く必要は一切ないんだぜ?」
(自分でビリビリに破いたのに律儀に守るんですね……)
「いえ、こういうのは気持ちですから」
本心をひた隠し、良い面だけをカリドに提供する。
普段の何気ない会話の中で、相手の裏を探ろうとする人物は一定層いる。
自分に自信が無く、相手の言葉に悪口が含まれていないか探る。言葉の裏に何か悪い企みがあるんじゃないかと邪推し探ろうとする。
こういった人間がいる事をマリは経験上知っていた。
それ故に疑われる事すら無いように、精一杯の善意を押し付ける。
「うーん、そこまで言ってくれるんなら手伝ってもらおうかな? だが、ここの仕事は厳しいぞ?」
そう言い放つとカリドはスープを一気にかきこんで、満足そうにしながら口元を手で荒々しく拭うとマリに向かって挑発的な笑みを浮かべた。
それを見たマリは、先程まで上品にボロボロのスプーンですくって食べていたスープを、皿を持ち上げ一気に口の中に流し込んだ。
ティリアと話していたジーナが、母の見た事の無いその仕草を会話を止めて不思議そうに眺めている。
しばらくしてスープを魔法を使わずに飲み干したマリは、苦手な野菜が身体に入ってくる感触に身震いしながらもカリドの真似をしてにやりと口元を上げた。
「……お手柔らかにお願いします」
「はは! いいね! よろしく頼むよマリさん!」
カリドはマリに向かって握手を求める様に手を差し出した。
「あっ……」
アリスが何か物言いたげな雰囲気を醸し出したのを遮る様に、カリドに対してマリは握り拳を黙って突き立てた。
「おっ? 何だマリさん、意外とノリがいいじゃないか! いいね! 良い仕事仲間が出来た気分だ!」
カリドは嬉しそうに拳を突き合わせた。
「俺達の仕事はきついぞぉ! 気合い入れていかないとくたばっちまうぞ!」
「え? そんなにしんどいんですか?」
(あれ……? この人もしかして本気で私をこき使おうとしてます?)
「おぉ! マリさんもお父さん達と同じお仕事するんだね! すごい! 私じゃ何年経っても絶対に出来る気しないのに!」
「え? あぁ、あの……」
「ガハハ! お母さんなら何でもできる! もしかしたら岩だって砕けるんじゃないか?」
慌てふためくマリに追い討ちをかける様にアリスがティリアに続く。
「お母さん頑張ってね! 精一杯鼓舞するよ!」
続いて、星の様に輝く純真無垢なジーナの視線が真っ直ぐ突き刺さる。
「……」
その場にいる全員が気が付けばマリの事を熱烈に応援していた。
仕事仲間が増えたと喜び勇むカリド、純粋に応援してくれているジーナとティリア、マリの中の事が上手く運んでいない事を察知して、下衆なニヤつき方をしながら口先だけで同調しているアリス。
自分から言い出した手前、しんどいならやめたいです、なんてとてもじゃないが言える空気では無かった。
それに、娘の前で醜態を晒す事は今後のジーナの教育上何があっても避けたいという大人のプライドがマリの口を余計に重たくさせた。
全てを考慮した結果、残された返答は一つしか無かった。
「……精一杯……頑張ります」
言葉とは裏腹に、マリの分かりにくい表情が微妙に歪んでいるのをアリスは視界に捉え、にたにたしながら苦手な野菜をおじさんが酒の肴をつまむように美味しそうに口に放り込む。しかし、他人の不幸でも野菜の味は変わらなかったのか、しかめ面をしながらごくりと飲み込んだ。
「よし、マリさんは俺と一緒に働くとして、ジーナ嬢ちゃんとアリス嬢ちゃんはどうする? 一応この村の子供達はティリアも含めて学校に行ってるんだが、飛び込みで参加してみるか?」
「学校……? なんですか? それ?」
「学校……」
亜麻色の髪が傾げた首に合わせてふわりと揺れた。
