第5話戸締りは確実に

 荒い息遣いが誰もいない緑の平原に流れて溶けていく。

 歩き始めて五分を超えた頃に、村の姿は視界に捉えていたはずなのに、その距離はなかなか縮まる気配がない。

 それでも一完歩ずつ着実に、左に居並ぶ天使に叱咤激励されながら、緋色の髪を揺らしていくこと約十五分。その辺に落ちていた木の幹を荒く削って地面に刺しただけの門の様なものに辿り着いた。

 安っぽい門の周りは、誰かの侵入を易々と許してしまいそうな、膝下くらいの大きさの木柵に囲われている。

 薄らと見えていた怪しげでチープな景色を目の前に、緋色の魔女と亜麻色の娘は足を止めた。


「はぁ……はぁ……もう歩くのは勘弁して欲しいですね……ジーナ、本当に申し訳ありません」

「いーよ! こういう時はジーナが助けるの! 助け合いの精神なの!」


 マリの憔悴しきった姿に、ジーナが寄り添いながら優しく介抱している。

 結局、ジーナは道のりの九割五分程を自分の足で歩いてきた。

 マリは申し訳なさそうにジーナの肩に軽く手を乗せている。

 重たい足に鞭を打ち、チープな門をくぐりヘナンド村に入ろうとした時、闇夜の中から声がした。


「お母さん……待ってたよ」


 二人は立ち止まり、声のした方向に振り向くと、柱の影から見覚えのある灰髪の幼女が暗闇から顔を覗かせていた。


「……この村に居たんですね。ひょっとしてあなたが治安の悪さの原因ですか?」


 柱からするすると出てきたアリスが、頬を膨らませながら鬼のような形相でマリを睨みつけている。

 その姿を見たマリは、どこかがっかりした表情で村の門をくぐった。


「何を言っているんだ!? そんな事よりよくもオイラを置いて行ったな! 悲しかったぞ! 寂しかったんだぞ! なんで助けてくれなかったんだ!」


 小刻みに震えながら、今にも泣きそうな顔でマリをひたすら睨み続けている。


「お姉ちゃん! 生きてて良かった!」


 ジーナの純朴な砂糖の様に甘い言葉には耳を貸さず、飛びついてきたジーナを優しく受け止めつつも、マリからは視線を外さない。


「……もう手遅れだと思いました」

「嘘つけ! 絶対思ってないだろう! そんなお母さんはお母さんじゃない! ただの叔母さんだ!」


 マリは疲れた体に響き渡るアリスの金切り声に鬱陶しさを隠せない。


「あー、そうですね。生きてて良かったですねーアリスー」

「何だその棒読みは! もう、今回という今回は許さんぞ!」


 ゆっくりとジーナの手を振り解きながら、ずかずかと肩で風を切り、田舎の不良の様にマリに近づいていく。

 するとマリは、そんなアリスの事を突如として強く抱きしめた。


「うげぇ!」


 唐突に抱きしめられたアリスは道端の蛙の様な声をあげながら、バタバタとマリの腕の中でもがいている。


「アリス……ずっと探していたんですよ! 会えて本当に良かった……もう一人で何処かへ行っては行けませんよ!」


 先程とは打って変わって、マリはわざとらしくアリスの身を案じ始めた。

 態度を一変させたマリにアリスは動揺を隠せない。


「お母さん、突然どうしたん――」

「おぉ、アリス嬢ちゃん! お母さんに会えたのかい! そりゃあ良かった!」

「……!」


 アリスは、マリに抱きつかれながら、聞き覚えのある男性の声を背後に聞き、全てを察した。

 マリは、昼間落ち葉にハマっていた自分を助けた男性をいち早く察知して、演技をしたのだと。

 男性は、松明を持ちながら、アリスとマリの感動の再会に満面の笑みを溢している。


(演技かよ……)


 アリスの気持ちの落とし所は未だ見つからないまま、両者の会話は刻々と進んでいく。


「あなたが、アリスを見つけて下さった方ですか? 私は、アリスの母親のマリと申します。この国には旅をしに来ていまして、その際にこの子とはぐれてしまって、もう気が気じゃ無かったんです。この度は本当にありがとうございました」


