第4話魔性の女と、衛る兵
薄暗がりの夕暮れ時、街道の一つの終着点であるグーアルイン領正門前。
堀と、自然の要塞がグーアルインへの不法な侵入を拒み、正規のものだけを通すこの門のみが城下町に入る唯一の手段。
縦二十メートル横十メートル程はあろうかという大きな門は、どうぞ入っておいでと言わんばかりに大っぴらに解放しており、松明の灯りが揺れる中、大勢の人間が馬車や歩きで往来を繰り返し、皆一様に武装した衛兵達が門前の橋の至る所で入国審査らしきものを行っていた。
「はぁ……はぁ……やっと着いた……」
「お母さん、大丈夫?」
二人は、林を出てからおよそ二時間かけて、仄暗く夕焼けに照らされた街道を通り、ようやく城下町の前まで辿り着いた。
結局マリは、林の中だろうと整備された街道だろうと、ジーナの手を借りて息を切らしながら歩く事は変わらなかった。
「ジーナ、何度もごめんなさい。そしてありがとうございます」
息を整えながら、ジーナの頭を優しく撫でる。
ジーナは頭を撫でられる度に、可憐な花の様に淑やかで凛とした笑顔を振り撒いた。
その笑顔はこの喧騒の中でも、飛び抜けて光り輝いて見えた。
「さて、ようやく辿り着きました。ここからが本当に注意しなければ行けない所です。ジーナ、私から離れないでくださいね」
「分かった! 私、用心する!」
ここを無事に通過出来なければ、魔女狩りを止めるどころか、今日泊まる宿すらも危うい。
ジーナはマリから出ている緊張感を察したのか、はにかんだ顔を締め直し、背中にぴたりと隠れる様にマリに張り付き、真後ろを付いていく。
すると突然、何かが木に激しく叩きつけられる音が鳴り響いた。
「嫌だぁ! やめてくれ!」
「大人しくしろ!」
橋の上で怒号が響き渡った。
喧騒と視線が怒号のした方向へと一心に向けられる。
どうやら先程の音は何かをしでかした人物が橋の上に転がされた音だったらしい。
「知らなかったんだ! こんな物が入ってるなんて!」
「言い訳は、後でゆっくり聞いてやる! こっちに来い!」
人混みの中から隙間を縫ってマリの目に飛び込んだ光景は、バタバタと暴れる一人の男を衛兵達が組み伏せているシーンだった。
マリは、目の前に突きつけられた恐怖に息を呑んだ。
自分や、ジーナも下手をすればあんな風になってしまうのかもしれない。
捉えられた先で何をされるか分かったものではない、その上、魔女だとばれた暁にはきっと無惨な処刑方法を携えた磔台が待っている事だろう。
ジーナの手が強くマリの袖を握りしめる。
事の全てを理解しているのか、微かに震えているその小さな手を、マリは強く上から握り返す。
何があっても守る、握ってくれた小さな手に、そして心に誓った。
その後深呼吸を一つしてから、ゆっくりと、辺りの景色に溶け込む様に気配を消しながら、自然体で門へと近づいて橋を渡っていく。
門が少しずつ大きくなっていくに連れて、二人の心拍数も上がっていく。
道行く人々のざわめきが異様に煩く感じる程に、二人の緊張の糸は張り詰めていた。
(頼みますよ、このまま何事も無く通してください)
俯きながら、衛兵の方をちらりとも見ずに、真っ直ぐ、自分達が入る事は当たり前であると態度で示す様に、何食わぬ顔で通り過ぎようとしていたその時だった。
「ちょっと、すみません」
マリの心臓が飛び跳ねた。
その場で静止して、衛兵の方へとゆっくりと視線を上げる。
先程までの煩わしいほど雑音でひしめいていた橋の上が、今では己の心臓の音しか聞こえてこない。
ジーナはマリのスカートをしがみつくように握りしめながら、マリの影に隠れていく。
目を向けたその先には、真隣を歩いていた商人が衛兵に呼び止められ、荷物の確認をされている所だった。
(良かった……私達じゃなかったようですね)
安堵の溜め息を吐き、再び歩き出そうとしたその瞬間だった。
「ちょっとすいません」
ドスの効いた声が、マリの体に響き渡る。
飛び出しそうになる心臓と、嫌な予感に苛まれながらも、前を向き、声の主を確認すると、そこには紛う事なきこの国の衛兵の姿があった。
その衛兵は白い髭を蓄えた還暦手前くらいに見える老兵だった。
今度は間違いなくマリ達の正面に立ち、行く手を阻んでいる。
「……何でしょうか」
運が無い。マリは心の中でそう呟いた。