ジーナは今まで、マリにこの世に生を受けてからから全ての事を教わっていた為、学校という子供が集まって勉強する場がある事すら知らなかった。
初めて耳にする単語に戸惑うジーナに対し、アリスは別の点での疑問を頭に浮かべていた。
(この現代の暮らしすら出来ていない文明のレベルで学校があるのか)
「あぁ、カリドさん。この子達は諸事情により私が物を教えていたので学校というものには少々疎いのです。ご容赦を」
二人の束の間のフリーズに対し、すかさずマリがフォローに入る。
「あぁ、二人共、学校知らないか? 学校っていうのは村にいる子供達が集まって勉強をしにいく所なんだ。ティリアもそこで村のみんなと勉強をしているんだが、お母さんが俺達と働いている間、そこに一緒に行ったらどうだい?」
「ジーナ学校行きたいです! もっと聡い子になります! お友達も作りたいです!」
ジーナがご飯を前にした犬の様に食い気味に返事をし、母親の真似をしてスープを豪快に流し込む。
「今も十分聡いと思うが……良い心がけだ! それで、アリス嬢ちゃんは?」
「妹が行くというなら姉も行くべきだと思う。だからオイラも行く」
アリスはジーナとは違い、蛇のトグロの様な回りくどい言い回しで自分の意思を伝えた。
「……嬢ちゃん達しっかりしてるなぁ」
そんな言葉を聞いて、対抗するスイッチが入ったのか、ティリアが最後に残ったスープを勢いよくかきこみ、一息吐いた後、
「お父さん! この子達の面倒は私に任せて! 一緒に学校に連れてってあげるから!」
と、自慢げに胸を張った。
「ははは! ティリアありがとな! よし、それじゃあ片付けをしたら早速仕事に取り掛かろうか!」
食事が済み胸の前で手を組んで再び神に祈りを捧げた後、各々が使っていた食器を片付け、マリ達はヘナンド村に来てはじめて外へと足を踏み出した。
部屋の中は石で囲まれており、日の光がほとんど入ってこない為、外の天気が一切分からなかったが、いざ出てみると目の奥が叩かれる様な鈍い痛みを感じる程に、太陽が燦々と輝く仕事日和だった。
「うわぁ! とっても良い天気!」
ジーナが亜麻色の髪を靡かせながらさながら身軽な猫の様に軽やかにステップを踏んでいる。
「ジーナちゃん! あんまり遠くに行ったらダメよ!」
気が付けば三十メートル先程までくるくる回っていたジーナに
「アリスは私と手を繋いで行きましょう?」
「え? あっ……その……大丈夫だから。自分で歩けるから」
戸惑いながらも必死に拒否するアリスにマリは笑いを必死に堪えながら、戻ってきたジーナと共に学校に歩いていく後ろ姿を手を振り見送った。
「ジーナ、アリス、ティリアさんいってらっしゃい。二人共迷惑かけちゃダメですよ」
「はーい! 団体行動ー! 行くぞー!」
「オイラに任せてくれ!」
無い胸を張ろうとするアリスは、ティリアに前を見て歩けと咎められ、その後ろ姿は哀愁が漂っていた。
「お父さん、マリさん行ってきまーす! あ! お父さん仕事の道具は食べちゃダメだからねー! ははは!」
「食べないよ! 良いから前向いて歩け!」
カリドは全くとボヤきながらも口元は笑っていた。
学校へと歩き出した三人が見えなくなるまで見送ると、カリドは意気揚々と入念にストレッチをして己に気合を入れた。
「よし、俺達は今から仕事だ! 今日は畑仕事と、山菜取りを兼ねつつ狩猟もやっていくから覚悟しといてくれ!」
それは人間一人が一日でやり切れる仕事量なのかと耳を疑ってしまうほどのブラックな仕事内容だったが、マリは大人しく頷き、畑へと向かうカリドの後ろを黙々とついて行く。
「あの……お手柔らかにお願いしますね?」
大きく響くカリドの笑い声がマリの不安を増長させた。
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