第6話 月は全てを見ています

 寂れた、町とも呼べない様な集落の一つの家に、おしどり夫婦な家庭の団らんといった空気が流れていたのはほんの数時間前。

 彩り鮮やかな料理を五人で仲良く囲んだ後、簡易的な五右衛門風呂の様な大きめな容器にお湯を張っただけの風呂に入り、食卓テーブルをどかして居間に藁を敷き詰めて仲良く五人で雑魚寝をしている最中、寝息がそこかしこで聞こえ始めた頃、アリスは天井に浮かぶ模様の様なシミを見ながら夢に落ちることもなく悶々と考え事をしていた。


(大勢で食卓を囲んだのは久しぶりだった。やはり悪くないな。マリの態度を除けば……だが)


 走馬灯の様に、今まで生きてきた人生が頭の中を風がなぜる様に横切っていく。

 しかし、すぐに現時点まで辿り着いた感傷はすぐに消え失せ、マリに対する小さな愚痴だけがぽつぽつと夜の闇に浮かび上がる。


(思い出す様な方がある程、大した事してなかったわ。それにしてもあいつ……オイラにだけ無理矢理食わせるなんてどういう了見だ!)


 事の発端は食事時にあった。

 アリスは中身にそぐわず、見た目に即して野菜があまり得意ではなかった。味そのものも苦手というのも当然去る事ながら、カットされた野菜の彩りが豊か過ぎて、口にするのを躊躇う事が一番の原因だった。

 そこでアリスの考えた作戦は、ある程度は我慢して食べた後に、己の得意とする風魔法で自然な感じを装って吹き飛ばしてしまおうという作戦だった。

 灰髪を揺らしながら、苦々しい顔をしている事を極力カリド達に知られない様に留意しながら、事を起こす機会を窺っていた。

 そして、弾ける様な笑い声を響かせながら、仲を深めていく幼な子二人の会話と、未だ勉強を続けるマリと丁寧に教えるカリド達の会話に囲まれる構図で出来たアリスを放置するこの会話形態に終止符を打つ様に、行動に打って出る。


「あー、しまったー、こぼれてしまったー」


(風魔法発動! おりゃ! 散らせ!)


 アリスの棒読みが二つの会話を遮り、若干不自然に皿を傾けて中身を魔法で無理矢理床にぶちまけた。

 室内にふわりと風が舞う。

 後悔の念を醸し出す為、即座に机に頭をつけてがっかりした雰囲気作りを開始する。


「あー、お母さんごめんなさいー、カリドごめんなさいー」

「うぉっ!」


 アリスの謝罪を掻き消す様なカリドの驚きに満ちた声に、一瞬家の中が支配される。

 食事をこぼすという悲嘆の声が溢れてきそうな現象を起こした当の本人は、計算通りと俯いた机の上でにんまりと頬を緩ませる。

 しかし、その声の後、床に何かが落ちた様な音は一切しない上に、誰も彼もが不自然なくらいに、まるでそんな事などなかったかの様に会話が続けられた。

 どこか、ホッとした様な雰囲気さえあるくらいだった。


(あれ? なんでだ?)


 恐る恐る顔を上げると、そこには散らしたはずの野菜炒めがしっかりと皿の上に乗っていた。


「あれ?」


 あまりにも不思議な出来事に思わず声に出る。


(おかしい、たしかにぶちまけたはずなのに……しかもなんか少し増えてる気がするのは気のせいか?)


 量までも神に祈りを捧げた時まで元通りになった野菜炒めを、フォークでころころとつついて転がす。


「アリス、気を付けてください。食べ物を粗末にしてはいけませんよ」

「危なかったなーアリス嬢ちゃん! マリさんの反射神経に感謝すると良いさ! あはは!」


 顔を上げた後の大人達の寛容な態度でアリスは悟った。

 魔法でぶちまけた野菜達は、全てマリの手によって床に落ちる前に拾われたのだと。

 そして、どさくさに紛れてマリはアリスの所に自分の分の野菜を放り込んだのだと。


(こいつ……なんて器用な事を……魔女の身体能力をこんな所で遺憾なく発揮させよって……!)