こんなに大勢いる中で、まさか自分が取り調べられるとは思っても見なかった。
はち切れそうな程高鳴る心臓を押さえつけ、平静を装いながら、老兵に対して正面から向かっていく。
その老兵はこういった事には慣れているのか、優しく微笑みながら、相変わらずドスの効いた声で淡々とした口調を心掛けながらマリに話しかける。
「そんなに構えなくても大丈夫ですよ。さっきみたいなのは稀ですから。それではいくつか質問をさせていただきますがよろしいですか?」
マリは静かに頷いた。
マリ達を尻目に、颯爽と門の中へと入っていく人達が横をするすると通り過ぎていく中、マリとジーナの鼓動は更に速く体を振るわせる。
早く終わってくれ、そう願わずにはいられなかった。
「あなた、その目どうしたんですか?」
「これは昔負った怪我のせいでちょっと。詳細は言いたくありませんが、構いませんか?」
「えぇ、結構です。すいませんね、この国は、特に魔女に敏感でしてね、他と違うものは必ずチェックしないといけないんです」
老兵の声質は威圧的だが、口調と態度を最大限柔和にしようと努力しているのが伺える。
その話す内容に対しての態度を鑑みて、想像以上の敵意が無い事を理解したマリは、ひっそりと深呼吸をして、より冷静に思考を回せるように手を尽くす。
「あなた方はこの街に何をしにきたんです?」
老兵が続け様に質問をする。
「観光です。この子を一度だけでも外の世界に連れてってやりたいと思いまして、この街はとても素敵な場所だと聞いて、ヤクナの町からやってきました」
魔女狩りを止めに来たなどとは口が裂けても言えない。
ジーナは老兵からは完全に顔が見えない位置までマリの影に隠れてしまっており、相変わらずマリのワンピースの背中のスカート部分を力一杯握り込んでいる。
「シャイなお嬢さんだね、可愛らしい」
ジーナに向けられた顔はまるで、優しくて慈愛に満ちた好々爺の様だった。
しかし、それもどうやらジーナには逆効果らしく、笑えば笑う程、小さな体は遠のき、マリのワンピースに皺を作るばかりだった。
あからさまに嫌われている事を悟った老兵は、苦笑いを一つすると、すぐ様会話に戻る。
「それにしてもヤクナの町から観光ですか! それはそれは遠い所からよくぞいらっしゃいました。歓迎します。この国はコロシアムが一番の目玉ですから、是非観ていって下さい!」
「コロシアムでは何が観られるのですか? 闘牛とかですか?」
急にテンションが上がりだす老兵に困惑しながらも、適当に言葉を返す。
「うちの目玉を知らないのですか? 魔女狩りですよ。コロシアムを使って、大々的に魔女狩りを行っているんです」
「……!」
老兵は、淡々とした口調で誇らしげな顔をしながら自国の宣伝を打っている。
マリは、その姿を見て少しばかり狼狽えたが、老兵には気付かれる事は無かった。
少しばかりこの国の異様な性質を先程の会話で垣間見た気がした。
「ところで今、ヤクナは大丈夫ですかな? 七、八年前に魔女が暴れたと噂に聞き及んでおりますが」
「……えぇ、普段の魔女狩りの賜物です。なんて事は無かったですよ」
普段見せないようなにこやかな微笑みを浮かべながら、嘘と本当を織り交ぜて、巧みに信憑性を持たせ老兵の信頼を勝ち取っていく。
「そうですか! それは良かった! 魔女狩りはやはり有効ですからな! おかげ様で我が国は魔女による被害は出ていませんからなぁ!」
老兵の顔も次第にほぐれていき、楽しそうに心から表情を動かしていると分かる程にマリは信頼を勝ち得ていた。
「他に質問はありますか?」
マリから老兵に質問をして、主導権を握り返す。
老兵はそれに対し、無いですよと、これまたにこやかに気前良く返した。
「それでは、そろそろ日が完全に沈んで来たので、宿を探さないといけません。泊まれる場所が無くなるのは困りますので、失礼します」
マリがジーナを連れて、老兵の前を後にしようとしたその時だった。
老兵が、再び二人と門の間に割って入ってきた。
「ちょっと待って下さい」
再び現れた老兵の顔は、少しも笑っていなかった。
黄昏時も終わりを告げ、夜の冷たい風が頬を触る。
「質問はもうありませんけど、入国許可証の方を提出していただかないと入れませんよ。ヤクナで発行されましたよね?」
慌ただしく老兵が口にした言葉に、マリは血の気が引く感覚を覚えた。