 マリは、アリスを解放し、男性に深々と誠意を込めたお辞儀をする。


「俺の名前はカリドだ、よろしく。嬢ちゃんとは、林の中で落ち葉に埋もれて出れなくなっていた所を通りかかってね、ちょうど山菜取りに出ていた時で運が良かったよ」


(そんな事になっていたんですか。だからあれ程休憩しようと言ったのに)


 マリは、お辞儀をしながら心の中でアリスを責める。


「本当になんとお礼を申していいやら、ほら、アリスももう一度お礼を言いなさい」


 アリスの体を男性の方へと向け、挨拶を促す。

 マリに促される事を良しとしないながらも、アリスはそっぽを向きながらぺこりと会釈をした。


「……ありがと」

「ジーナです! お姉ちゃんを助けてくれてありがとうございます!」


 アリスの不貞腐れた顔で呟いた声を、ジーナの明朗な話ぶりが掻き消していく。


「ははは! お嬢ちゃん達! そんなお礼される謂れはないよ。当たり前の事をしただけさ」


 髭面を緩ませながら、男性は一行を温かい目で見つめている。


「それよりも、マリさんよ。アリス嬢ちゃんときたら、きっとお母さん達は来るって言ってこの門から動かなかったんだぜ? 大したタマだよ! この子は将来大物になるぞ!」


 カリドに褒められて、不服そうにしていた表情が途端にしたり顔になる。

 マリは、自分だけに向けられたしたり顔に一切気にも留めず、カリドに対してあまり効果のなさそうな下手な愛想笑いを続けている。


「この子はとても良い子なので、そうなってくれれば嬉しいですね」


 アリスの頭を、マリは強めに撫でた。


「ははは! 俺が言うんだから間違いないさ! きっと色んな人に慕われる人間になるよ! それよりもマリさん、旅をしていると言っていたが、行く所はあるのかい? わざわざここにピンポイントでアリス嬢ちゃんを探しに来たわけじゃ無いだろう?」


 カリドは、無精髭を撫でながらニコニコとマリを一心に見つめている。


(この人見かけによらず意外と頭が回りますね……それにしても、身なりはあれですがこの人の人柄、あのグランとかいう老兵が言う程治安が悪そうには見えませんが……)


「えぇ、実はアリスの捜索を依頼する為に城下町の衛兵さんに会いに行った時に、見つけたとしても入国許可証がないと門の中には入れないと言われまして、温情として、これを持ってこの街に行きなさいと言われたのですが……」


 アリスの立場と、マリ達の行動に矛盾がない様に、一言一言に留意し整合性を保ちながら話を進める。

 マリは、懐に忍ばせていたグランから譲り受けた紙をカリドへと渡す。

 訝しげに受け取ったカリドは、その紙を松明にかざしながら読み進めて行った。

 すると松明に照らされた無造作な顔は、読み進めていくにつれ徐々に歪み、眉間に皺がよっていく。

 その歪みは最後の手書きの署名を見て爆発した。


「あのじじい! ふざけんな!」


 そういうと、カリドはマリから貰った紙を松明片手にその場で器用にビリビリに破いて、空へと投げ捨てた。


 冷たい風が一つ残らず老兵の温情を攫っていく。


(しまった……! 油断しました! 紹介状が……!)


 マリは、その姿を見て一瞬にしてジーナとアリスを己の後ろへと抱え込んだ。

 唯一の保証を失ったマリは、己の軽率さを悔いながら、次にこの男が何をしてくるのか、そして後ろにいる二人をどう守ろうか考えていた。

 カリドは、松明の明かりを受けて瞳をギラギラと輝かせ、荒い息に伴い肩は上下し、額に手を当てながら立派な彫刻の様に苦悶の様相を見せている。


「はぁ……はぁ……マリさん、取り乱して申し訳ない。

 あなたは旅人だ、きっと知らなかったんだろう。安心してくれ、あんな紙切れ無くとも、あんた達を丁重に扱うさ。汚いがいい村だ、ゆっくりしていってくれ」


 カリドは深く息を吸い、整えながら警戒心を強めたマリに無害だと知らせる様に、両の手を上げながら先に村の中へとゆっくりと歩き出す。


「マリ、カリドは悪い奴じゃない。見た目はあんなんだが、たまたまあの紙が琴線に触れただけで、日が暮れるまでずっとこの場所でオイラの相手をしてくれていた。それに、悪い奴ならオイラはもうこの場にはいない。だからそんなに警戒しなくても大丈夫だ。後、守ってくれてありがとう」