「わー、ありがとう。助かったよーお母さん」

「礼には及びません。感謝を忘れずに食べ切る事が大事です」


 マリはそう言いながら、お上品に野菜を口に運んでいく。

 静かに音もなく食べる姿は、どこで学んだのか、気品に溢れていた。 


「おぉ、良いこと言うねぇマリさん!」


 嬉しそうにマリの事を見つめるカリドは、こちらも丁寧に慣れた手つきで一つずつ野菜を綺麗に食していく。


(よく言うな! 人の皿に自分の分放り込んだくせに! 自分も野菜苦手なくせに!)


 じっとマリを睨みつけながら、アリスも渋々野菜を口に運んでいく。

 カラフルな見た目の割に苦々しい味が口いっぱいに広がっていく。


(はは、クリスしてやられてやんの! あの魔法使いも面白い事してるし、やっぱりお前面白いぜ。選んで正解だった)


 コロの声がまた頭に直接響いてくる。

 ここ最近何をやっても上手くいかないアリスは、小さなフラストレーションが溜まっていく一方だった。


(ぐぬぬ、オイラとした事が、なんたる失態。マリについて行ってからほんと良い事一つも無いな……いつか仕返ししてやるからな、覚えとけよ……)


 マリを睨み続けながら、アリスはコロの言った面白い事の本当の意味に気づき、絶句した。


「あっ……!」


 一瞬だけ見えたその違和感をアリスは見逃さなかった。

 マリが野菜を口にした瞬間、一瞬だけマリの口の中が明るく光っていた。


「そんな手が……」


 マリは、口に野菜を放り込んだ瞬間に、炎魔法で野菜を消し炭にしていた。

 向かい側にいるカリドに見えない様に巧妙に野菜達を口に入れては消し炭にしている。

 魔力の動きが読めるコロだからこそ気が付ける知恵の働いたやり方に、驚きを通り越して呆れ返っていた。


(こいつ……なんて奴だ……)


 アリスは、抵抗する事を止めて大人しく鼻をつまみながら野菜を胃の中に放り込んだ。

 そして時は戻り、嫌いなもので腹を満たした後に固い寝藁の上にその身を投げ、眠れぬ時間に身を任せて懐古の念に駆られて想いを馳せていた。


(くそぅ……まだマリは何も成していないのに監視してるこっちのイライラだけが募っていく……!)


 奥から順にカリド、ティリアの親子、そしてアリス、ジーナ、そしてマリと、川の字の激流版の様な五人の雑魚寝の中、アリスはギンギンに眼を見開きむくりと起き上がった。

 隣で寝転ぶジーナとティリアが完全に寝ている事を念入りに確認する。

 すーすーと細い息が美しい鼻筋から一定のリズムで出入りしている事を確認し、ジーナの隣で寝ているマリの枕元へと向かう。

 奥にいるカリドに関しては野獣の様な寝息が遠巻きに聞こえてきているので確認する必要もない。

 じっとマリを睨みつける。

 ぴくりとも動かない上に、胸が上下する事もない。

 寝藁をわさわさと布団の様にジーナと共有しながら微動だにせず寝ている。


(死んでるのか? 人って寝る時こんなに動かないっけ? まぁ、いいや)


「くらえ」


 小さな声で言うや否や、マリの額に向かってデコピンを放った。

 マリはピクリとも動かないままに、額と爪のぶつかる乾いた音が家に響き渡った。


(うわぁ、クリスちっせぇ……)


(う、うるさい! もう一発やるからこれはお前の分だからな! これで共犯だぞ!)


