知らぬが仏
「ねえ、貴女は自分のことを『特別』だと、思ってる?」
わたしの幼馴染は、唐突にそんなことを言い始めた。
「どうしたの、そらちゃん? 急に。いや、突拍子もないこと言うのはいつものことなんだけど、何の脈絡もなくそういうこと言うのはちょっとやめて欲しいかな~、なんてわたしは思うのですけれど」
困ったように笑って、一応苦言を呈してみるのだけれど、まあ、この程度のいさめで彼女、
「貴女の気持ちなんてどうでもいいわ。私の思考には何の関係も関連も意味も意義もないのですもの。それより、
にべもなく言い放つ彼女に、もう苦笑しか浮かばない。相も変わらずの高慢、傲慢さだと思う。まさしく天上天下唯我独尊、といったところだろうか。本当、だから友達がいないんだよ、と内心ぼやきながら、少しだけ考える仕草をした。
「そうだなぁ、あんまり思ったことないかな」
自分が「特別」だなんて、思ったことはないと思う。わたしなんかより、ずっと「特別」で「異端」な人が、絶えず傍にいたから。その人に比べたら、わたしなんか凡人以下なんだろうな、とは、思ったことがあるけれど。
「本当に? 絶対に? 天地神明に誓って?」
すると、「特別」で「異端」の彼女は、ずい、と詰め寄ってきた。なにこれ恐い。
「え、なに? どうしたの?」
どうせ、いつのも彼女いわくの「軽口」だろう。そう高をくくっていたのだが、どうも違ったらしい。いつもなら適当に受け流しても少し不機嫌になるくらいで噛みついてなんてこない子なのに、今日は妙に突っかかってくる。
「ほんとにどうしたの、そらちゃん。また誰かに変なことでも言われちゃったりしたの? 特別とか思いあがってんじゃねーよコラァ、みたいな感じにさ」
「Sは打たれ弱い」というのを体現したような彼女は、本当にガラスのハートだ。カバーガラス並みに薄い。いや、カバーガラスよりももろい。ちょっとついたら壊れるレベルだ。まわりはそんなことお構いなしに彼女を嫌うから、わたしは常に事後処理に追われる。主な仕事は、とにかく彼女をなぐさめること。
「いや、ベつに、そういうわけじゃ、ないのだけれど……」
「じゃあどうしたの? 聞いたげるから、話してみて?」
少し気まずそうに視線をさまよわせるそらちゃんに、わたしは珍しいな、と目をまたたかせる。どんなに暴言をはかれて落ち込んだとしても、生来の率直さだけは失わない彼女が、こんなに言いよどむなんて。
「……ねえ、満月、笑わないって、約束できるかしら?」
「え、なに? そらちゃんってば、わたしに笑われるようなことしたの?」
「ち、違うわ! そんなわけないじゃない! 兎に角、さっさと返事なさい! イエスなの、ノーなの⁉」
まさかの返答に思わず本音をもらすと、彼女は羞恥からか怒りからか、その整った顔を真っ赤に染めあげながら声を荒げる。今日は珍しいものばかり見るものだ、と思いながら苦笑気味に頷く。
「わかった。笑わない。だから、話して、ね?」
なぜかその口調が子供扱いされていると感じたようで、すこしふてくされたような顔をしたけれど、笑わない、という言葉に安心したのか、表情が緩む。そして、少し顔を伏せながら、口を開いた。
「ねえ、満月、覚えてるかしら? 私達が中学二年生の時に、私が事故に遭ったことを」
「ああ、下校途中にそらちゃんが車とけんかしちゃった時のことだよね? うん、覚えてるよ。わたしもすっごいびっくりしたし」
覚えているも何も、あんな衝撃的なことを忘れることができるわけがない。目の前で、親友が宙を舞う、そんな、光景を。いったい、どうすれば忘れることができると言うのか。
「で、それがどうしたの?」
「なんとなく、ね。思い出したの」
遠くを見つめる、彼女の瞳。それは、過去を見ているのか、それとも、何も見えていないのか。どちらにしろ、この瞳は、好きじゃない。彼女が、わたしとは遠い存在なのだということを、嫌でも思い知らされるから。