 アリスが、警戒心を最大限に働かせているマリに耳打ちをする。

 遠のいていく松明の明かりと、アリスの言葉を信用し、マリは一時的に警戒を解き、幼い二人を連れ村の中へと歩みを進めた。

 カリドは、マリ達の為にゆっくりと歩いており、追い付くのは容易だった。

 追いついた


「さっきは悪かった。ついつい、殺気だっちまって。久しく閉じ込めていた思い出したくもないものが浮かんできちまってつい……」


 マリ達の気配を察したのか、振り向きもせずに言葉を放つ。


「あの紙、私は紹介状だと言って渡されました。本当はなんだったのか聞いてもよろしいですか?」


 マリは、どうして老兵の思いが暴言と共に風と去らねばならなかったのか、カリドはどんな人物なのか、アリスの判断を信じて付いてきたものの、やはり自分で確かめてみなければ気が済まなかった。


「あれは、紹介状で間違いないよ」


 返ってきたのは意外な答えだった。


「では何故、あんな事を……?」


 一向に振り返らないカリドに対し、警戒を怠らずに、質問をぶつけ続ける。


「この紹介状は、ワースと言ってグーアルイン領の中でのみ使われる紹介状の一つでね、この国が商業の国と呼ばれているのは知っているだろう? 商人というのは、信頼があってこそ成り立つ仕事だ。個人だろうと商会だろうとそうだ。何かをちょろまかそうなんて奴は、誰からも相手にされない。誰かを紹介する時だってそうさ、相手が信頼に足る人物でないと紹介しようにも出来ない。拐かされたり、身ぐるみ剥がされるかもしれないからだ。万が一のそう言った事を防止する為の紹介状なんだが……」


 カリドは小さく口をつぐむ。

 松明の火が小さく弾ける音と、四つの足音だけが暗闇にこだまする。


「あれは、一番信頼してない相手に送る、最も見下した紹介状だ。何かをやらかしたが最後、地の果てまで追いかけて報復を与えると言った、目に見えた脅し文句を添えて、これから俺の信頼を勝ち取っていけよと、上から目線で完全なる格下相手に送るもんだ。こんなもん使う奴は滅多にいない。こんなの送る相手と信頼を築きたい奴なんていないからな。今じゃ専らこれを送る事は相手を侮辱するという意味合いが強い。

 あのじじい、俺がここにいる事を知っていてあんな物送ってきやがった。元部下だった俺がいるのに! ヘナンド村を馬鹿にしてやがるんだ!」


 カリドの腕が小さく震え、松明の火が大きく揺れる。

 うごめく影が、切なげに背中を縮こめていく。


「そうでしたか……知らなかったとはいえ、娘の命の恩人に無礼な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」

「カリド……傷つけてごめん」


 二人は、その場で立ち止まり腰を折る。

 それに次いでジーナも腰を折り、三人の足音がぴたりと止まる。

 老兵の温情にばかり気を取られ、思惑を知らなかったとはいえ、カリドに伝え、怒らせてしまった事は客観的に見てもカリドに責められる言われは無く、マリの方が悪いのは、明らかだった。

 歩く音がしなくなった事に気づき、振り返ったカリドは、女性三人が頭を下げている姿を見てひたすら狼狽した。


「おいおい! 顔を上げてくれ! 誰だって間違いは犯すし、今回に至っては知らなかったんだから、仕方ない話さ! 俺も怒鳴って悪かった! それに、こんな俺にもそれだけ丁寧に接してくれた気持ちだけでも十分さ」


