10.もつ鍋おいしい(円)


 もつ鍋なんて久しぶりだ。

 グツグツと煮える肉が蛍光灯の光で輝いている。腹減った。


「それじゃ乾杯ということで」


 3人で食卓を囲む。母親はいつもの通り発泡酒を飲んで、俺とニコは冷やした麦茶をグラスに入れた。


 サッと肉を口の中に放り込む。


「うまい」


 普段のより良い肉な気がする。


「でひょー。高いの買っただけあるなあ」


「美味しいです。すいません。こんなご馳走になってしまって」


「良いって。ニコちゃん、たくさん食べて。家族なんだから」


 母親の言葉に、ニコはぺこりと頭を下げた。モキュモキュともつ鍋を食べながら、彼女は幸せそうに微笑んだ。


「仕事どうでしたか」


「デスクワークで肩がバキバキ。ニコちゃんは?」


「楽しかったです。まどかくんと一緒に勉強してて」


「へー。ニコちゃん、円に変なことされてない?」


「えっ」


「ぶっ」


 不意打ち。口から肉が出てくる。


「何でそんなこと聞くんだよ」


「だって帰ってきたら、二人で顔真っ赤にしてたじゃん」


「あれは」


「変なことされてなかった?」


「い、いや。そんなことないです」


 ニコも慌てたように首を横に振った。


「勉強教えてもらっていただけで」


「それなら良かった。変なことされたら、そこの火災報知器引っ張ると良いよ。大家がすっ飛んでくるから」


「しないって」


「大丈夫だと思います。円くん優しいので」


「そうだねぇ。円は昔から女の子だけは泣かさなかったもんね。旦那と違って女嫌いは筋金入りだし」


「女嫌い、なんですか?」


「そうなの。どうにもトラウマなっちゃったらしくて」


「トラウマ」


 ニコは「えー」と目を見開いた。


「何かあったの」


「大したことじゃなくて。親父の不倫相手たち。良くここに押しかけてくるんだ。何があったのか知らないけど、鬼の形相で」


 髪の毛がポストにギュッと詰まってたことがあった。そう言うと、ニコは同情するように目をせた。


「大変だったんだね」


「知らなくて良い情報。て言うかさ。何で今日もつ鍋なんだ」


 そう聞くと「ん?」と母親は不思議そうに首をかしげた。


「ほら、特別な日じゃないと、もつ鍋作らないだろ」


「何言ってんの。円の停学明けでしょ。明日からはちゃんと学校行きなさいよ」


「あ、そうだった」


「まったく」


「そもそも円くんはどうして停学になったんですか?」


 箸を置いて、麦茶を飲んでいたニコが言った。


「なんか悪いことしちゃったんですか?」


「それがねぇ。部活でねぇ」


「待て待て。言うなよ」


「何でよ」


「恥ずかしいんだよ」


「傑作なのに」


 母親は口を抑えてくっくと声を出していた。ニコは俺の方を向いた。


「気になる」


「今度言うよ」


「絶対だよ」


「たぶん」


 心の準備ができたら、と言っておいたが、果たしてそんな時がくるのかどうか。


「それから、もう一つあるの!」


 追加の肉を鍋に入れながら、母親は高々たかだかと言った。


「ニコちゃんが正式に家族になることが決定しましたあ」


「お。とうとう」


「うん。役所に行って手続きしたからね」


「ありがとうございます。本当になんて言って良いか」


 正座をして畳に手をつくと、ニコは深々とお辞儀をした。


「改めてよろしくお願いします」


「そんなにかしこまらなくて良いってさあ。ほらほら肉が余ってるよ。どんどん食べな」


 ニコの取り皿に母親はどんどん肉を放り込んだ。俺が取ろうとした肉もかすめ取られた。


「あれ。俺の分は」


「今日はニコちゃんが家族になった記念だよ」


「さっきは俺の停学明け祝いだって」


「停学とか自業自得だもんね」


「何も言えねえ」


「ほら、白米でも食べな。ご飯炊けてるよ」


 そう言って炊飯器を指差される。白米にもつ鍋のタレをかけて食べた。泣くほどうまい。


「それで昨日も話したんだけど、ニコちゃん学校どうする?」


 母親は二本目の発泡酒を開けた。


「この辺なら、西陽女子せいようじょしとかかな。制服かわいいし」


「でも私立だと、お金がかかりますから」


「お金とかなら、向こうの親戚さんからも幾らかもらってるし。遠慮しなくて良いよ」


「いや。でも。あのう」


 何を考えているのか、ニコはもじもじとうつむくと、俺の方を向いた。


「円くんと同じ学校にしようかなと」


鳩高はとこう? 良いの? あんなボロっちいところで」


「おいおい。息子の高校」


 確かに校舎はボロい。良い加減建て替えてほしい。


「頑張ってみます」


 ニコはコクンとうなずいた。


鳩宗高校はとむねこうこう、目指してみようと思います。何だか話を聞いていて、すごく楽しそうだと思ったので」


 そう言って彼女は微笑んだ。屈託くったくのない笑顔。本当に同じ高校に通いたいらしい。


 それは普通に嬉しい。

 ニコの顔を見ながら、母親も嬉しそうに言った。


「そうすると7月受験で9月入学だね。もう願書出さないとだ」


「やってみます」


「ニコちゃんなら大丈夫だよ。頭良さそうだし」


「確かに。俺より勉強できるし。余裕だよ」


「そうかなあ。でも頑張らないと」


 彼女は山と盛られた肉に手を伸ばして、パクリと口に入れた。


「わあ。本当に美味しい」


 ほっぺたをおさえて、ニコは満足そうな顔をした。後で俺にも分けてくれた。彼女は本当に優しい。

 

 上手く合格すれば秋から一緒に通うことになる。ものすごく楽しみなことは間違いないけれど、その前に停学明けの学校がどうなっているかが不安だ。

 

 停学の件。変な噂が立っていなければ良いのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る