(入国許可証? そんなもの持ってるわけないじゃ無いですか。第一他の人達はそんなもの……)
辺りを見回した時、マリは全てを悟った。
何故運悪く声をかけられたのか、話の途中から老兵のテンションが上がったのか、入国許可証を自分達だけが要求されているのか。
(商業の国とはそういう事ですか……これは失態ですね……)
マリとジーナ以外、この門を出入りしているのは一人残らず、全て大きな荷物を抱えた商人だった。
そして、もれなく全ての商人は首からネックレスのような物を提げており、それが見えにくい人にだけ、衛兵が声をかけ、荷物等の検査をし、確認が取れたら何事もなく通行していた。
老兵のテンションが上がっていたのは、滅多に来ない観光客だったからで、マリ達はあのネックレスが無い時点で、衛兵に声を掛けられる宿命にあったのだ。
「さぁ、入国許可証を見せて下さい」
先程までとは打って変わって、好々爺から仕事をする一人の衛兵になったこの老兵を納得させるには、入国許可証を提示する以外の方法は無さそうだった。
(どうしましょうか……入国許可証なんてものは持っていませんし、下手な事を言えばジーナ共々磔台に一直線でしょう。それだけは避けなければ……)
マリは、腕の動かし方一つから己の身の振り方を徹底的に思索する。
「すいません、入国許可証持ってないんです。そんな物が必要だなんて知らなくて……」
マリは視線を落とし、不安と、娘に外の世界を見せてあげたいという想いが届かない失意を、老兵に伝えるようにわざとらしく顔に出して情に訴えかける作戦に出た。
同情を誘うという、少し作戦としては心許ない方法を取らざるを得ない程、事態は困窮を極めていた。
「ふむ……そうですか……」
相変わらずのドスの効いた声は、威圧的なイメージを押し付けてくるが、表情はマリとジーナを疑っている様子は無く、どちらかと言うと、二人を入国させてあげたいと悩み苦心してくれている様に感じ取れた。
その曖昧なニュアンスの違いをマリは見逃さなかった。
「やっぱり入国許可証が無いと入れないですよね……折角来たのにこの子にこんな素晴らしい国の姿を見せてあげられないのは残念ですが、今から帰ります」
マリは、観光に来る人間がほとんどいない事を逆手に取り、入国許可証というものの存在があやふやになっている可能性に目をつけ、忘れても仕方がないという言い訳を得る為に一芝居打った。
老兵の態度を顧みてもこの芝居が、見破られる事は少ないと踏んでの判断だった。
それに、例え国に入れなくとも、状況が悪化の一途を辿っている今、この場から無事に離脱できればマリにとっては御の字だった。
「ジーナ、行きましょうか」
ジーナはこくりと頷き、マリの横へぴったりとつけると、これでもかというくらいにマリの服を強く握りしめた。
ごめんねと、マリはジーナに優しく話しかけ、頭を撫でる。
ジーナもマリに気を遣わせまいと、屈託のない笑顔で振る舞い続けている。
もう日は完全に沈み、松明の明かりの外は、ほのかに照らす月明かりのみでしか認識する事は出来ない。
冷たい風が吹きさらし、亜麻色と、緋色の髪を強くなびかせながら街道の上を我が物顔で走り去っていく。
まるで過酷な旅から目を逸らすように、二人はにこやかにどこか冷たく、街からゆっくりと離れていった。
「……」
老兵の心はマリの思惑通りに揺れていた。
この二人は獣か盗賊なんかが来たら途端にやられてしまうだろう。
夜の闇に隠されて、ひっそりと残酷な仕打ちに遭う姿を、今、許可証が無いと追い払う事により、現実のものとしてしまう恐れがある。
つまり、それは老兵が二人を見殺しにしたと言っても差し支えない状況だった。
ただでさえ、一日、二日じゃとても辿り着けないような帰路に、何の補給も護衛もなく旅立たせる事に大きな罪悪感を抱いていた。
冷静に考えれば、夜道をそのまま真っ直ぐ帰ろうとする方がおかしな話なのだが、追い払った手前、そんな考えは毛頭浮かぶ事はない。
不思議な事に、追い払った老兵ではなく、追い払われているマリが主導権を握っている状態になっていた。
徐々に小さくなっていく二つの丸まった背中は、老兵には寂しさと覚悟を背負っている様にすら見える。
気が付けば、老兵の口は勝手に動いていた。
「お二人共、少し待って下さい!」
ぴたりと止まった二つの足に安堵する老兵。
