15.ヒロイン(ニコ)


 駅ビルのカフェでクロワッサンを食べながら、色杏しあんさんに小論文を添削てんさくしてもらった。ちょうど焼き立てだったクロワッサンは、バターが甘くてとても美味しかった。


「色杏さん、文章書くの上手ですね」


 私が書いた作文を、色杏さんはあっという間に添削してしまった。読み直すとかなり良くなっている。


「すごいです」


「書き続けてるとね。自然と早くなってくるんだ」


「何かやってるんですか」


「うん。映画のシナリオを書いていたりする」


「えいがー、なるほど」


「うちの学校。映画研究会あるの。知らなかった?」


「知らなかったです」


 色杏さんはふうんと言って、カップを傾けた。すぐ横の窓から明るい光が差し込んでいた。自分の三つ編みをいじりながら、彼女は口を開いた。


「ニコちゃんは、どうしてうちの学校目指してるの」


「知り合いがいて。その人が通ってるから、私もそこにしようかなって。安生円あんじょうまどかくんって言うんですけど」


「聞いたことがある。停学になった子だね」


「有名なんですね」


「ある意味で」


 楽しそうに彼女は頬杖ほおづえをついた。


「もしかして付き合ってるとか」


「いやあ。そんなんじゃなくて」


「じゃあ。どうして?」


「色々と理由はあるんですけれど」


 強いて言うなら、何となく気になってしまったというくらい。


「どんな風な生活しているのか気になって」


「片思い」


「あ。いや。そういうんじゃないんですよ。本当。本当に。円くん女の子嫌いですし」


 それに彼はお兄ちゃんだ。


「兄なんです。歳の近い」


 腹違いだとかは言わないことにした。こういう話は相手を困らせるのは知っている。


 色杏さんもそれ以上尋ねることはしてこなかった。そっかあ、と言うとコーヒーを飲んで目を細めた。それから添削してくれた小論文を、丁寧に解説してくれた。


 あっという間に、もう日が暮れようとしていた。


「あ。こんな時間」


 時計を見ると6時に近い。

 そろそろ円が帰ってくる時間だ。夕ご飯の支度をまだ何もやっていない。かなり集中していたからか頭が疲れている。その分参考になった。


「今日だけで、すごく頭が良くなった気がします」


「飲み込み早いね。これならきっと合格すると思う。また添削してあげよっか」


「良いんですか」


「もちろん。連絡先交換する?」


「それが」


 日本に来たばかりでスマホを持っていないことを言う。


「こんなに早く知り合いができるとは、思っていなかったから」


「残念」


「スマホ買ったら教えますね」


「私、ここか、三丁目のポンヌフって喫茶店にいるから」


「ポンヌフですね。今度行ってみます」


「また会おうね」


「はい。あの本当になんてお礼を言ったら良いか」


「お礼ねえ」


 彼女はフッと笑った。メガネがきらっと光った。


「ね。部活とか決めてる?」


「部活ですか。特に決めてないですけど」


「もし合格したら、映画研究会に入らない? 文化祭でやる映画に出演して欲しいの」


「わ。私がですか」


「うん。次の映画のヒロインとして」


「ヒロイン」


 自分がカメラに撮られるところを想像する。


 うーん。

 あまりピンとこない。恥ずかしい。


「やめたほうが良いと思います」 


「そんなことないよ」


 手を四角くカメラみたいな形にして、色杏さんは私の顔をのぞきこんできた。


「すごい。似合ってる。イメージぴったり」


 こっちをのぞく目はキラキラしていた。色杏さんは子どもっぽくはしゃいでいる。


「どう?」


 ニッコリと微笑んだ。

 悪い気はしないし、この人となら楽しそうな気はする。


「部活。あまり考えたことなかったんですが」


「じゃあじゃあ」


「でも多分バイトで忙しくなっちゃいます」


「バイトしてるんだ」


「まだ決めてないですけど」


 これからやる予定だった。自分が居候いそうろうであることには変わらない。今はママが残してくれた遺産でやっていけているけれど、それもいつかは底をつく。


 ある程度いのお金は稼いでおきたい。いくら優しくしてくれるからと言って、甘え過ぎてもいけない。


「部活に入るのは厳しいかもしれないです」


「そっかあ」


「でもちょっと出るくらいなら大丈夫だと思います」


「本当?」 


「もちろんです」


「うわあ。ありがとう」


 彼女はパアッと微笑んで私の手を握った。本当に映画が好きらしい。帰りながら、彼女は自分の好きな映画の話をしていた。


「そこで腕にチェンソーに装着してさあ」


 ほとんど分からない映画の話だったけれど、とても面白そうに話すので聞いてしまった。


 色杏さんの家は駅の向こうだった。また会おうねと約束して、私たちは別れた。


「今日は良い日だなあ」


 迷わないで本屋に行けた。


 初めての知り合いができた。


 映画に出ることになった。


 早く帰って円に報告しよう。

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