第三話 もう一人の弟

 裏目って地雷を踏み抜いたものの、ハルに命じられたのは軟禁生活ではなく、アイルランド島へ向かう国王に随行せよというものだった。

 アイルランドは、ロンドンがあるブリテン島の西側にアイリッシュ海峡を挟んで接する島だ。


「陛下、なぜアイルランドなのですか?」

 子がないリチャードが相続人に指名したのが、縁戚のアイルランド総督だった。それが土着民の一揆で殺害されたという。


 リチャードには存命の叔父が三人いる。ハルの祖父ランカスター公もその一人だが、近親の叔父ではなく遠縁を相続人に選ぶあたり、不仲の証明に他ならない。やはりハルの父の追放も偶然ではなく、巧妙に仕掛けられた罠だったのだろう。


「総督には小さな息子がいるのだ。助けてやらねばならぬ。おまえにとっては初めての戦場であろう? よく見ておくがよい」

 戦というより小競り合い程度のものだったが、想像よりも遥かに恐ろしいもので、ハルは眠れぬ夜を何日も過ごすハメになった。実際に戦ったわけではない。離れたところから見ているだけなのにだ。


 しかしある時、これは人ではなくモノだとふと思ってから、千切れた手足や屍を見ても恐怖ではなくなった。


 そしていよいよ次の出撃を命じられる。

 ハルは剣を磨きながら一人、夜明け前を過ごしていた。この鎧も、剣も、馬も、全部リチャードがしつらえてくれたものだ。

 己のものは、この身と心ただ一つ。

 オレは名も無きハルだ。この戦いで何をつかみ取るか。


 同じ年代の男子に比べて手足は長く、走るのもケンカも負けたことはない。貴族の子息として剣術や槍術は幼い頃より叩き込まれてきた。十三歳、まだ大人ではないが、もう子供でもない。


「手に入れてやる」


 戦はもちろんハルが指揮するわけではない。駒の一つとして二、三人を斬っただろうか。土着民は一度反撃に転じたたもののすぐに諦め、城を明け渡した。

「陛下! ご覧になりましたか? わたしは充分に戦えます!」

 それでもハイテンションに帰還したハルを、リチャードも笑顔で迎える。


「ハルよ、途中で根を上げずよく頑張ったな。おまえを騎士ナイトに叙任しよう」

 それは主君から与えられる、産まれや身分には関係のない栄誉だった。


「わたしに……、よいのでしょうか。わたしは反逆者の息子です」

「おまえは余とイングランドの為に尽くし成長した。おまえの成長がイングランドの安寧に繋がると余は思う。大事なのはどの親から産まれたかではなく、おまえ自身の心だ」

「心ですか。それは学校でも教わりませんでした」

 王はふふふふっと朗らかに笑った。


「ありがたき幸せに存じます」

 その場で両膝をつき、頭を垂れる。リチャードが長剣を抜き、ハルの両肩に剣の平を当てた。騎士ナイト叙任の儀式に、ハルの胸はいっぱいになる。


「これから、余のことはおじさんとでも呼びなさい。余もおまえを息子と呼ぼう」

 そう言って、顔を上げたハルのツンツンした頭を撫でた。


 それからリチャードは何かを探しているようで、城内を地下からくまなく回っていく。

「ハルよ、かくれんぼをするならどこに隠れる?」

「かくれんぼですか? 弟たちとよくやりましたが」


「探しているのは小さな子供なのだ。きっと怯えてどこかに隠れている」

「わかりました。見つけてみせます」

 子供なら低いところで、単純なところだ。それから真っ暗なところには隠れない。長男のハルはいつも鬼役だったからよく分かる。


 ドアを開けていくと、三つ目の部屋はしんとした書斎だった。隠れるところがたくさんありそうだ。総督の執務室や主寝室は土着民にひどく荒らされてしまっていたが、ここはそうでもない。


 書棚の陰を一つ一つ確かめていくと、目の端で何かが動いた。はっとしてそっちへ向かうと、黒髪の子供の後ろ姿が棚をターンして消える。

「見つけたぞ! おいっ、オレは敵じゃない。ここはもう安全だ!」

 追いかけるが相手もなかなかすばしっこい。


「けど鬼ごっこなら負けねえし」

 弟三人と妹二人を相手してきたのだ。兄の沽券にかけ、一対一で逃がすわけにはいかない。子供の進路を予測して、自慢の足で先回りする。


「わわわっ!」

 目を丸くした子供が予想通りに突っ込んできたのを体当たりで止め、ひっ捕まえた。

「暴れるな! 敵じゃないって言ってるだろ。リチャード陛下が来たんだ」

「リチャードへいか……、イングランドの王さま?」


「そうだ。おまえを助けに来たんだ。名前は?」

「……モー」

「オレはハルだ。安心していいぞ、モー」

 緑色の大きな瞳の少年は探していた総督の息子で、末の弟ハンフリーよりも一つ歳下の八歳だという。


 父親の総督が殺害され、土着民に捕われる寸前を隠れて逃げ回っていたようだ。ハルにとっても、それまでの生活全てを突然失った恐怖は記憶に新しいから、八歳で一人それに耐えるモーには共鳴するものを感じた。


「我が息子モーよ、よくぞ無事でいてくれた」

 リチャードはモーを抱きしめ、孤独になってしまったこの少年の面倒を見てやるようにとハルに命じた。


 クイーンズ・カレッジの学寮に入るまでは三人の弟たちと一つの部屋で過ごしていたから、ハルには造作もない。負けず嫌いな弟が一人増えたようなもので、翌日にはもう打ち解けていた。


「今日は昨日の続きで、かくれんぼからの鬼ごっこだ。オレから逃げられると思うなよ」

「ぼくだって負けないもん!」

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