22.お着替えタイム(ニコ)


 今日はまどかより朋恵ともえさんが帰ってくる方が早かった。


「ただいまー!」


 と元気な声で帰ってきた朋恵さんは、私が作ったポークストロガノフを見て嬉しそうな声をあげた。


「わあ! 良い匂いがする。これ、なあに?」


「ポークストロガノフです。味付けとかオリジナルですけど」


「おいしそー。早く食べたい」


「良かった。お風呂いてます。ビールも冷やしておいたので」


「ありがとう。愛しているよー」


 ぐすんと涙ぐみながら、朋恵さんは抱きついてきた。こんなに喜んでもらえるなら作りがいがある。


 すぐにお風呂から出てきた朋恵さんと一緒に晩ご飯を食べた。少しトマトの酸味が強すぎたかなと思ったけれど「おいしいおいしい」と食べてくれた。


「美味しかったー」


 ビールをグラスに注ぎながら、朋恵さんは言った。


「ニコちゃんがご飯作ってくれて、助かってるわー。いつもは私も円も冷凍食品で済ましてるから。つーか円もバイトなんかしないで、早く帰ってくれば良いのに」


「3人だったら、もっと楽しいですね」


「本当に。停学明けたら、すぐにバイトだなんて可愛げがない」


「そうですか?」


「そうだよう。だって、せっかく高校生なんだから、もっと高校生活楽しめば良いのに。友達だって竹満くんしかいないし。反抗期かなあ。勉強しろってうるさく言いすぎたかなあ」


 むすっと頬杖をついて、朋恵さんはそう言う風にぼやいた。


「早く自立したいと思っているのかしら」


 その瞳は寂しがっているようにも見えた。遠くの方を見ながら、ちょっと揺れている。


「大丈夫ですよ」


「そう?」


「円くんは、ちゃんと楽しんでると思いますよ」


 とても可愛い女の子と付き合っていますし、と言いかけてやめる。多分、朋恵さんは知らないことだろう。無駄なことは言わない方が良い。


「そっかあ。そう思うかあ」


 朋恵さんは静かにグラスを傾けた。


「ニコちゃんは良い子だなあ」


 手のひらが頭に触れる。温かい手だった。細い指の手が動いて、くすぐったい。


「私、円よりもニコちゃんに幸せになってほしいなあ」


「そんな。もう十分幸せです」


「まだまだこれから。受験もうすぐだよね。調子はどう?」


 カレンダーを見ながら、朋恵さんは言った。編入試験までもう二週間もなかった。


「勉強は順調? 煮詰まったりしてない?」


「大丈夫です。円くんにも見てもらってますし、円くんの知り合いにも手伝ってもらってるんです」


「良かった。とやかく言わなくても大丈夫そうだねー。私にできることは願掛けくらいかなぁ」


「願掛けですか」


「うん。近くに大きな神社があってね。円の受験の時もそこに行ったの。お守りとかね。学業成就とか恋愛成就とか何でも効くよ」


「わあ。良いですね」


「でしょう」


 そこまで言うと朋恵さんは思い立ったように「そうだ」と、身を乗り出した。


「良かったら、気分転換にニコちゃんも一緒に行こうよ。今度の土曜。仕事休みだから。そんなに遠くないし」


「行きたいです。ぜひ」


「じゃあ。円も誘って3人で行こう」


「はい」


 大きくうなずく。

 土曜日と言えば、もうすぐだ。また楽しみができてしまった。


「せっかくだから、可愛い格好しようね」


「あ。ごめんなさい。シャツとジーパンしかなくて」


「問題ない。私の服を貸してあげよう」


 鼻唄を歌いながら、朋恵さんは寝室の方へと歩いていった。しばらくすると、手に山盛りの服を抱えてきた。


「どーん」


「わ。こんなに」


 スカートとかブラウスとか、服の山を見下ろして朋恵さんはニンマリと笑った。


「昔、昔のその昔の服。いくつかフリマで金にしたけど、大事な奴は残してある。物があんまり捨てられないんだ」


「これとかすごく可愛いです」


 水色のスカートを手に取る。腰に付いたリボンが、すごく良い。


「ねー。ちょっとデザイン古いけど、リメイクしたらいけるでしょ」


「このままでも十分可愛いです」


「ねえ。ちょっと着てみてよ」


「今ですか?」


「円もいないし、ちょうど良いから。ね、お願い」


 手を合わせて頼まれてしまった。

 着てみたい気持ちはあったので、さっきの水色のスカートを借りることにした。ふすまを閉めて、寝室で着替える。少し緊張する。サイズはぴったりだった。


「わあ」


 ふすまを開けると、朋恵さんは手を叩いた。


「素晴らしい。私が着ていたよりも、何十倍も似合ってる」


「そんな」


「本当。ほら」


 目の前で鏡が開く。


 思っていたよりも鮮やかな水色だった。こんなお洒落な服を着たのは久しぶりだった。


「あ」


 嬉しさと照れ臭さが半分くらい。鏡の向こうの自分の顔は、信じられないくらい楽しそうな笑顔だった。


 胸がポカポカ温かくなってくる。


「ありがとうございます」


「どしたの。お礼なんて」


「何だか楽しくなっちゃって」


「お。乗り気だね。じゃあ次はこれ着てみてよ」


 ウキウキとした様子で、朋恵さんが取り出したのはフリルのついたワンピースだった。肩紐は細く、胸元も結構開いている。


「これってランジェリーじゃ」


「違う違う。昔流行ってたやつだよ」


「そうなんですね。こんな。すごい」


「うん。ねえ、見たい見たい」


 少し抵抗感はあったけれど、試着するだけだからと、その黒いワンピースにそでを通すことにした。軽くて、肌触りはサラサラして気持ちが良い。


「良いねえ」 


 朋恵さんが拍手した。


 スカートの丈が膝上くらいしかない。フリルの模様はっていて、すごく可愛い。でも外で着るにはハードルが高い。


「可愛いけど、ちょっと恥ずかしいです」


「そうかなあ」


「さっきのスカートにします。やっぱり」


 流石にこんな派手な姿で、街を歩くわけにはいかない。 


 着替えようと思って寝室に戻ろうとすると、玄関の鍵がガチャガチャと鳴って開いた。


「ただいまーっと。あー腹へった」


 バタバタと足音がして、円がリビングに駆け込んでくる。


「ひゃっ」


 隠れる暇もなかった。下着みたいな服を着たまま、円と目が合った。


「なーっ」


 彼は大きな声をあげると、顔を赤くして目を覆ってしまった。

 

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