五十歩百歩

「彰。貴方は、一体何を求めているの」


 想い人の幼馴染は、酷く不快そうに顔をゆがめながら、それはそれは低い声で言う。さて、それが何について言っているのかは、残念ながら知力学力ともに彼女の足元にも及ばない自分にはわからないけれど、取り敢えず、返す言葉は一つだけ。


「さあ、僕は何も求めてはいないけれど、そうだね。満月が幸せであって欲しいかな。彼女の幸せは僕の幸せだし、僕は幸せでいたいからね」


 へらりと笑ってそういうと、彼女の眉間に刻まれたしわが一層深くなる。満月がここにいたのなら、しわがとれなくなっちゃうよ? とあのふにゃりとしたかわいらしい笑顔で困ったように言うのだろうが、僕はそこまで優しくない。と、いうか。恋敵とまでは言わないまでも、自分の恋路に邪魔でしかない人物を心配できるほどできた人間でないのだ、僕は。もちろん、愛する彼女の前ではそうふるまっているけれど。


「質問を変えるわ。貴方は、満月に何を求めているの?」

「おやおや、なにをわかりきったことを。さっき言っただろう? 僕は、満月に幸せであってほしい。ただ、それだけだよ」


 にこりと微笑む自分と、ただただ不快そうな彼女。はたから見れば、随分不釣り合いな組み合わせなのだろうけれど、今に限って問題はない。何せ、ここは僕の自室。同じ部屋に年頃の男女が二人きりというのも、どこか不健全であるけれど、僕と彼女に限って何の間違いも起こりようがないので、あえて黙っておく。


「……とんだ偽善者ね。吐き気がするわ」

「それは奇遇だね。僕も、君と同じ空気を吸っているだけで吐き気がする。ちょっとした以心伝心だね」

「ふざけないで。貴方と心通じ合うだなんて、死んでもごめんだわ」


 急速に下がっていく彼女の周りの空気に、さしもの僕も少しひるむ。ああ、ここに満月がいてくれたらなぁ。きっと、彼女のあの氷でさえも、太陽の暖かさへ変えてしまうのだろう。そんな才能を、彼女は持っているのだから。


「話がずれたわ。戻すわよ。……もう一度聞くわ。貴方は、あの子に何を求めるの」

「だから、何度も言っているだろう? 僕は、」

「では、あの子に幸せって何?」


 その質問に、僕は思わず噴き出す。あ、やべ、唾飛んだ。彼女に当たらなければいいのだが。それにしても、そうきたか。あの子の幸せは何、と。


「それこそ僕が知るわけないだろう? 満月にとっての幸せは、満月にしか分からない。僕はそれを定義しようとするほど、彼女の理解者を気取りたくないし、それほど傲慢でもないよ」


 なるべく優しく微笑んで、そう諭すように告げると、彼女はここにきて初めて笑んだ。ただ一つ残念なのは、それが嬉しさや楽しさから出なく、怒りから出た笑みであることだろうか。


「それを言うの、貴方が。今、あの子の幸せを定義し続けている貴方が、それを言うの」

「何のことかな?」


 しらばっくれないで、と、彼女は押し殺したような声で言う。恐や恐や。本当に短気な人だと思う。まあ、それが彼女の幼馴染についてだけというのが、どこかかわいらしい気がしないでもないけれど、しない気がしないでもないだけだ。ほぼ無に等しい。何故彼女は、彼女とともにあることを望むのだろうか。


「貴方は知っているかしら。本人が『幸せ』と認識していることが、本人にとって『幸せ』であるとは限らないのよ」

「随分と矛盾した理論だね」

「いいえ、正当な理論よ」


 まっすぐな瞳。その思考回路は何処までも屈折しているはずなのに、どうしてこうもまっすぐなのかが理解できない。どうせ曲がっているのなら、最期まで曲がり通せばいいのに。僕のように、彼女のように。曲がるべきでない道を、曲がるべきでないと知りながら、意図的な無意識で曲がる僕らのように。


「貴方はあの子で傷のなめあいをしたいだけ。あの子は私で自分の価値を高めたいだけ。そんな茶番に、いつまでも付き合う私じゃないわ」

「……いままでは付き合っていたじゃないか」


 もう、そういうわけにもいかなくなったのよ。そう、澄ました顔で言ってのける彼女に、ただただ憎悪がつのる。まるで全てを見下したような顔。事実は、きっとそんなつもりはないのだろうけれど。それでも、見下されているように感じるのは、自分が卑屈だからだろうか。


「貴方のせいで当分あの子の進行度が分らなかったけれど、そろそろ危ないのでしょう? 本気であの子が私に依存する前に、先手を打たないと」

「そのためには、僕が邪魔?」

「ええ、大いに」


 さらりとそういう彼女に、僕は軽くため息をつく。こうと決めたら、絶対に意思を覆さない彼女のことだ。いくら僕が巧妙に妨害したところで、考えられない力技でやることをやってしまうのだろう。そうであるなら、抗わない方な賢い。


「……わかったよ。一日。一日だけ、満月の傍から離れてあげる」

「風邪でもこじらすの?」

「まあ、そんなところだね」


 馬鹿が馬鹿なのに馬鹿みたいに風邪をこじらすのね、と楽しげに言う彼女に趣味が悪いよとたしなめると、彼女はなおも笑いながら立ち上がる。


「なら私はそんな馬鹿の風邪がうつるのは御免だから、帰るわ。お邪魔したわね」

「今度からは、ちゃんと先に連絡してよ。いないかもしれないから」

「次はもうないと思うけれど、一応頭のすみに置いておくわね」


 肩越しに手を振った彼女は、ああ、そうそう、と、なんでもない事を思い出したかのように軽く振りかえる。


「満月はきっと貴方のものにはならないし、成ったとしても、貴方達は幸せにはなれないと思うわよ、絶対にね」


 にこり、と。今までになく美しく笑った彼女は、


「さようなら」


 二度と振り返ることもなく、姿を消した。

 取り残された、僕一人。


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