9.妹が隣で寝ている(円)


 目を開けると、ニコの顔が目の前にあった。


「うお」


 すやすやと気持ち良さそうに寝ている。腕を動かそうとすると、ニコの頭がのっかっていた。


 俺の身体には薄い毛布がかかっていた。ニコが持ってきてくれたのだろうか。逆に彼女は何もかぶっていなかった。


 すうすうと穏やかな寝息を立てている。


「本当にかわいいなあ」


 彼女の寝顔を見ながら、思わずつぶやいてしまう。

 間近で見ると人形みたいに綺麗だった。息を吸うと、シャンプーの匂いがした。


 寒そうに縮こまっていたので、自分の毛布をニコにかけることにした。こんな幸せそうに寝ているのに、起こすのは野暮やぼだ。


 しばらくすると、彼女はポツリと言葉をこぼした。


「ばーば」


 誰かを呼んでいるみたいだった。誰のことを言っているのだろう。ふと顔をあげると、ニコの目から涙が落ちていた。


「ニコ?」


 呼び掛けても、静かな寝息を立てていた。


 涙はその一滴だけだった。何事もなかったように寝ている。夢でも見ていたのかもしれない。


 涙は服のそでのところで、にじんでいた。


「寂しいよな」


 たったひとりで手紙だけを頼りに父親を訪ねて来た。どれだけ心細かったか、想像つかない。いつもはそんな顔を見せないけれど、今だって寂しいのかもしれない。


 そう思うと、愛おしさとしか言いようのないものがこみ上げてくる。かぶせた毛布の向きをもうちょっとだけ整える。


「う、ん」


 そうするとニコが息を吐いた。

 ごろんと寝返りをうった場所は、さっきよりも俺の近くだった。


 いやあ。

 近い。

 近過ぎる。


 寝息で胸のところがくすぐったい。


 離れようと脚を動かすとニコの素足があった。生足っぽい肌が、俺の太もものところに触れている。すすす、と伸びてからんでくる。


 うごけねぇ。

 毛布の下で彼女の手が伸びてくる。俺の身体にしがみつくように、彼女は背中に手を回した。


 すーすーと寝息が聞こえる。

 その呼吸で、頭の奥がプッチンプッチンと音を立てる。


 とんでもないことになった。

 二の腕の近くにある柔らかいものは、なんて言うんだっけ。


「お」


 ダメだ。


 妹だ。

 妹、妹、妹。


「ニコ、起きて」


 小さな声で言う。

 彼女のまぶたがぴくんと揺れる。


「うん?」


 ぱちくりと2、3回まばたきをした。それからしっかりと目を開けた。


「わぁ」


 驚いたように叫んで、彼女は飛び起きた。


「ぼーじぇもい……」


 何か言ってる。多分向こうの言葉だ。

 毛布を持って、キョロキョロ辺りを見回して、ニコは深く息を吐いた。


「えっと、わ、私」


 だんだんと彼女の顔が赤く染まっていく。


「寝ちゃってた?」


「うん」


「ごめん。毛布奪っちゃった」


 状況を理解してくれた。


「いつの間にか眠っちゃってたんだ」


「気持ち良さそうに寝てたから、つい」


「ごめん。変なことしてないよね」


「へ、変なこと?」


 さっきのムニムニの感触を思い出す。「ああ」と上ずった声が出る。


「変なことされてないし。してない。大丈夫」


「そうだよね。変なことってなんだろう」


「俺も分かんない」


「分かんないよね」


 彼女は呼吸を落ち着けると、俺の方を見て恥ずかしそうに言った。


「お兄ちゃん、顔真っ赤だよ」


「ニコも」


「私も?」


「うん。リンゴみたい」


 彼女はギュッと毛布を握った。


「普通の兄妹だったら、恥ずかしいとかないんだろうね」


 申し訳なさそうにうつむいて、ボソリと小さな声で言った。


「でも何か安心しちゃって」


 フォローするつもりだったのだろう。それを聞くと、もっと恥ずかしい気持ちになった。


 何も言えなかった。

 その時、ガチャンと玄関の鍵が開いた。


「やばい。母さんだ。帰ってきた」


「あわわ」


 慌てて毛布を片付けて、ちゃぶ台の前にノートを広げた。


「お肉買ってきたよー。今日はもつ鍋だよう」


 買い物袋を持った母親がリビングに駆け込んできた。袋の中にはパンパンに肉のパックが詰まっている。


 ちゃぶ台の前でペンを握る俺たちを見て、母親は嬉しそうに言った。


「仲良く勉強してるねえ」


 その言葉に顔を見合わせる。ニコはホッとしたように微笑んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る