7.一緒にお買い物 (円)


 昼飯を作ろうと、冷蔵庫の中をのぞいたらほとんど何も残っていなかった。ニコが来たから調子に乗って、贅沢ぜいたくに食料を使い過ぎたのかもしれない。


「どこか行くの?」


 外に行く準備をしていると、俺の教科書を使って勉強していたニコが顔を上げた。


「ひょっとして買い物?」


「うん、ちょっと食材買ってくる。良いよニコは勉強してて」


「私も行っても良いかな」


「良いけど、近くのスーパーだよ」


「行ったことがないから、一緒に行きたい」


 ニコはパタパタと寝室に入って、服を着替えて出てきた。ジーパンとボーダーのシャツと、淡い水色のカーディガン。それから出会った時と同じ、黒い野球帽を目深まぶかにかぶっていた。


 長い金髪を隠すように、彼女はギュッと髪をまとめて帽子の中に入れていた。


 俺の視線に気がついたのか、ニコは困ったように微笑んだ。


「これ、昔の癖。あんまり目立つの嫌いだから」


「目立つ?」


「うん。この髪色だとどうしてもね」


「もったいない」


「そうかな」


「個人的には。でもまあ。色々大変なんだな」


 ただの癖だから、と言って、ニコは玄関で靴紐を結び始めた。


「お兄ちゃんの学校は、どんな感じ?」


 スーパーは家から徒歩で10分ほどのところにある。

 住宅街から出て、歩道の狭い大通りをまっすぐ歩いていくと見えてくる。ニコと連れ立って歩きながら、学校の話をした。


「学校は、別に普通かな。家から近い」


「楽しい?」


「楽しくないことはない」


「そうなんだ。実は朋恵ともえさんと相談して、こっちの高校受けようと思ってて」


 この辺のいくつかの高校には、帰国子女枠というものがあるらしい。初めて知った。


 7月に試験があって、9月から高校一年生として入学できる。


「それで、どこの高校にしようか迷っていて」


「この辺だとそうだなあ。ウチの学校は広いし、偏差値はまあまあ。私立もあるけど、その辺は良く分からん」


「公立にしようかなって思ってる」


「そうなると共学しかないけど」


「うん。こだわりはないよ」


 何となく女子校にしてほしいと思う自分がいる。


「お兄ちゃんは友達たくさんいるの?」


「あんまり。今のところ1人」


 竹満たけみつは小学校からの友達。色杏しあん先輩とは最近知り合った。友達と言えるかどうか。


「ギリギリ友達じゃない人がもう1人」


「何それ」


 俺の言葉にニコはおかしそうに笑った。


 スーパーが見えてくる。

 信号のない横断歩道を渡ったところにある店は、少し混雑していた。


「車来てないね」


 右の方をちらりと確かめて、ニコは横断歩道を渡ろうと足を踏み出した。


 見ると一台の車が直進してきている。


「ニコ」


 慌てて彼女の手を引っ張る。彼女のすぐそばをブウンと車が通り過ぎて行った。ニコは驚いたように、目を丸くしていた。


「あ、忘れてた。車、左側通行だ」


「危ねー。いきなり渡ろうとしたからびっくりしたよ。大丈夫か?」


「ごめんごめん。大丈夫」


 ニコは申し訳なさそうに言った。

 ロシアと日本では、車の進行方向が真逆らしい。ついうっかりしていたと彼女は言った。


「気を付ける」


 俺の手を握りながらニコは頭を下げた。


「あ」


 そこで我にかえる。


 今。

 手を握ってる。


「悪い」


 サッと離す。


 なんかこう。

 すべすべして気持ち良かった。


 そんな心地良さを感じてしまったことに、微妙な罪悪感がある。


「どうしたの?」


「手。強く引っ張っちゃってごめん」


「ううん。そんなことないよ」


「それなら良いんだけど」


 キョトンとした顔で、ニコは俺のことを見ていた。緑色の瞳がパチクリとまばたきしている。


「もしかして、恥ずかしがってる?」


「は、はは」


「当たりだ」


 いたずらっぽく彼女は笑った。

 それから彼女は何を思ったか、スルスルと手を合わせてきた。


「行こっか。今度は車来てないよ。おにーちゃん」


「おに……」


「やっぱり恥ずかしい?」


「正直なところ、恥ずかしい」


 それと何だかムズムズする。


「でも、こう言うの慣れないといけない気がするなあ」


「そうかな」


「お互いのためにも」


「お兄ちゃんって面白いね」


「あ、はは。そうかな」


 やっぱり慣れない。

 慣れる気がしない。


 彼女に手を引っ張られるようにして、横断歩道を渡る。ニコの後ろ姿は何だか楽しそうに見えた。


 店の中が狭かったので、自然と手が離れて行った。名残惜しい。


 今日の昼ごはんはニコの希望で、トマトソースのパスタにすることにした。

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