5.はいチーズ (ニコ)


 朝ごはんを食べ終わって、お皿洗いをしてシンクを掃除した。まどかは自分がやると言っていたが、流石にそれくらいは私がやらなくちゃいけない。何せ居候いそうろうだ。


 全部片付け終わって、リビングに戻ると、彼はちゃぶ台に教科書とノートを広げていた。


「ありがとう。助かった」


「うん。円くん勉強してるんだ、偉いね」


「停学中だから、えぐいくらい課題が出てる」


 はぁと大きくため息をついて、円はペンを走らせた。頭を抱えながらうんうんとうなっているので、ちょっと離れたところに座ることにした。


 コチコチと壁時計の音が心地良い。


「あの、さ」


 そんなに時間がたたない内に、円は言った。


「もっとくつろいでも良いのに。そんな体育座りで隅っこにいることもないよ」


「あ、ごめん。これが落ち着くから、いつもこうしているの」


「いつも?」


「家にいるときは」


 部屋の隅っこでぼうっとするのが好きだと言ったら、変に聞こえるかもしれない。人とちょっと離れているのが安心する。


「邪魔かな?」


「邪魔じゃないけど。いや、それで落ち着くなら良いよ」


「ジッとしている」


「ジッとしてなくても良いって」


 彼はクスリと笑って言った。


「これから一緒に暮らすのに。肩がるぞ」


「それなんだけど」


 胸のつっかえはまだ残っている。


「本当に私、ここで暮らしても良いのかな」


 気持ちが現実に追いついていない。ふわふわしている。実際に暮らすことになったら、少なからず迷惑をかけることになる。


 そのことを私は真剣に考えるべきだ。


「お金の問題とかさ。家だって狭くなっちゃうし」


「まぁ、どうにかなるんじゃないか。もともと家は狭いから」


「そういうことじゃなくて。違うの」


 人の心は分かることより、分からないことの方が多い。


「家族でもない人と一緒に暮らすのは間違ってるよ」


 自分で言って、自分の胸が苦しくなった。私が家族と呼べる人はみんないなくなってしまった。


 だからこそ迷惑をかけるわけにはいかないと思う。


「帰りの飛行機が取れたら、私帰るよ」


「帰るってどこに」


「おじさんとおばさんの家」


「仲、悪いんだ」


「え?」


「仲悪いから、父さんに会いに来たのかと。てっきりそう言うことだと思った。違ってたらごめん」


 円は申し訳なさそうに、頬をかいていた。


 彼の言葉は大当たり。自分からは言い出しにくかったことを、言われてしまった。


 けれど、不思議と悪い気持ちにはならなかった。


「まぁ、そうなんだけど」


「じゃあ、別に帰る必要はないよ」


「でも、それって、ただのわがままになっちゃうから」


「わがままくらい良いよ」


 それだと迷惑かけちゃうから、と言おうとした口が止まる。円はペンを置いて私のことを見ていた。


「俺たち兄妹だろ」


 円はパパと少し似ているのかもしれない。仏壇の写真と比べると、そんな風に思う。


 私を見つめる目は茶色くて、んでいる。

 昨日もそんな風に、心変わりしてしまった。 


「ありがとう」


 まだ言い慣れない言葉を、少し言いたくなった。


「お兄ちゃん」


 そう言うと、彼はピクンと肩を震わせた。


「それ。なんかムズムズする」


「私も」


「こう言う場合、俺は何て呼ぶのが正解なんだろう」


「ニコで良いよ」


「まぁ、そうか。そっかあ」


「嫌だ?」


「嫌じゃないけど。いや、こう言うのも慣れないといけないんだよな。うん。それで良い。それが良い」


 彼はまた自分のほっぺたをかいた。たぶん困った時にするくせだ。


「ねぇ、お兄ちゃん」


 またピクンと彼の肩が震える。


「勉強教えてくれない?」


「勉強?」


「同い年がどんなことしてくれるのか気になって」


「俺あんまり頭良くないけれど」


 そう言って、教科書を見せてくれた。数学。この辺なら大体分かる。


 2人で向かい合って座った時、彼は思い出したように言った。


「あ、そうだ」 


 ちょっと口をモゴモゴさせて、彼は私の方を向いた。


「写真、撮っても良いかな」


「写真って?」


「ニコの写真」


「え」


 彼は遠慮がちにポケットからスマホを取り出した。


「ちょっとだけ」


「良いけど、どう言う感じに」


「笑って見せて」


「笑う?」


「うん。まあそう」


 何が目的が分からないけれど、円の表情は真剣だった。スマホのカメラがこっちに向いている。


「待って待って。変な顔になってない?」


「大丈夫」


「これで良いの」


「あとは、ピースとか」


 円がスマホのカメラを構える。

 何だか知らないけれど、とても恥ずかしい。


「ぴーす」


 パシャと音がした。


「うん」


 彼は満足そうにうなずいた。


「ありがとう」


「これどうするの?」


「友達に送る。妹ができたって」


「ええ。恥ずかしい」


「ダメかな。良く撮れてる」


 すごい嬉しそうな顔でスマホを見ている。


「ダメじゃないけど」


 そんな顔をされたら断れない。彼はニコニコしながらスマホをポケットにしまった。


 それから一緒に勉強して、お昼はサンドウィッチを食べた。ハムと卵を炒めてマヨネーズで味付けした。


 お兄ちゃんって呼ぶと、円はピクッて肩を震わせる。無意識かもしれない。私はそれがちょっと可愛いと思ってしまった。

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