 カリドは三人が面を上げた事を確認して、安堵のため息をつくと、一つ笑みを溢してそのまま歩き始めた。

 その後会話は途切れ、しばらく黙ってカリドに付いて歩くと、足元が野原から土に変わり、雑に掘られた村人お手製の道らしき溝が現れた。

 松明と月の明かりだけでよく見る事は叶わなかったが、その周囲には畑の様なものがあり、根菜類が多く植えられているのか、膝下以下の高さの葉がたくさん並べられているように伺えた。

 畑を抜けると、今度は茅葺屋根を乗せ、石を並べて土で固めた様な、組積造の家が乱立している地帯へと差し掛かった。

 ヘナンド村の住民達の居住地域の様だが、外にはランプや、松明の明かりなどは一切なく、家に窓が無い。小さな木でできた扉の様なものが窓の代わりに壁にはめ込まれているだけだった。

 そのせいで、カリドが持っている松明以外の光という光が一切無い。

 住民は一人として外におらず、皆一様に簡素な家の中に籠っていた。


(治安が悪いというよりも、文明レベルが異様に低いですね。もしかして、こんな何も無い平野で自給自足のみで生活しているのでしょうか? 本当に商業の国の一部とは思えませんね)


「どうだ? 小さいがいい村だろう? みんな助け合ってのどかに暮らしてるんだぜ」

「えぇ、確かに平和そうで良い村のようです」


 カリドの気分を害さぬ様、慎重に言葉を選ぶ。


「だろ?」


 カリドは嬉しそうに振り向き、子供の様に無邪気な笑顔を振り撒いている。


「着いたぜ、ここが俺の家だ。すまんが客人用の家はこの村には無くてね、狭いがうちに泊まって行ってくれよ」


 カリドの家も例に漏れず、組積造の家だった。

 建て付けの悪そうな木製の扉を無理矢理こじ開けて、ただいまと室内に声を響かせ入っていくカリドに続き、三人も恐る恐る中へと入る。


「お邪魔します」

「お邪魔します!」

「お邪魔し……あれ? 扉閉まんないんだけど……?」


 マリとジーナは、びくともしない扉と格闘しているアリスを他所に、中をぐるりと見渡す。

 外から見た時よりも中は意外に広く、十畳程の大きさがあり、木で出来た手作り感満載の家具達が配置も気にせずに散りばめられている。

 石造で窓が無い為か、保温性が高く部屋の中は温かい。

 小さな食卓テーブルの上の蝋燭の光が部屋全体を優しく包み込む。


「おかえりなさい! お父さん!」


 マリとジーナに見向きもせず、カリドに向かって一直線に少女が飛び付いた。


「ティリア! ただいま! 良い子にしてたか? 今日はお客さんを連れてきたぞ! ティリアと同い年くらいの子もいるから仲良くしてやってな?」

「うん、分かった!」


 カリドに抱きつきながら、嬉しそうな返事を部屋一杯に響かせるティリアという名の少女は、一頻り父親に甘えた後、ゆっくりとその背から降りて、三人に体を向けた。


 にこやかに振る舞うその顔は、あまりカリドと似ておらず、目鼻立ちがすっきりと立っており、押し付けがましくない程度に主張のある整った顔立ちだった。


 深々とお辞儀をしたティリアを見て、三人も自己紹介をしていく。


「この二人の母親のマリです、今日はお世話になります。よろしくお願いします」

「ジーナです! ティリアちゃんお世話になります! よろしくね!」

「オイラはアリス! ジーナのお姉ちゃんだ! それと今日カリドに助けて貰った! 本当にありがとう!  ところで、この扉閉まんないんだけど?」


 ガタガタと木が揺れる音を背に、ジーナはティリアに返すようにお辞儀をする。


「マリさん! ジーナちゃん! アリス!  よろしくね!」

「何でオイラだけ呼び捨て……? というか扉! 頼むから扉! 開けっ放しでいいの? なんか入ってきちゃうよ?」

