3. 事実上

 カンムリショウビンが枝で歌っている。左右に跳ね踊るのは雄、歌に誘われたのが雌。二羽はつがいになり、連れ立って飛んでいく。

 密林が思い出したように音を取り戻した。

 虫、鳥、獣らが生命を謳歌する中でユエは座り込み、沢に散らばる武具をぼんやりと眺める。

 人間は恨鬼コ・ホンに変えられた。非業の死を遂げ、弔われなかったいくさびとが成り果てるという鬼だ。

 猟犬は黒犬チョ・ディアヌに変えられた。背を下に埋められ、地獄に落とされた犬の怪だ。

 そして魔女は、それらモノの怪を抱きしめるように丁寧に、と捕食した。

 満足した魔女がすやすや眠り、ようやくユエは体を取り戻した。体だけは、いつも完璧な状態で戻ってくる。

 そのかわりに、ユエはなくす。

 

 例えば思い出。

 例えば他人ひとへの関心。

 例えば人らしさへの執着。


 魔女の捕食を思い返しても、ユエにはなんの感情も沸いてこなかった。沸いてきたのは、自らの行動への疑念だった。


「呪符に、罠に、武器。おまけに結界。相手は念入りに準備してやる気まんまんだったのに、どうしてわたしは殺さないように頑張ってたんだろう」

 自問自答だ。見当はついていた。

「この気持ちのズレが、わたしのなくしたものと関係してるんだろうね」

 リールーが眼窩で、つんつんと震える。肯定だ。

(なるべく人を殺さない。そういう約束をしていたのだよ)

「誰と?」

(クォンという、なにかにつけてすぐ唄いたがる、のどかで気のいい男だ)

 その名前に感じる物は何ひとつ無かったが、次の言葉には少なからず驚いた。

(ここ三年ほど、二人で暮らしている)

「は?」

 目を丸くして右目リールーに聞き返す。

「男の人と? 二人で? わたしが? ほんとに?」

 つんつん。

「その……いわゆる、夫婦、とか?」

(事実上そうなるか)

「事実上」

(私も初めは驚いた)

「えっと、じゃあ、つまり、わたし……」

(大事にされておった)

 首の後ろが、足の指先がぞわぞわする。

「ほんとうに? わたしが、だれだか知らない人と?」

(知らぬ人間というわけでは) 

 触られていた? 口づけられていた? 組み敷かれて、それで。

 猛烈に水浴びがしたくなってきた。

「だめ。気持ち悪い」

(ユエ。そこらの道端の男が絡んできたわけではないのだ。この三年の間、そなたは幸せそうにしておったよ。そのような言い方は、しないでくれ)

 リールーの声色が寂しげで、ユエは罪悪感にとらわれる。

「そんなこと……言われたって」

 急に喪失を覚えて、ユエは気持ちを持て余す。

 なくしたのは、わたしなのに。思い出すこともできないのに。

 指先に触れた小石を、いらだち紛れに沢へ投げる。散らばった胴鎧の革に小石があたって跳ね、落ちた先をみて「あ」と声を上げた。


 平笠があった。逃走中に落としたものだ。


 信じられない思いで立ち上がり、ぱしゃぱしゃと沢に入って手に取る。

(追手が拾っていたか。犬に匂いを覚えさせたのだろうな)

 右目の意見を聞きながら、ユエは平笠の泥を払う。

「──なくしたと思ってた」

 裏に書いた呪印と魔法陣も無事だ。笠の縁を優しく指でなぞると、安堵のため息が出た。


「帰ろう、リールー。……疲れたよ」

(そうだな)

「ごめんね」

 なくしてしまって。


 ひとつ深呼吸をしてユエが目を閉じる。

 蛇ノ目の呪符は魔女が出た際に破られている。娘を見る者はすでにない。魔法をさえぎるものはない。

 ユエは魔法の言葉を口にした。


 猫はいつの間にかいなくなる。

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