第3話不自然な自然体

「ほら! はやく行くぞ! 魔女狩りを止めるんだろ?」


 山に真っ直ぐ背を向けて、木漏れ日が優しく包む林の中を三つの人影が枯葉や枝を踏み鳴らし進んでいく。

 先頭を行き、後続の二人を勢いよく離していくのは、アリスだった。

 アリスは、マリに己の扱いの雑さに徹底抗戦し、何とか城下町を歩いても、後ろ指を差されないくらいの小綺麗な緑を基調としたワンピースを手に入れて、上機嫌に道を進んでいた。


「ちょっ……待ってください……私、体力には自信ないんです」

「お母さん、大丈夫?」


 村にどこにでもいる様な、バンダナを巻いた華奢な肝っ玉母さんになったマリは、息を荒げ、その辺で拾った大きめな木を杖代わりに突きながら、元の服装に戻ったジーナに左側を寄り添われる様に山を一歩一歩ゆったりと下っていく。

 既に一行は山を二合分降りてきている為、マリの虚弱な体は悲鳴をあげていた。


「ありがとう、ジーナ。ジーナのおかげで無事に歩けています」

「うん! 見づらい方は私に任せてね!」


 マリは首を真っ直ぐジーナの方に向けて、優しく微笑んだ。

 ジーナは、母の嬉しそうな顔に対し、邪気の無い澄み切った笑顔を返した。


「ほらほら、手早く歩く! もたもたしてたら林の中で日が暮れてしまうぞ!」


 後ろで行われている親子の微笑ましい姿などどこ吹く風、アリスは道なき道をするすると抜けていく。

 腰程まである灰色の髪をふわりふわりと巻き上げながら、足元の悪い道を慣れた体捌きでひらりと華麗に進んでいく。


「アリス! 少し早いですよ、お母さんを置いていかないでください、あんまり調子に乗って進んでいると転びますよ! 転びたくなかったら休憩を入れましょ――」

「大丈夫だ! まだまだオイラはいけるぞ母さん!」


 余裕を見せようと、振り向いてマリに体を向けながら後ろ向きで歩いていたアリスに悲劇は訪れた。


「あっ……」


 消え入りそうな声だけを残して、マリとジーナの視界からアリスは一瞬で消え去った。


「あっ」

「あ!」


 あまりに唐突な出来事に、二人は呆ける事しか出来なかった。


「だから言ったんですよ、休憩しようって。はぁ……全く世話が焼けますね」

「アリスお姉さん、大丈夫かなぁ?」


 ジーナは悲しそうに、マリの袖の辺りを強く握りしめている。


「大丈夫ですよ、アリスは。あの子は私より強いですから。さぁ、私達はあの子の屍を越えて、危なくない道を渡りましょうね」


 マリは、そっとジーナの手を握り、ゆっくりと木の杖を突きながら、アリスが消えていった場所を迂回する様に先に進んだ。





「いてて……」


 落ち葉の溜まり場に、体の三分のニが埋まった状態で、アリスの体は落下をやめた。

 伸ばした腕の脇腹部分が引っ掛かりの役割をして、腕から上の部分は、なんとか呑まれることなく地上の空気に触れている。


「こんな所にクッションがあったのは不幸中の幸いだな! ガハハ! まぁ、あれくらいじゃクッションなんか無くてもオイラはびくともしないがな! ガハハ!」


 足を踏み外したせいで二人とはぐれたというのに、何故かやたらと余裕があるアリス。


「とりあえず、追いかけるか! マリ……じゃなかった、お母さんめ、やはりオイラを置いていったな……後で覚えておけよ?」


 落ち葉のクッションに手をついて、起き上がる。


「よいしょっと!」


 しかし、体は持ち上がる気配を一切見せなかった。


「……あれ?」


 何度も持ち上げようとするが、落ち葉に深く刺さってしまい、幼女の腕力だけじゃ持ち上がらなくなってしまっていた。

 何度も試してみるが、無情にも時間だけが一人、過ぎ去っていく。


「嘘でしょ? 待って、これやばいやつなんじゃないか!? 誰か助けてくれー! マリ……じゃなくて母さん! ジーナ!」