 今日一日のフラストレーションをマリの額にぶつけたアリスは、ニヤニヤしながらコロの分の一発をお見舞いしようと再び指を構える。 


「もう一発……くらえ!」

「何か用ですか?」

「うひゃ!」


 突如として、マリがアリスの構えた手を手首から掴んできた。

 まさか起きるなどと思ってもみなかったアリスは、おかしな音を上げながら尻もちをつく。

 慌てて辺りを確認するが、誰かが起きる気配はなく安堵の息を吐く。


「あ……ちょっとトイレに付き合ってお母さん」


 先程まで威勢良くデコピンを仕掛けていた人物はもうそこにはいなかった。


「……分かりました」


 そういうと、マリはそそくさと布団代わりにかけていた寝藁から抜け出し、ジーナにそっとかけ直しアリスを急かすように玄関扉へと歩いていく。

 まるで暖簾をくぐるかのように軽々しく扉を開閉するマリにひっついて共に外に出ると、マリはおもむろにカリドの家の裏手にある林の方へと歩き出した。

 林に少し入り込み、ガサガサと葉を踏む音が強くなってきた辺りで歩みを止め、アリスに正対する。

 じっと見つめるマリに対し、アリスはただただ恐怖に身をすくませていた。


(やばいやばい、嘘ついた事絶対バレてるよこれ。トイレって言って連れ出したのに、真正面立ってじっと見てくるのなんなの? デコピンをやり返されるのか? というか体力は無いくせに身体能力高いのなんなの? あの扉あり得ないくらい軽く開けてたけど、そんな力でデコピンなんかされたらひとたまりもないぞ、どうする! どうするオイラ!)


 静かな夜の林の中、二人の息遣いだけがその場に満ちていく。

 思考を回すのに必死で、何もできないでいるアリスに対し、何かを感じ取ったのがマリが言葉を発した。


「アリスさんは中々凝ったやり方がお好きなんですね、もしかして楽しんでます?」


 その眠さを含んだ目つきの悪い瞳は、一切感情を垣間見せる事なくアリスを見つめている。


(デコピンってそんなに複雑な技だったっけ? いや、楽しんでたけども。素直に言ったら何されるか分からんぞ)


 このまま黙っているわけにもいかないアリスは、意を決してマリを怒らせない様に慎重に言葉を選ぶ。


「ま、まぁ、多少は……なぁ? 誰でもそういう事くらいあるだろう?」

「私は無いですけどね、それにいつまでもそんな風だといつか死にますよ?」


 マリの目はいつになく真剣だった。


(え、何? 遠回しの脅し? めっちゃ怖いんだけど、デコピンしただけで殺されるの? 短気すぎるだろ)


「あ、あぁ。ごめん、気を付けるよ」


 強張った顔が、アリスから多分に不自然さを醸し出す。


「それで、くだんの件ですが……」


 マリが距離を突如として詰めてくる。

 アリスは不意をつかれ、なす術もなく間合いに入る事を許してしまった。

 緊張と恐怖に支配され、体から嫌な汗が噴き出る。

 林の隙間から漏れる月明かりに照らされたマリの体が、いつになく大きく見えた。


(やばい、もう覚悟を決めないといけない! 私が吹き飛んだらカリドの家を壊しかねない。何とかして全てをここで受け止めないと!)


 自分のやった事に対する報復を受ける覚悟はもうついた様だった。

 震えは止まり、眠そうな目をしたマリに向かってアリスも力強く一歩を踏み出す。

 灰色の細くしなやかな前髪を掻き上げ、死をも連想させる程のデコピンを喰らう為に自身の額を全面に押し出した。


「さぁ! 一思いにやってくれ! オイラは正々堂々真正面から向き合うつも……痛い!」


 最後まで言い終わる前に、マリはアリスに向かってデコピンを喰らわせた。

 アリスが想像する程の惨劇にはならなかったが、額は直撃した部分の色が赤く色付き、鈍い痛みが頭を突き抜けるようにアリスを襲う。


「それでくだんの件ですが……」

「お……おい、ちょっと待ってくれ」


 何事も無かったかの様に次の話に入ろうとするマリにアリスは困惑の色を隠せない。


「……ん? 何ですか? 幼女がデコピン喰らった様な顔をして」

「鳩が豆鉄砲を喰らったようなみたいな雰囲気で言うんじゃないよ。というかそれオイラだろ、幼女って言うな。そうじゃなくて、お母さんはオイラにデコピンする為にここに呼び出したんじゃ無いのか?」

「はい? 何を言ってるんです? そんな器の小さい事する訳ないじゃ無いですか、あなたがやってくれと言うからやったまでです。あなたこそ私の目的の進捗状況を聞く為に起こしたんじゃ無いんですか?」

「へ……?」


 アリスは自分がマリを起こしてからのマリの言葉の意味に頭を巡らせる。


(あれ……もしかして、デコピンに怒ってるんじゃなくて、魔女狩りの作戦会議に私が誘った事になってるのか? あれ、だとしたらこれ私が勘違いしていた事がバレるのは避けなければいけないのでは……?)