「悪い悪い、アリス嬢ちゃん。今行くよ」


 慌てて駆け寄ったカリドは体全体を使って、力一杯扉を引っ張る。

 もう二度と出られないのでは無いかと思うくらい大きな音と共に木製の扉は閉じられた。


「ふー、そろそろ建て付けどうにかしないとなぁ」

「そうよ、お父さん! アリスの言う通り、扉を開けっ放しにするとコロが入ってきて憑かれるわよ?」

「それは大変だ、早く扉を変えないとな! ははは!」


 家の主達は、軽妙な語り口で笑い合う。

 マリ達一行は、カリド達の話について行けず、笑うポイントが一切分からずに、置いてけぼりにされている。


「あの、コロとはなんですか?」


 マリが興味深そうに質問を投げかける。


「あぁ、コロって言うのはな、この国に伝わる昔話で、だらしない奴の元に現れて、そいつに取り憑いて体を乗っ取っちまう恐ろしい奴の事さ。何でも小さな人みたいな見てくれで、普段は人目につかない様に生活しているらしい。そんで、取り憑かれた奴は別人にでもなったかのようにきっちりした人間になるんだとさ。まぁ、乗っ取られないようにキビキビ動けよって言う教訓話だよ。どこの国でもそんなのの一つや二つあるだろ?」

「ほうほう、なるほど、そうやっていけない事をしたら罰が下ると思わせてダメな事を教えていくんですね」


 マリは真剣に聞き入りながら、大きく首を頷かせている。

 一人の母親として、ジーナを育て上げる意気込みがひしひしと伝わってくる。


「他にはどんなのがあるんですか?」

「他か? そうだなぁ――」


 マリとカリドは昔話について真剣に話し込み始めた。

 気が付けば二人は食卓に座り、子供達を置いて自分達の世界へと入り出した。

 長くなる事を察したのか、ティリアがジーナに対し、仲良くなろうとコミュニケーションを図り始めた。


「あれ、はぶられた」


 アリスの弱々しくも切ない声は誰に届く事もなく、見るも無惨に置いてけぼりにされる。

 一人には慣れているアリスだったが、他人の家でみんながいる中で一人残された経験は無く、どんな顔をしていいのか、どうしていいのかまるで分からなかった。

 アリスは寂しさと切なさを胸に、どうでも良くふと扉に目をやったその時だった。

 アリスの瞳はあってはならない存在を捉えた。


「え……」


 絶句した視線の先には、人の手に収まりきるサイズ感の、全身黒ずくめのフードを被った小人が、扉に貼り付いていた。


「よし、やったぜ! 入ってやった! 夜になるとみんないなくなるからどこにも入れなくて困ってたんだよ、良かったぁー!」


 小人は、アリスに気付いていないのか、扉から手を離し華麗な着地を決めると、部屋の中をうろうろと歩き回り、何やら物色し始めた。


(な……何か入ってきてるんだけどぉ!? こいつ何!? いつから貼り付いてたんだ!? 怪しすぎるだろ!)


「ふんふふふーん」


 戸棚等を開ける様子は無く、子供達の間をするすると器用に抜けながら、機嫌良さそうに部屋を隈なく探っている。

 しかし、アリス以外はこの小人に気づく気配もなく、各々平然と会話を続けている。


(まさかこいつ、他の人には見えてないのか? もしかして、こいつが話にあったコロとかいうやつか? そんな噂をすればなんて事あるのか? え? オイラもしかしてだらしない?)


「食いもん、食いもん、よこしゃんせー、酸いも甘いも食べ尽くす、自慢の胃袋破るほど、食いもん、食いもん、よこしゃんせー」


 おかしな歌を口ずさみながら、淡々と家主がいる部屋をお構いなしに物色していく。


(いや、コロというよりドロだよこいつ! コソドロだよこれ! 完全に人の家のもの盗み食いしようとしてるよ! やべーやつだよ!)


