第2話 テンプルを戻る
「蓮くん、待たせてしまってごめんなさい」
「僕も今来たところだよ」
駅の外で柱にもたれて待っていると、目が合ったりむは小走りでやってきた。今来たところなんて言ったけれど、本当はコンビニのATMでなけなしのバイト代をおろして三十分前から待ち構えていた。りむを待たせるのはなんとなく嫌だし、ましてや僕のせいでりむに時間を使わせてしまっているのだ。
「蓮くんはおしゃれですね」
「外見が重要って言うからにはこれくらいはしないと。でも、りむに比べたら全然だよ」
今日のりむは幅の広いポニーテールを赤いリボンで結って、つやつやの赤いアンダーリム眼鏡をかけている。深紅のプリーツスカートにダークブラウンのセーターが秋の終わりにぴったりだ。
「どうです? 今日の私の眼鏡は。似合ってますか? 一番ですか?」
「うん、似合ってるよ。一番と言われると分からないけど」
「そうですか……」
先程まで犬の尻尾のように揺れていたポニーテールが、力なく垂れる。何もそこまで落ち込まなくてもいいんじゃないだろうか。
「今日、その一番を探しにいくんだろ?」
「はい! そうでしたね」
二駅先の大型ショッピングモールには、眼鏡屋が三店舗ある。実物を見ながら探すならうってつけだ。改札をくぐり、ホームへと向かう。
「りむ。はぐれないように」
「うん……ありがとう」
左腕を差し出して掴ませる。小柄なりむは、駅の人混みではぐれでもしたら見つけるのが大変だ。
「こうして二人で出かけるのって、いつ振りでしょう」
「部室でいつも顔を合わせているから気にしてなかったけれど、中学の時以来じゃないかな」
「えへへ、久しぶりですね」
僕の腕を楽し気に揺らすりむに、こちらまで楽しくなってくる。
りむは女性用眼鏡が並ぶ棚の上、自分の背丈ほどの高さにある幅の広い鏡を睨みながら愚痴をこぼす。
「眼鏡って基本的には目が悪いから買いに来るわけじゃないですか。なのに試着する時は度なしのレンズ越しに、こんな小さな鏡を見ないといけないんですよ?」
「今日は僕を鏡代わりにするといいよ」
「ありがとうございます蓮くん。お礼と言うにはおかしな話ではあるのですが、私も蓮くんに似合う眼鏡を探してあげます」
「僕はいいよ。かけないし」
「……もしそうだとしても、もし君が買うときの参考と思えば。それに、私がずっとかけるばかりだと疲れちゃいますから」
〇-〇
「蓮くんに青は今一つですね」
二店舗目。ここにもピンとくる眼鏡はなくて、今はりむが僕に眼鏡を渡してくる。どうやら僕の顔には暖色が似合うらしい。
「そうすると、さっきの店でりむが選んでくれたクリアレッドのフルリムのが一番かな」
「そうですね。青い眼鏡って難しいんです。肌に対して近似色でなければ補色でもない。どうしてもなじみにくいんですよね」
「でも、りむにはよく似合うよね?」
「なにを隠そう肌が青白い以外に極めて平均的な私の顔には、あらゆる種類の眼鏡が似合うんです! 眼鏡の女神、略してメガミってやつです」
胸に手を当てて誇らしげにしている。どんな眼鏡でも似合うようにするために髪型は幅広いアレンジのきくセミロングだし、服装だって眼鏡を軸に決めている。
りむにとって眼鏡こそが自分の中心だ。そのメガミの称号は誇っていいと僕も思う。りむのファッションセンスは、まだアルバイトのできない頃に『ないものでどうやって可愛く見せるか』という涙ぐましい努力によって培われたものだ。
「もう眼鏡要素ないよその言葉! でも、僕がメガミに一番似合うと思う眼鏡はないなぁ。どれも間違いなく似合ってはいるんだけれど、全部似合うからこそ飛び抜けた一つがないのかも」
「残念ですが、仕方ありませんね……」
りむは見るからに肩を落としている。
「まだ一店舗ある。諦めるには早いよ」
〇-〇
「うーん……」
「どうしたんですか? 蓮くん」
結局巡った三つの眼鏡屋に僕が一番だと思うものはなく。でも、初めからそうなるかも知れない予感があった。
陽の落ちた家路を、りむを送りに並んで歩く。秋晴れの日には珍しく星が見えない。前を向いたまま僕はりむに返した。
「りむは、素顔のままが一番魅力的だと思う」
「えっ……」
「眼鏡じゃなくて、コンタクトレンズ買おうよ」
両手で眼鏡のテンプルを包み込んで立ち止まる。街灯が遮られて顔が見えない。
「うん……分かりました」
手を下ろした後には、意を決したような顔をしたりむがいた。
「ありがとうね。蓮くん」
〇-〇
「どう? 一週間過ごしてみて」
「頭が軽い感じはしますね。目薬が欠かせないのが大変ですが」
ポケットから取り出した小さなボトルを恨めしく見つめる。眼鏡をかけていた時の癖か、険しい顔つきが抜けていない。
目薬、必要ではあるけれどそこまで大変だったかな。人によるか。
「最初は大変だろうけれど、じきに慣れてくるよ」
「蓮くん。申し訳ないのですが目薬さしてくれませんか? ちょっと苦手で……」
「いいよ。椅子に座って」
りむは座ってスカートを握り締める。僕は背後に立って、上を向いたりむの顔を覗き込むが。
「りむ。梅干しみたいな顔してちゃ目薬が入らないよ」
「うう……怖いよう」
「子どもか」
顔のパーツを全部眉間に向かって集めようとしている。せっかく可愛いのに台無しだぞ。仕方ない、こういう時は。
「あ! 天井に眼鏡型のシミが!」
「え? どこです──ひゃっ!」
目を開けた瞬間に液が眼球に当たる。驚いて椅子ごと後ろに倒れるりむは壁になった僕で止まった。
「シミはどこですか?」
「もう片方はどうしようかな──」
目薬さすだけでこんなに苦手なら、レンズは一体どうやって──? まあ、ちゃんと着けているってことは問題ないのか。子どもじゃないし、僕が気にすることじゃない。
目薬を終えたりむはぐったりと机に伏せている。
「運動のあとじゃあるまいし……」
「運動……そうですね、これは革命運動といっても過言ではありません」
「
「……そうであれば、同じレンズ四枚を揃えるのは難しいということです」
「その大富豪目薬革命が成功すると?」
りむは上半身を起こして両手で頬杖をつく。相変わらずしかめっ面だ。部室に射した西陽は僕の背に当たって、伸びた影がりむを覆う。
「世界はいい方向に逆転する、はずだと思います」
抽象的だけれど、眼鏡からコンタクトレンズに変えたことはりむにとっても大きな変化なんだろう。
「成功するといいね。眼鏡かけてないりむ、新鮮でいいと思うし」
眼鏡をはずしてからはおろしたままのセミロングを毛先を右の人差し指でいじりながら、りむは口をとがらせた。
「新鮮の何がいいんですか?」
「りむの新たな一面を見られるのが、なんかいいなって」
今までずっと眼鏡のりむばかりを見てきた。眼鏡をとったりむは、一つ成長した姿に見えてなんだか嬉しくなる。
「……君がそう言うなら、仕方ありませんね」
「来週からもそのままで過ごすの?」
「はい──きっとこれが、私のかけるべきめがねなんです」
しかし月曜日も火曜日も、りむは学校を休み。
僕の送ったメッセージが読まれることはなかった。
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