松明の明かりを背に、マリの口角が不敵に上がるのを月だけが見ていた。
完全なる作戦勝ちだった。
「何でしょう?」
マリは気を抜かずに弱々しく、意気消沈といった顔で老兵の声に反応する。
「いやぁ、その、城下町に入れる事は規則上どうしても出来ないのですが、もう夜も遅いですし、今から帰るとなると危険です。ここから東に一キロ程行った場所に、ヘナンド村という村があります。是非そこに泊まっていって下さい。ただ……」
老兵は気まずそうに目を背け、溜め息ともつかないような息を一息吐いた。
「ただ……何でしょう?」
「少し訳有りで、あの村は治安が悪いのです。夜の街道を長旅で通るよりかは安全ですし、悪さをしないように私が守衛隊隊長として、あなた方の紹介状を書かせていただきます。どうでしょうか?」
老兵は、完全にマリの術中にはまっていた。
ただの観光客に、そこまでしてやる義理は本来無いのだ。
ただ黙々と業務を遂行し、入れるべきモノを街に受け入れて、排斥すべきモノを徹底的に排除する、それで老兵の役目は終わっていたはずだった。
ただ罪悪感と情を揺さぶられただけで、しなくても良い紹介状をわざわざ自ら申し出て書き、得体の知れない隻眼の子連れ女性をすすんで自分達の領地の村に泊めようというのだ。
これらは人々の間では優しさなどと呼ばれているが、老兵からのそれは、マリにとってはただの利用出来る感情の揺れ程度でしか無かった。
そんな事とはつゆ知らず、老兵はこの提案をマリが受け入れてくれる事を固唾を飲んで見守っている。
(やはり人間は良いですね。人というのはこうでないと)
マリは再び不敵な笑みを浮かべる。
「そこまで親切にしてもらえるなら断る言われもありません。ありがとうございます。是非、お言葉に甘えさせて下さい」
不敵な微笑みに覆い被せる様に、とってつけた様な笑みを浮かべる。
その言葉を聞いた老兵の顔は、雲からひょっこり現れた太陽のように、白い髭が勝手に動き出しそうな程無邪気な喜びを惜しみなく表現していた。
「分かりました! では、紹介状を持ってきますね! 暫しお待ちを!」
そう言って門に併設されている詰所の様な場所に向かって、行商人達の荷馬車をするすると避けながら、軽快な足取りで帰っていった。
老兵がいなくなった事を確認して、後ろで隠れていたジーナがマリの前へと回り込み、勢い良く抱きついた。
「ジーナ、ナイスです。私のミスで街には入れなかったですが、ジーナのおかげでこの国には留まれる事になりました。本当にあなたには助けられっぱなしです」
慈愛に満ち溢れた優しい手つきでジーナの頭をゆっくりと撫でた。
「ジーナ、気が気じゃなかったよ……」
とても七歳の口から出た発言とは思えない言葉選びに、マリは抑えきれずに失笑した。
先程までの緊張感から解き放され、しばしの緩んだムードが、二人の心を落ち着かせていく。
二人は、束の間の談笑に花を咲かせた。
通り過ぎる馬達も、人の何十倍の大きさの門も、ジーナにとってはどれも初めて見るものばかりで、話の種は尽きなかった。
談笑し始めてから十分程経った頃に、一枚の紙切れを手の中で風に揺らしながら、老兵が再び軽やかにマリとジーナの元へ現れた。
ジーナはいち早く老兵の気配を察知して、マリの背後へと隠れる。
「お待たせしました。すみませんね、もう歳で、何をやるにも時間がかかってしまって……そろそろ一線を退いても良い頃だとは思っているんですが、どうも周りが頼りなくてお節介を焼いてしまっていましてな……」
老兵は恥ずかしそうに辺りを見回しながら頭を掻き、一枚の紙を丁寧に両手でマリへと手渡す。
紙を覗くと、この紙を持っている者を丁重に扱うように、もし何かあったら場合はその者が被った痛みの分以上の制裁を加えるといった文言が書かれてあった。
その下の欄に手書きでグランと、老兵の名前らしき署名が入っていた。
「いえいえ、待っている間も旅の一部ですよ。書類ありがとうございます。これで安心して泊まることが出来ます」
書類を見終えたマリは、老兵の言葉に深々と頭を下げる。
マリの動きを見て、ジーナも同様に頭を下げる。
「それで、お代の方は如何程ですか?」
「お代などいりませんよ。ほんのじじいのお節介だと思って下さい」
そう言ってグランは、自慢気に蓄えた髭をしきりに触っている。