 アリスは瞬きも忘れる程じっと小人を観察し、今や遅しと盗み食いする瞬間を瞳に焼きつけんとしている。


「ん?」


 小人は視線を感じたのか、勢い良くアリスの方に顔を向け、警戒態勢をとった。

 黒衣の下の鋭い眼光は、アリスにしっかりと狙いをつけ離さない。

 アリスは、すんでのところで視線を外して下手な口笛を口ずさんで誤魔化した。

 小人は用心深いのか、鋭い視線がいつまでも突き刺さしている。

 アリスは心臓の鼓動が大きくなるのを感じながら、ポーカーフェイスで口笛を吹き続けた。


「気のせいか……」


 小人は、また雑談溢れるカリドの家を自分の家の様に探り出す。

 小さな音一つ立てずに、慣れた手付きで物をほんの少しだけどかしては探り、どかしては探りを繰り返していく。


(やばい、こいつ絶対にやばい! カリドには助けてもらった礼もあるし、見えてる私が何とかしないと)


 再びゆっくりと、気取られぬ様視線を小人へと戻す。


(どうすればいい……魔法を使って追い出すか……? いや、それは流石にリスクが高すぎる。かといって相手にして見えてないカリド達に変な奴だと思われるのも嫌だし……それで追い出せれば良いが、万が一返り討ちに遭った日にはもう生きていけない!)


「何もねぇじゃねぇか、この家はよぉ……」


 アリスが策を練っている間にも着々と物色は続いていく。


 マリとカリドが話し込んでいる食卓テーブルの周りを攻め終え、ついに家の奥のキッチン部分へと足を向け出した。


「やばい、こいついつかお目当ての物を見つけて盗んで行くぞ……そろそろ覚悟を決めて、捕まえるしか……」


 アリスが小人に向かって、扉の前から一歩踏み出したその時だった。


「……!」


 何かに気が付いた小人が、部屋の奥からアリスに向かって一直線に地面を蹴り出し、飛びかかって来た。


 小人の進行方向には、食卓テーブルでカリドと話し込んでいるマリがおり、今にもぶつかりそうな勢いで小人が突っ込んでいく。


(やばい! マリ、危ない!)


「ほうほう……そんな教……訓もあるんですか、これは勉強になりますね!」


 マリは、話をしながらすんでの所でタイミング良く頭を下げて小人を避け、何事も無かった様に話を続けた。

 遮る物が無くなった小人は、真っ直ぐアリスの元へと突っ込んでくる。


(おい! マリぃ! お前見えてるのかよぉぉ! 覚えとけよぉぉ!)


 心の叫びも虚しく、小人はアリスの肩に乗り、至近距離で顔を覗き込み始めた。


「おい、お嬢……俺の事見えてるだろ? さっきのは気のせいじゃ無かったみてぇだな。まさかあれ、見てねぇよな?」


 フードで顔はよく見えないが、ガン見されている事だけはよく分かる。

 アリスは体をガチガチに固めながら、見えないふりを続けている。


(やばい、バレたら何されるか分からないぞ。あくまで見えないふり……見えないふり……)


「おいおい、もう良いって、分かってるから。あんた魔法使いなんだろ? さっきあんたが体内の魔力を俺に向けた事は分かってんだ」


(バレてる……というか魔法使い? 魔女とは呼ばないのか? 体内にある魔力ではなく、その動きを読み取れるなんて……こいつ相当な強者か?)


 アリスは、小人が何の事を言っているのか理解しきれなかったが、誤魔化せない事を悟りゆっくりと視線を小人へと向ける。

 じっと見つめてみても、何故か顔は影がかかって認識出来なかった。


「それで……見てねぇよな?」


(物色してた事を言っているのか? がっつり見てたけど見てない体で行かないとやばそうだ)


 アリスは小さく首を横に振る。


「そうか、良かった。あんな恥ずかしい歌歌ってた所見られたら俺死んじゃう」


(いや、歌の話かい! ガッツリ聴いてたし見てたけども! それよりもっと気にするもんがあるだろうよ!)


