第1話 出会い

 「早瀬先生、こちらが今日から一緒に3年C組を担当していただく藍野先生です」


 校長からそう言われた私は、校長室特有のフカフカなソファに体を沈めながら、対面に座った男2人組をまじまじと眺めた。私の真向かいに座る男性は若くて端正な顔立ちを、向かって斜め右に座る男性は白髪混じりの短髪に皺の入った顔をしている。校長によると、1人は新任の先生、1人は文部科学省の役人らしい。


 「あの、、、どちらの男性が藍野先生でしょうか?」


 短髪白髪混じりの男性が低く野太い声で言った。


 「自己紹介が遅れました。私は文部科学省の特別任務補佐官、海堂猛と申します。そして私の右側に座っているのが、今回の計画に使用されるAIパラサイトです。名は藍野命吹(あいのいぶき)といいます」


 「AI、、、パラサイト、、?」


 戸惑う私を見て、短髪白髪の男性は子どもを説得するような目をこちらに向けてから落ち着いた声で説明してくれた。


 「AIパラサイトとは、脳死判定された人間の脳内に自律学習プログラムを搭載したAIチップを埋め込んだものです。まぁ、簡単に言ってしまえばAIが操作する人型ロボットですね」


 そんなに簡単に言ってしまって良いの?という言葉はなんとか飲み込んだ。そのかわりに浮かんだ別の質問を私は口にした。


 「それで、私は何をしたら良いんでしょうか?なぜ、私のクラスに?」


 白髪混じりの、、、いや、海堂さんはずっと私の方を見てる。校長のことは気にしてない。校長もこの男性の話にはあまり気を止めていないようだった。腕を顔の前で組んで、そこに顎を乗せながら話を聞いている。もしかすると、校長には先に話が通されているのかもしれない、と思った。


 海堂さんはそのまま続けた。


 「まず前提として、このAIパラサイトには喜怒哀楽というような単純な感情しか備わっていません。それから、読む、聞く、書く、話すといった“言語理解プログラム“、目の前で起こっていることを理解する“事象把握プログラム“、自分に与えられた問題を解決する“問題解決プログラム“、それらを駆使して自分が起こしたアクションに対する“フィードバックプログラム“の4つのプログラムしか搭載されていません。これからの生活の中で、このAIパラサイトはさまざまな感情や人間関係、行動パターンを学習します。しかし、AIはそれらがどのような名前を持つのかを知りません」


 「そこで君がこの藍野先生に、新しく学んだ感情や行動が何と呼ばれているのかを教えてやってほしいんだ。3年生の担任で現代文の教師は君しかいないからね」


 久しく口を閉じていた校長が言った。その声は少し上ずっているみたいだ。やはり、国直轄の案件ということで多少なりとも緊張しているのだろう。内心困惑していたが、わかりました、とできるだけ落ち着いた声で私は返事をした。ちらりと斜め横を見ると、校長にセリフを取られた海堂さんは少し気に入らない、というような顔をしていた。

 

 「それでは早速、起動スイッチを押します」


 そう言ってから海堂さんは、AIロボの左のこめかみを押した。すると今までずっと静かに座っていたそのロボットは、険しい表情を崩して微笑んだ。


 「こんにちは。私の名前は藍野命吹です。よろしくお願いします」


 私は目を見張った。目の前で喋り出したこのロボットは、びっくりするほど人間そっくりだった。しかも綺麗に一礼までやってのけた。いや、確か話によれば脳死した人間にAIチップか何かを埋めたって言ってたような。じゃあ、この藍野先生はもともと別の人間だったってこと?気味が悪いほど人間味のあるAIロボを目の前にしたら、自分がとんでもなく大きなことに巻き込まれているんだという実感が押し寄せてきた。

 

 「生活に必要な行動は大体習得しています。特に介助は必要ありません。私もそろそろ次の仕事に向かわなければならないので、生徒への説明と、藍野からの形式的な挨拶だけでも済ませておきましょう」


 

 3年C組の教室を開けると、騒がしい生徒たちが一斉にこちらに目を向けた。生徒たちのおしゃべりも、教師と一緒に入ってくる黒いスーツに身を包んだ男2人によってピシャリと止められた。先陣を切って話し始めたのは海堂さんだった。


 「おはようございます。文部科学省から来ました街道と申します。今日から皆さんには文部科学省が担当するプロジェクトに参加していただくことになりました。色々と説明しなければならないことはあるのですが、まずは新任教師の藍野から挨拶です」


 一歩前に出ると、藍野先生は爽やかな笑顔で話し始めた。


 「おはようございます。新しく皆さんの副担任となりました、藍野命吹といいます。これから素敵な一年になると良いですね。よろしくお願いします」


 藍野先生が一礼すると、起き上がる前に海堂さんはもう話し始めた。


 「この藍野ですが、体は生身の人間ですが脳内にはAIチップが埋め込まれています。つまり、半分ロボットのようなものです。今、政府は人間の心を作り出そうとしています。この藍野の中に埋め込まれているAIチップは皆さんとの生活を通してさまざまな感情を学んでいきます」


 そこまで言うと、教室中がざわめきで満たされた。驚きを隠せない生徒もいれば、信じられず笑ってしまう生徒もいる。そんな騒がしさなど気にも留めず海堂さんは続けた。


 「皆さんに何か特別していただきたいとうことはありません。ただ、このことは絶対に口外しないでいただきたい。極秘任務であるので、できるだけ計画の支障となるようなことは避けたいので」


 あれだけざわついていた教室も、あまりの情報量の多さに頭がついていかず完全に静まり返っていた。そんな静寂を1つの声が切り裂いた。


 「藍野?せんせーだっけ?あんたロボなんだろ?なんかロボっぽいことしてみてよ」


 そう言ったのは橋田涼真だった。橋田建設の社長の息子でクラスのリーダー格。教室でもよく声が通る方で、彼の一言は大きな力を持っている。


 「君のことはよく知っています。橋田涼真君ですね。8月9日生まれ、しし座のB型。身長は176cm、体重は68kg。住所は、、、」

 

 「藍野。公共の場で他人の個人情報をベラベラと話すな。犯罪行為にあたる」


 失礼しました、と一言添えてから藍野先生は咳払いした。これができると言うことは、全員分の個人情報があの脳内に入っているのだろうか。そう思ったら、なんだか急に彼と、海堂さんのことが怖くなってきた。


 「なんか意味わかんねーけど、別に俺ら先生いなくても仲良くってるし、特に問題ないんで。受験の邪魔になんないように、その辺の常識だけ守ってくれます?」


 そう言われた藍野先生の目は、真っ直ぐ橋田君を捉えていた。そこから一呼吸置いて藍野先生は口を開いた。


 「常識、、、?すみませんが、私のプログラム外の概念です。理解できません」


 1人だけ落ち着き払っている海堂さんを除いて、教室の中にいる人間の間には緊張した空気が漂っていた。


 藍野先生と私たちの生活が、これから始まる。

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