4.朝ごはん (ニコ)


 日本に来る前、私を引き取ってくれたお婆ちゃんバーバは繰り返し私に言っていた。


「私がいなくなったら、あなたがひとりぼっちになってしまうのが、可哀想で仕方がない」


 今思えば、自分がもう長くはないことを知っていたのだろう。

 私の髪に触りながら、おまじないのようにお婆ちゃんはつぶやく。


「ニコ。私の可愛い子」


 そう言う時、お婆ちゃんはきゅっと目を細める。大きな猫みたいな、私の大好きな顔。


「私はあなたに色々なものをもらったのに、あなたに何も残すことができない」


「何言ってるの。お婆ちゃん、もっと長生きするんでしょ」


「そうしたかったんだけど。せめて誰か頼りになる人がいれば良いんだろうね」


「心配しすぎだってば。私ご飯だって作れるし、洗濯だってできるよ」


「そうだね。ニコはしっかりしているからね」


「でしょう」


「でもね」


 お婆ちゃんは目を閉じて、椅子の背もたれに身体をゆだねる。ストーブの火がパチンと音を立てる。


「家族の愛情に変わるものは、やっぱりないんだよ」


 お婆ちゃんが亡くなってから、顔も名前も知らなかった親戚が私と一緒に住むことになった。大好きだった家は、息苦しい場所に変わってしまった。


 パパに会いに行くと私が言うと、どうぞどうぞと送り出してくれた。


 彼らにとって、多分私は邪魔でしかなかったのだろう。


 喉につっかえた魚の小骨。


 そういえば、昨日食べた焼き魚は美味しかったな。


「おはようございます」


 ちょっと寝過ぎてしまった。

 ふすまを開けると、ちゃぶ台の上で化粧をしている朋恵ともえさんが、こっちを振り向いた。


「おはよう。ニコちゃん」


 安生朋恵あんじょうともえさん。

 明るくて声の大きい元気な人だ。昨日は「ボサボサで恥ずかしい」と言っていた長い黒髪は綺麗にまとまっている。


「よく眠れた?」


「はい、おかげさまで」


「そりゃ良かった。朝ご飯作ってあげたいところなんだけど、ちょっと私も寝坊して時間がない。まどか、あとよろしくねー」


 バタバタと慌てて朋恵さんは家から出て行った。その声に反応して、洗面台で歯を磨いていた円が顔を出した。


「よろしくねって。俺も今起きたばっかなんだけど」


 あきれたように肩をすくめて、彼は洗面台に水を吐き出した。パジャマ姿で、ツンと尖った髪に寝癖をたてた彼は、私の顔を見るなり慌てたように、髪をおさえた。


「おう。おはよう」


 びっくりした様子で円は言った。 


「おはよう」


 私も挨拶を返す。円はペコリと会釈えしゃくした。

 何となく会話が続かない。そういえば、年の近い男の子と2人きりになるのは、初めてかもしれない。


「あの、さ」


 彼は戸棚からフライパンを取り出した。


「朝ご飯食べる?」


「あ、うん」


「いつも何食べてる?」


「シリアルとか」


「ごめん。そう言うの無いんだ。買ってこようか」


 フライパンを置いて、彼は慌てたように言った。


「コンビニすぐそこだから」


「ううん。円くんと同じもの食べるよ」


「卵と納豆とご飯だけど」


「それが良い。納豆好きだから」


「そうなんだ。それは良かった」


 彼はホッとしたように微笑んで、冷蔵庫から卵を取り出して、コンロに火を入れた。


「私も手伝うよ」


「良いよ、座ってて。目玉焼きと、昨日の味噌汁温め直すだけだから」


 彼は手際良く朝ご飯の準備を始めた。昨日一緒に料理をしてみて分かったが、円はとても料理が上手だ。作り慣れている。


 やることもないので、料理を作る円の後ろ姿をジッと見ていることにした。誰かがご飯を作っているところを見るのは楽しい。


 料理を持ってくる円と目が合う。彼は私を見て、ギョッとしたような顔をした。


「何だよ正座。もっと足くずしても良いのに」


「そうかな」


「遠慮すんなよ」


 そう言いながらも、円も私から少し離れたところに、ぎこちなく座った。


 緊張させちゃっている。申し訳ない。


「いただきます」


 静かな食卓だった。

 昨日、雨の帰り道で話した時とは違くて、円はあまり喋らなかった。テレビのない家に、食器の音がかちゃかちゃと響いていた。


 久しぶりの納豆は美味しかった。お味噌汁も温かくてホッとする。


「円くんの作る、お味噌汁」


 お腹がポカポカしてくる。


「優しい味がして、美味しいね」


 私がそう言うと、円は照れ臭そうにカクカクとうなずいた。 

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