「本当は、この素敵な街を観光していって欲しかったんですけどね、自由に出入り出来るのはまだ商人だけなんですよ。まぁ、行商人への信頼のみで、あのネックレスを渡して自由に出入りさせているからこそ、今の栄えたグーアルインがあるので、そう悪くは言えませんが」
余計なしがらみを無くし、認められた者にだけネックレスを持たせ、自由に交易をさせる。
行商人は、ネックレスを貰った事により、身柄を明らかにし、信頼を得た事になる。
その信頼を裏切れば、折角手に入れた自由に商売出来る地を、手放す事になる上、後々の行商人としての己自身の生活が危うくなる為、街にとって害のある物は入って来ない。という仕組みでこのグーアルインという街は世界に多大な影響をもたらす程に短期間で成長してきた。
それ故に、国力を上げる価値の薄い観光客に対するルールに関しての整備が疎かになってしまう事は、致し方の無い事だった。
「ルールは守らないといけません。貴方の粋な計らいでこの国に留まれる事をありがたく思います」
もう一度マリは深々と頭を下げる。
「それでは、私達はこれで失礼しますね。何から何までありがとうございました」
「こちらこそ、良い旅路を」
マリとジーナはグランに見送られながら、ゆっくりと行商人達から逆行する様に橋を渡っていく。
ジーナはマリにぴったりと寄り添い、マリはジーナの肩に手を置き気遣いながら、互いに互いを支えとして進んでいく。
「あれこそが、人の在るべき姿だ。久々に良い物を見た」
グランは微笑みながら独りごちた。
「あっ、最後に一つだけ、言い忘れてました」
しばらく歩いたところでマリは、突如として振り向いた。
グランは完全に気を抜いて、孫と娘を見る優しいお爺さんになっていたところを見られ、頬を赤くし、若者が照れ隠しでもするように意味もなく髭を触りたくっている。
「な、何でしょうか? まだ私に何か用事が?」
マリは湿った瞳を優しく瞬かせ、小さく微笑んだ。
「お節介を焼かれるようになるまでは、一線を退く必要は無いんじゃないでしょうか? 貴方のような優しい方は人を笑顔にしますから。私達がそうだったように、きっとこの先もまだ貴方に救われる人が出てくるでしょう」
マリはくるりと振り返り、手を頭上でひらひらとさせながら、グランと城下町に一時の別れを告げた。
「ふふっ、もうお節介を焼かれてしまった。全く敵わんなぁ」
松明の明かりから徐々に遠ざかっていく旅人二人を、全てを飲み込んでしまいそうな暗闇と、対抗するように淡く彩る一筋の月明かりだけが包み込んでいた。
グランは緩んだ口角を隠そうともせず、部下達の待つ仕事場へと戻っていった。
「お爺さん、優しかったね!」
ジーナはずっとマリの影に隠れていたはずだったが、何処かご満悦の様子を浮かべている。
「ふふっ、そうですね。みんなあんな風に優しければ良いですね」
「ジーナ、もっと優しくなりたい!」
「ジーナはもう天使のように優しいので、これ以上優しくなったら神様になっちゃいますね」
「崇めよー!」
マリは崇拝したふりをしてジーナを抱えて持ち上げる。
嬉しさ混じりの悲鳴が、深い闇夜に飲まれた街道に溶けていく。
軽々しく持ち上げられたジーナは、マリに正面から勢い良く抱きついた。
「おぉ……ふふっよしよし……さて、一先ずの危機は去り、お次は聞いたこともないような治安が悪いと噂の辺境の村ですが……」
東の方を仰ぎ見る。
街道から逸れて、全く整備されていないただの野っ原が闇の中に延々と広がっていた。
「魔女狩り……止められますかねぇ?」
ゆっくりゆっくりと、ヘナンド村に向けて歩みを進めていく。
相変わらず、マリの体力は皆無な為、亀よりも遅い速度で着実に進んでいく。
「ジーナ、村に着いたら野菜炒め食べられますからね」
「やったー! 野菜炒め! 野菜炒め!」
ジーナは喜びが溢れ出て、強くマリを抱きしめた。
柔らかい感触と、花の様な甘い香りが、マリの鼻腔をくすぐり抜けていく。
「あっ……」
悦びが溢れ出て、体が反応したマリを他所に、ジーナはマリの胸に顔を埋め、すりすりと頬を擦っている。
(もう、色々と限界なんですが……もう少し頑張りますかね!)
二人は、道無き道へ、一枚の紙を頼りに闇夜の中へと消えて行った。
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