「思い出したの。私が、『自分は特別じゃない』って気付いたことと、『自分が特別だ』と感じたことを」
「『特別じゃない』のに『特別』?」
ああ、また彼女がわけのわからないことを。また、わたしから遠ざかっていくことばを。
大体、彼女が「特別」なのは、いうまでもなくわかりきっていることだ。だから、ほんとうに、やめて欲しい。これ以上は、もう、嫌なのだ。
「そう。思ったこと、あるでしょう? 自分は特別なのではないかと。世の中と切り離された、『世界』にいるのだと」
硝子玉の、透き通ったひとみ。それはまるで、わたしの心を、わたしの知らない「わたし」を見透かすかのような、こわい、双眸。じりじりと崖に追い詰められているような、そんな、感覚に。思わず、視線をおとす。
「そんなの、ないよ。そらちゃんだから、そう思えるんでしょ? わたしなんかが、そんな、」
「じゃあ言いかえるわ。『水瀬そら』という、『特別』な存在の幼馴染であることに、その『特別』な存在の『理解者』としてあることに、優越感を感じたでしょう? そうあることが、『特別』だと、思っているでしょう?」
見透かしたように透明な笑みを浮かべる彼女に、私は笑みがひきつるのを自覚した。いや、ひきつるだなんてどころではない。不格好な笑顔だなんて、キレイなもんじゃない。きっとそれは、まるで空っぽのオートマタが浮かべる無意味な笑みのように、醜悪で、歪で、目も当てられないほどに、腐りきったものだろう。
「ち、ちが、うよ。そんな、わたしは、ちが」
「何が違うの? 貴女は、貴女を『特別』だと思ってる。『特別』だと信じてる。『特別』であろうと意図してる。これらのうち、ひとつでも偽りがある?」
ひたりと据えられる目は、無感情。唇は確かに笑みをはいているはずなのに、どうして。違う違う違う。こんなの違う。彼女は、わたしの幼馴染は、こんな、目を、私に、
「ほら、また。今度は何と叫ぶのかしら? 貴女なんか知らないと、貴女の『特別』たる理由を放棄する? それとも私が『水瀬そら』でないと、私自身の存在理由を否定するのかしら。まあ、貴女にそう言われたら、私は何も言い返せはしないのだけれど」
ゆっくりと微笑みながらわたしの頬を撫ぜる彼女の陶器の手はひんやりと冷たく、思わず叩き落とす。頬に残った冷気に軽く体が震えた。……冷気に? いや、違う、震えたのは、違う、違う違う違う。
「ねえ、貴女、今年でいくつだったかしら? あれから、何年たったの? いつまで逃げるの? いつまで、『水瀬そら』に縋るの? あの約束は、忘れてしまったの?」
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。
深紅に染まる視界。深紅に染まる肢体。辛苦に染まった屍体。これは何? これは**の。**? 違う違う違う。**は、違う、厭、嘘、違う。
「ねぇ、満月。お願いだから、もう、私を、『水瀬そら』を、解ほ」
彼女は、硬直した。
◇◆◇
「満月! 満月、大丈夫⁉」
あき、くん?
「そう、彰だよ、満月。大丈夫?」
あきくん、あきくんあきくんあきくんっ! そらちゃんが、そらちゃんがまた消えちゃったっ。さっきまでいたのに、また、そらちゃんがっ
「大丈夫、大丈夫だよ。満月、ほら、落ち着いて。僕がいるよ、ね?」
でも、そらちゃんがいないっ! そらちゃんがいないと『だめ』なのっ! そらちゃんは『特別』なのにっ! わたしのそらちゃんなのにっ! わたしだけの、『特別』な、あのこがいないと……!
「うん、うん、わかったから。ほら、いったん出よう? 次にここに入るときには、きっとまたそらがいるから、ね?」
ほんとう? うそじゃない?
「うん、約束。だから、ほら」
うん、わかった。約束よ、あきくん……
そうして、真白な空間に
存在意義を否定された
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