 アリスは、静かに最小限の動きで肩から覗き込んでくる小人を見つめる。


「俺の名前はコロ、お嬢は?」


 聞いた事のある名前を名乗った小人に、周囲に悟られぬ様、口パクで自分の名前を伝える。


「クリスか、よろしく。クリス」


(こいつがさっきの話にあったコロ……というか、どんな間違いだ。男の名前の訳無いだろう)


 間違いに気づかぬまま、話は進んでいく。


「ちょうど良いや、クリス。お前の魔力量半端じゃないから少し分けてくれ、腹減って仕方ねぇんだ、ここ何日も何も食べてない。クリスなら出来るだろ? 俺の歌も良くなるかもしれねぇ」


(歌は一切関係無いだろうが、仕方ないくれてやろう……)


 誰にもバレない様にアリスはこくりと頷くと、手の平を体の目の前に差し出す。


「ありがとう。それじゃ遠慮なく」


 小人は、アリスの掌の上に飛び移った。

 すると、小人の周りにアリスの掌から淡く青い小さな光の粒が湧き上がり、吸い込まれる様に小人の身体の中へと入っていった。


「おぉ、きたきた……ってうおっ! これはまさか……!」


 まるで食べた物を咀嚼するかのように、体内に取り込んだ光の粒を、アリスの掌の上でうずくまりながら吟味している。


「クリス、あんた純血かい?」


 純血という言葉にぴくりと反応したアリスは、表情にあった明るさが消え、俯きながらごく僅か、伝わる程度に首を縦に振る。


(そんな事も分かるのか……こいつほんと何者なんだ……)


「そうかい、どうやらお前さんにとって嫌な事を聞いちまったようだ、俺にとっての歌の様に。すまなかった」


(さっきからちょいちょい歌絡めてくんの鬱陶しいな)


 掌から身軽に肩へと乗り移ると、再びアリスの顔を覗き込む。


「お嬢、俺はあんたが気に入ったぜ。あんたに取り憑いてやる。これからお前の人生、俺が一緒に見て行ってやるよ。いざと言う時は気まぐれで助けてやる。だが、俺に定期的にあんたの魔力をくれよ。そんじゃよろしく」


 そう言い放つと、小人は闇に溶けていく影の様に、アリスの中へと入っていった。


(オイラに拒否権無しか)


 身体の中に入られたアリスは、手を開閉したり、肩を回したりと、自分の体がきちんと動くかどうか試している。


(ふむ……なんかいる。それだけは分かるが、それ以外は特に違和感は無さそうだな。後何かさっきカリドが言ってた話とだいぶ違う奴だったな、めっちゃ変な歌歌ってたし)


(やっぱり聴いてたんじゃねぇか! もーいい! 俺死ぬ! あーもう無理生きていけない! あー終わったわ! はい、コロ死亡! ちーん)


「うわっ!」


 突如として頭の中から捲し立てる様なコロの声が響き渡り、あまりの驚きに大きめの声が漏れ出てしまった。

 辺りが静まり返り、四人全員がアリスの事を凝視している。


「あぁ、ごめんな、アリス嬢ちゃん。話に夢中になっちゃって一人にさせちまった。ちょうど良いし、ここいらで夕飯でも作るか!」


 気を遣ったカリドは、アリスに対して申し訳なさそうに奥のキッチンへと向かって行った。


「私も手伝いますよ」

「大丈夫だ、マリさんはお客人だから、座っててくれよ」


 マリもカリドに続いてキッチンに向かおうとした所、カリドにぴしゃりと止められた。

 カリドは柔和な表情に連れられて、無精髭が口角とともに左右に持ち上がる。


「マリさんなんだかお母さんみたい! うふふ、お父さん、私もお手伝いするわ!」


 ジーナと話していたティリアは、純真無垢な瞳を輝かせながら、カリドの後を追う。


「そんなの私なんかがおこがましいですよ。それでは、お言葉に甘えて、待ってますね」


 マリはカリド家の複雑な事情を垣間見ながら、優しく手を交えながら訂正をいれる。


「お母さんは私のお母さん!」


 ジーナが、話の流れに耐えかねてマリの所に駆け出し強く抱きついた。

 マリは、悶える体を必死に抑えながらジーナの頭を優しく撫でた。


「はは、うちの娘がすまんね。今日は山菜がたくさん取れた。野菜炒めにでもしたら美味そうだ。ちゃちゃっと作るから嬢ちゃん達も適当に座れそうなものを使って寛いでいてくれ」