「あぁ! そうそう! よく気付いたな! 監視としての仕事はしっかりしないとな! ガハハ! それで、私と別行動していた時に収穫はあったのか?」


 しばしの思慮の後、慌てて誤魔化そうとするも、時すでに遅し、全てを理解したマリの目は明らかに軽蔑の目を向けていた。


「はぁ……アリスさん、あなた小さいですね」

「それは、背の事だよね? そうだと言ってくれ頼むから」


 月明かりの少ない暗い林の中でも鮮明に分かる程に、マリの表情は嫌悪に満ちていた。

 悪業を晒した上に、誤魔化そうとしたアリスにもはや弁解の余地はなく、外のうっすらとした肌寒さとマリの視線にチクチクと刺されながら話は続いていく。


「私の方は収穫は特にありません、魔女狩りがコロシアム内で行われている事と、この村に来た時にもカリドさんに言いましたが、入国許可証が無いとこの国の都には入れないという事くらいです」


 マリが無機質に説明していく。機械的にと言うよりかは、独り言を空に向かって呟く様に話す。


「あのコロシアムで魔女狩りやってるの? それもの凄い情報じゃない? オイラかなり驚いたんだけど」


 アリスにとっては衝撃の事実でも、マリにとっては既知の情報であり、アリスの驚きに微塵も興味を示さない。


「それでそちらはどうですか? あまりここで話をするのも良く無いので手短にお願いします。じゃないとあなた凄く用を足すのが長い人になりますよ」

「特に無い。よし、戻ろう」


 アリスは踵を返し、マリを置いて林を足早に抜けていく。

 ガザカサという音がマリを一人置き去りにしていった。


「全く……単純すぎるのも難点ですね」


 ぼそりと呟く。

 夜の静寂に言葉が溶けていくのを感じながら、マリはふと上を見上げた。

 木々に隠れた月が懸命に夜の闇を照らし、少ない光をマリの元へと届けようと奮闘している。


「あの時と一緒。やはり美しくないですね、そんなに頑張ってもあなた自身には何の得もないというのに。そんな事はお日様に任せてゆっくりしていれば良いのに」


 悪態をつきながらも、マリは上を見上げる事をやめなかった。

 月がくれるわずかな光を、その努力を、せめて自分だけでも掬い取ってやりたい。何故かそう思った。


「一つ言い忘れていたよ、お母さん」


 そそくさと林を出て行ったはずの人物の声が聞こえた。マリはゆっくりと視線を下ろし、声のする方へと向き直る。


「もう気付いているかもしれないが、カリドがつけていた首輪、あれはどう考えてもおかしい。生活のレベルと明らかに合ってない上等な品物な上に、ティリアちゃんにはあんな物付いていなかった。カリドは自分だけが贅沢する様なタイプでもないだろうし、おしゃれの類ではなさそうだ。気に留めといてくれ」


 アリスは言い終わると共に、マリの返事を待たずに再び家の方へと歩き出す。

 離れていく小さな影を追いかける様にマリも後を追う。


「あ、後もう一つ」


 アリスがぴたりと足を止めた。

 落ち葉が踏みつけられる音が止み、刹那の静寂が訪れる。


「何ですか?」

「さっきの美しくないですねとかいうやつ何? もしかして、お月様見て感傷に浸ってたの?」

「……早く戻りましょう」


 マリはバツが悪そうにアリスを追い越してアリスよりも足早に家へと戻る。


「あー! これ聞いちゃいけない奴だった? あーごめんごめん、そういう年頃だもんね、そうだよねー! あー申し訳ないなぁー!」


 声のトーンからニヤニヤしながら言葉を発しているのが分かる程にアリスは饒舌だった。

 先程の仕返しとばかりに、口が止まらないアリスを他所に、マリは一度も振り返らず、返事もせずにひたすら足のみを動かした。


 月が温かく見守りながら、夜はさらに更けていった。

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