 今になって事の重大さに気づいて喚いても、時既に遅し、マリはジーナを連れて先に林を抜ける選択をした後だった。


「どうする……魔法を使うか? いやでも、もう村が目の前にあるし、誰かに魔法を使った所を見られたらトカゲの尻尾みたいにマリ……お母さんに切られてしまう……」


 落ち葉の風呂に浸かりながら思考を回す。


「あっ! 手で落ち葉を掻き出せば良いじゃないか! ガハハ! オイラ天才!」


 考えた挙句に出た答えは、誰でも思いつく原始的な方法だった。


「こんな所でじっとしているわけにはいかないんだ! 日が暮れる前にここから出なければ! うぉぉぉ!!」


 アリスは無我夢中で落ち葉を掻き出し始める。

 アリスが掻き出した落ち葉は宙を舞い、大量の落ち葉の雨が辺りを覆っていく。


「うぉぉぉぉ!!!」


 徐々にアリスお気に入りのワンピースが地表に現れてくる。

 落ち葉掻きを始めてから数分が経つ頃、周囲を舞う落ち葉はゆっくりと、そして着実に別の落ち葉溜まりを作り始めた。


「うぉぉぉぉ!!!」


 アリスの真剣な表情に、一筋の汗が滴り落ちる。

 体がようやく半分程出たか否かという所だった。


「おい、お嬢ちゃん、何してんだ?」


 今までに聞いたことがない様な、低い男性の声が落ち葉同士の擦れ合う音の合間を縫ってアリスの耳に届く。


「うぉぉ……って、ん?」


 声がした方を覗くと、そこには中年の無精髭を生やした、冴えない顔の痩せ型の三十代くらいの男性だった。

 身に纏っている衣服は、落ちそうにない様なシミ汚れと修復しきれていない穴が複数開いている、つぎはぎのボロで、背中には大きな籠を背負っており、中にはきのこや山菜等が半分程詰まっていた。

 そして、男性の衣服にはとても似合わない様な、ピカピカに光る黒い首輪を着けていて、首回りだけが異様に浮いていた。

 その男性は、不思議そうな顔をしてアリスの方を見下げている。


(うぉっ! 人間だ! やばいどうしよ、そういえば人間とまともに話した事なんてあの時以来ないぞ……どうしたら良いんだ?)


「お嬢ちゃん? こんな所で何してるんだ? 大丈夫か?」


 男性はニコニコと微笑みながらアリスを観察している。

 アリスが舞い上げた落ち葉も無くなり、静けさが辺りを包み込む。


(やばい、とりあえず何か応答しなきゃ、それに出来ればすぐに落ち葉から出して欲しい!)


「オイラ、歩いてて楽しくなって、それで落ち葉にどハマりした!」


(あれ? オイラ何言ってんの? 緊張して変な事口走ってしまった! それだとただ遊んでるだけの子供になっちゃうじゃないか!)


「そうか! 楽しそうで何よりだ! それで親はどうした?」


(やっぱり伝わってない!)


 男性の顔は、はにかんだ表情を崩さないが、目は笑っていない。


(やばい! 疑われてるのかこれ! バレたらマリに何をされるか分からんぞ! とりあえず一人で林に入った事にしよう。あいつらはもう外に出ているはず)


 アリスの緊迫した表情を、大量の冷や汗が頬をなぜる。


「落ち葉には一人で入った。お母さんは入ってない」


 アリスは顔を強張らせながら、必死に言葉を紡いでいく。


(あれ? またミスったかこれ? お母さん林じゃなくて、落ち葉に入るか入らないか迷ってるみたいになってないかこれ? ものすごい無邪気なお母さんじゃないかこれ?)


「お母さん……そうか、それで君はまだ遊んでくのかい?」


 男性からの問い掛けに対し、アリスは首を全力で横に振る。


(これ以上墓穴を掘ることはできん、何をしたいかだけ簡潔にジェスチャーで伝えよう。とりあえず落ち葉から出して!)


「そうか、じゃあ、暗くなる前にさっさと帰りな! お母さん心配するだろうから」


 そう言い残して、男性はにこやかにアリスの元から去っていく。

 無情にもカサカサと落ち葉を踏む音が遠のいていく。


(あ! やばい! 行ってしまう!)