「ジーナ、良かったですね。野菜炒めですよ」

「野菜炒めー! やったー!」


 満天の星空の様な笑顔を振りまくジーナを存分にわしゃわしゃと撫で回した後、マリは、近くにあった薪に使う様な丸太をコロコロと転がして、三つ椅子を用意した。

 マリとジーナがそれぞれ腰をかける。


「やばい事になったかもしれないなこれ……」


 扉の前でアリスは一人、別件で顔をしかめていた。


「アリス、あなたさては野菜苦手ですね? そんな野菜みたいな苦々しい顔してないで、ジーナを見習いなさい。頂ける事にきちんと感謝をしてください。ジーナの事頼みましたよ」

「野菜みたいな苦々しい顔って何? ちょっとお母さん静かにしててもらえる?」


 先程の件の事を根に持っているのか、当たりが強い。


「好き嫌いはだめですよ、好き嫌いするとあなたにコロが取り憑きますよ」


 マリは厳しめな口調で、どこか満足そうに言い放つ。


(好き嫌いしなくても取り憑かれたわ……変な歌野郎に……というか、あんた姿見えてただろ、許さんからな)


(あー、また言ったよ。もう本当に無理、ここから出てく。もう死ぬから)


(何だよこいつやり口がめんどくさいよ! 何この構ってもらう方法、腹立つんだけど! 何の味を占めたのか分からんけど、最初とキャラ違いすぎだろ! というかこれからこいつとずっと一緒? しかも魔力食わせないといけないの? 何の罰ゲームだよ!)


(あー、またそういうこという、もう良い――)


(もういいよそれ!)


 アリスの周囲にだけ、雨が降っているのでは無いかと錯覚する程に空気が重たい。

 足取り重そうに、扉の前からマリが用意した丸太椅子へと腰掛ける。


「お姉ちゃん、私、お姉ちゃんの事すごく心配してたんだ! 無事で良かった」


 ジーナが頬を緩ませながら、アリスに話しかける。


「ジーナちゃんありがとう。ジーナちゃんは優しいなぁ、お母さんとは大違いだ。良い子に育ってくれてお姉ちゃん嬉しいよ」


 今し方、無事かどうか怪しい状態になったところだが、おくびにも出さずに平静を装う。


「お母さんも優しいよ? ぎゅーってしたらぎゅーってし返してくれるの!」


 曇りの無い笑顔に、アリスの心は少しずつ浄化されていく。


「そっかそっか、お母さんは優しかったね。オイラが間違ってたよ」

「やっとお母さんのありがたみがわかりましたか、もっとちゃんと感謝して下さいね」


 マリは渾身のドヤ顔でアリスを見つめ続ける。


「あー、そうだねー、ありがとう。もっとオイラを助けてくれると尚良いんだけどね」

「そんな態度を取ると、ナレスがニルメッテしに来ますよ」


 満足気なマリに対し、意味不明な言葉を並べ立てられただけのアリスは表情が死滅していた。


「早速、使いこなしてるじゃないか! 勉強熱心だねぇ!」


 キッチンから、小気味良く料理をする音と、共に嬉しそうなカリドの声が鳴り響いてくる。

 自分の教えた事を早速使っている事がよほど嬉しいのか、鼻歌も混じりだした。

 鼻歌が快調にメロディラインを進んでいくと、もう一つの音も被さるように同じ音を響かせる。

 楽しそうに鳴らす鼻歌が、お腹が空いてくるような野菜の焼けた香ばしい匂いを連れてくる。


「さぁ、出来たぞ! みなさんお待ちかねの野菜炒めだ!」

「やったー! 美味しそう!」


 食卓に並べられた野菜炒めと、小さなパンが今日のカリド家の夕食だった。

 五人はそれぞれ席につき、カリドの挨拶に合わせて感謝の言葉を並べ立てる


「神に感謝を――」


 郷に入っては郷に従え、マリ達も関係は一切無いが見様見真似で神への祈りを捧げる。

 一通り終えた後、直ったカリドは上機嫌に音頭を取る。


「よし、食べようか!」


 こうして、マリ達のカリド家での夜が始まった。

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