21.ばったり(ニコ)


 今日のご飯はママから教えてもらったポークストロガノフにしよう。


 スーパーの特売で玉ねぎが安かった。トマト缶もまとめ買いで5個で400円だった。お肉屋のおじさんが豚肉をサービスして、安くしてくれた。


 これはもうポークストロガノフを作るしかない。ちょっと勉強してから作り始めよう。数学の過去問の復習をやれば、今日のノルマは終わりだ。


 急ぎ足で歩いていると、ちょうど学校から来るバスが到着したところだった。


 もしかすると、と思って角のところで待っていると、見慣れた制服姿が降りてきた。


「あ。やっぱり」


 円が降りてきた。


 こっちには気がついていない。手をあげる。


「おに……」


 あれ。

 円の後ろから女の子が出てきた。


「え」


 思わず立ち止まって、電柱の影に隠れる。


 あれは。

 ひょっとして。ひょっとすると。

 そのまま見ないフリをして帰ろうかと思った。でも、どうしても気になったので、様子をうかがうことにした。


 円と一緒に話していたのは、彼と背が同じくらいの白い制服を着た女の子だった。


「きれいな人」


 さっぱりとした黒髪。ピンと張った背筋。パチパチと上下する長いまつげ。クスクスと笑う姿は、とても楽しそうだった。


 2人はバス停で立ち止まって、何やら話し込んでいた。女の人の顔しか見えないけれど、上機嫌なのは分かる。


 ふと女性が首を傾げると、彼の手を握った。


 手をギュッと握ってブンブン振ると、逆の方向に立ち去って行ってしまった。円はその後ろ姿を見送っていた。


 すごく仲が良さそうだ。


 単なる友達じゃないことは、何となく察してしまった。


「はあ。そっかそっか」


 驚くことはない。高校生だし。


 私がするべきことはつまり。


 このまま見なかったことにして帰る。


 そう決めて足を踏み出すと、人影が現れた。


「うひゃあ」


 顔をあげると、驚いたような顔をした円がいた。


「お」


 まずいまずい。

 盗み見がバレたら気まずい。


「お帰り。お兄ちゃん」


 ちょっと声が上ずった。


「ニコ」


 円はギョッとしたように私のことを見ていた。


「どうした。こんなところで」


「あ、うん。買い物行ってて」


「そっか。そうなんだ」


「ちょうど今ここを通りかかったところだよ。ちょうどたまたま。さっき」


 笑いかけると、円も「ああ」と笑った。バイトに行く前に、家に荷物を置きに帰るところだったらしい。


「持つよ」


 手を差し出すと、円は買い物袋を半分持ってくれた。


「随分、一杯買ったなあ」


「うん。玉ねぎが安くてね。今日はポークストロガノフにしようと思うの」


「へえ。ポーク……?」


「ビーフストロガノフの豚肉バージョン。ママから教えてもらった」


 豚肉と玉ねぎとマッシュルームをトマトとウスターソースなどなどで味付けをする。甘辛くて、白いご飯と合わせるととても美味しい。


「パパが牛肉あんまり好きじゃなかったから、ママが良く豚肉で作ってたの。だから、私はどっちも好き」


「へえ」


「お兄ちゃんは嫌いじゃなかった?」


「俺も好きだよ、豚肉も牛肉も。肉が嫌いなやつなんて、早々いないだろ」


「そうかなあ」


 私が笑うと円もクスクスと笑った。けれど、すぐに真面目な顔に戻ってしまった。


 すごく悩んだような顔で、彼は口を開いた。


「あのさ、ニコ」


 どうしたんだろう。


「なあに」


 私が聞くと、円は少し気まずそうに首を横にふった。


「いや。ただの相談事。帰ってから言う」


 はあ、と深いため息をついた。

 もしかして、さっきの女の子のことだろうか。


 いっそのこと、こっちから聞いてしまった方が良いだろうか。そっちの方がすっきりする気がする。


 お兄ちゃん、さっき女の子と歩いているの見たよ。あれって彼女でしょ。


 とか言うセリフは、すごく妹っぽいんじゃないかと思う。


 でもまあ。そんな勇気が出るわけもなく、家まで帰ってきてしまった。


 円は教科書を置くと、青色のジャンパーに着替えた。今日は夜まで近くの中華料理店でバイトするらしい。


「じゃあ。行ってくる」


 気をつけてと言って送り出す。

 その横顔はまだ何か思い悩んでいるような顔だった。そんな顔をするなんて珍しい。


「ねぇ、お兄ちゃん」


 さっきの人とはどう言う関係なの、と言葉を続けようとする。


「ん」


 円がこっちを振り向く。


 いや。

 わざわざ、呼び止めて聞くのも変かな。


「何でもない。行ってらっしゃい」


 不思議そうな顔をして、彼は小さくうなずいた。


 扉が閉まって、円が行ってしまってから後悔する。

 やっぱり勇気を出して聞いておけば良かった。ちょっとモヤモヤしている。

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