「待って!」


 男性はぴたりと動きを止めた。

 振り向いた先には、アリスが潤んだ視線を一心に注いでいる姿があった。


「待って……出れない……助けて……」

「……分かった、助けよう」


 男性は半笑いの呆れ顔でアリスの腕を掴み、地面から大根を引き抜くかのように、落ち葉の山からすっぽりと取り出した。

 その時のひしゃげた顔はまるで引き抜くと悲鳴を上げ、聞いたものを発狂させると言われているマンドラゴラの様だった。



 一方、マリとジーナは一足先に林を抜けて、目の前に村を臨む平野の景色を瞳に写していた。

 平野はマリ達が思っていたよりもずっと広く、正面一キロ程先に街道の様な整備された道が一本と、左に数キロ離れた場所に一つ、家が立ち並ぶ集落があるだけで、残りはもれなく全て緑の絨毯とその上を優雅に歩く家畜達の姿が広がっていた。


「はぁ……はぁ……なんとか抜けましたね。ジーナ、ありがとうございます。助かりました」


 息も絶え絶えに、ジーナの頭を撫でて労をねぎらう。


「なんのその! 私ずっと寝てたから元気いっぱい!」


 ジーナはキラキラと目の前に星が見えそうな程、煌びやかな笑顔を振り撒いている。


「かっ可愛い……!」


 鼻の下を伸ばしながら、マリは手に持っていた木を放り投げ、ジーナを抱き抱えた。


「お母さん、私まだ歩けるよ!」


 白い歯を見せながら、手足をばたばたとさせるジーナと、ヒクヒクと怪しい体の動きをしながら、蕩けた顔をしているマリ。

 先程までの疲労などまるで無かったことのように軽々とジーナを持ち上げる。


「私が歩くのを助けてくれたお礼に、今度は私が抱っこしてあげますよ」


(と言いつつ、ただジーナを抱っこしたかっただけなんですけどね。厄介なのもいないことですし、やりたい放題です!)


 締まりの無い顔でジーナを抱きかかえながら、街道らしき道へと歩を進めていく。


(とりあえず、あの街道沿いを進んでいきましょうかね。そうすれば城下町の門には辿り着けるはずですから)


 マリは軽快な足取りで街道へ真っ直ぐ歩き出す。


「ジーナ、少し大きくなりましたね。すくすく成長していて、嬉しい限りです。箒での旅も我慢出来るようになってきてとっても偉いですよ」


「えへへ、私、もうすぐナイスバディーになるんだー! 心も身体もお姉さんになるの!」


「うふふ、どこで覚えてきたんですかその言葉」


 笑顔の絶えない仲睦まじい親子の会話は、殺伐とした世界にも、一時の安らぎの時間を与える。


(こんなに楽しい時間は久しぶりですね。ずっとこうしていたいくらいです。それにしても、ジーナってなんでこんなに良い匂いがするんでしょうか)


 マリは、ジーナの首筋に顔を近づけた。

 すると、まるで悠然と咲き誇る花の様な鮮やかな香りが鼻の奥を抜けていった。

 そして、マリは歩くペースを少し落とす。


「ジーナ、お花畑にいました?」


 マリはジーナの色香に思わず突飛な質問を口にした。


「ジーナは、ずっとお母さんのローブの中に居ました!」

「なら私のローブの中はお花畑ですね」

「庭師もびっくりだね!」

「ジーナ、語彙力がすごいですね」


 また、二人の楽しそうな笑い声が緑一面に響き渡る。

 それと同時にマリの歩みはまた徐々にゆっくりになっていく。


「ジーナ晩御飯は何が食べたいですか?」

「んー、野菜炒めが食べたい!」

「野菜炒めでいいんですか? もっと良いものでも大丈夫ですよ?」

「野菜炒めがいいの!」

「そうですか、分かりました。では、今晩のご飯は野菜炒めにしましょうか」

「やったー! 約束ね!」

「はい、約束です」


 ジーナに優しく微笑みかけているが、ついにマリの足がぴたりと止まった。


「ジーナ……ごめんなさい、もう限界です。降りてもらっていいですか?」

「分かった! お母さんありがとう!」


 五分もしない内に、己の足で歩く事となったジーナは不満そうな顔一つせず、街道に向かって早足で駆けていく。


「あー、ジーナ待ってくださーい」


 マリはよろよろとジーナの後を追いかけ、歩みを揃えて進み始める。

 気が付けば、太陽はゆっくりと沈む準備を始めていた。

 二人の影は長く伸び、ほのかに肌寒く感じる風が草と二人のスカートをひらひらと揺らす。


 二つの伸びた影の真ん中、繋がって揺れる細い影は黄昏の中の幸せの形をしていた。

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