第二話 地雷キング

 そりゃあちょっと、遊びが過ぎたかもしれない。授業をサボって賭場へ行っていたのは認める。昨夜は揉め事もあったし。それにフランス語はどうしてもやる気になれなくて、ろくにテスト勉強をしなかったし。


「しかし叔父様、それで一切の猶予もなく退学というのはあんまりじゃ……」

「退学? 何を言っているのだね。国王の命令で、おまえの父上が国外追放になったのだよ」

「……どういうことですか?」

 絞り出せたのはそれだけだった。頭が全く追いつかない。


 ハルの父親とイングランド国王は従兄弟同士だ。その国王から追放されたというのは、つまり歯向かってしまったのだろう。

「なんで、理由は」

「話すことはない。我々と共に来てもらう」

 ものものしい兵士に四方から囲まれ、ハルには成す術がない。最後に叔父と目が合うと、すまないと言いたげな顔をされた。


 愕然とする。これが国王の強権というものなのか。

 荷物をまとめる時間すら与えられず、寝起きにブラウスを引っかけただけの格好で連行される。そしてライオネルや寮長に別れを告げることすら許されなかった。馬車に押し込められても四人の兵士は離れないし、子供相手に大人四人とはちょっと厳重すぎやしないか。


「父は何をしたのですか」

 兵士は答えない。沈黙の中、感じたことのない恐怖にじわじわと内から浸食される。国王リチャード二世は、己に異を唱える者を許さないという。反対意見を述べたばかりに更迭された臣下が何十人もいると、以前叔父から聞かされた。


 オックスフォード大学総長の叔父でも太刀打ちできず、ライオネルのように頼りになる友人はいない。というか周囲がこの事実を知らされる頃にはもう、自分はこの世にいないかもしれない。


 父が追放されたということは、ランカスター家の所領は没収されるのか。実家の弟と妹はどうなるのだろうか。

 トマス、ジョン、ハンフリー、ブランシュ、フィリッパ——。

 母は既に他界している。父親不在の今、弟と妹を守れるのは長男のオレだけだ。


 けど、このままいけば良くて幽閉、最悪暗殺だ。

 父にもきょうだいにも二度と会えぬまま、明日来るか十年後に来るか分からぬ暗殺者に怯えながら生き長らえる。引き継ぐはずの所領も財産も無いどころか、ランカスターのハルですらなくなり、無一文で惨めったらしく庇護を受けながら、屍のように無為な時間を消化する。


 名も無きハルとして一人閉じ込められる。それはただ息を吸って吐くだけで、死と同義だ。

 今までのことは全て泡と消えた。努力してきたのはまったく無駄になったのだ。こんなことならもっと遊んでおけばよかったし、昨日は賭場に行かず、『ローマ建国以来の歴史』を最後まで読んでおくのだった。せっかく面白いところだったのに。


 なにしてくれたんだよクソ親父!

 一人だったら手あたり次第に物を投げつけていただろう。恐怖と絶望に代わり、今度は激しい怒りが湧いてきた。


 しばらく感情に任せて「どこへ向かってるんですか」「ロンドンですか」「父はフランス行きですか」と矢継ぎ早にまくしたてると、徐々に落ち着きを取り戻してきたのが自分でも分かる。


 そうだ。考えろ。諦めちゃダメだ。

 最初に配られたカードがどんなにゴミで揃いそうになくても、決して勝負を投げるな。大きく負けないために考えろ。最善の手を導き出せ。まして今、賭けているのは金じゃない。己の命であり、家族の命運なのだ。


 うんざりするほど揺られてようやく馬車が止まる。初めての場所に見当もつかないが、ここが終の地になるのかもしれない。うら寂しい古城に踏み込むと、魔物の腹の中へ自ら足を踏み入れるようだった。


 広間に通されたハルの前には、細面の豪華な装束の人がいる。肩まであるカールした金髪に、やや目尻が下がった大きな瞳。着ている服は男物だが、女性と言われても疑わないくらいだ。


「国王陛下の御前ぞ」

 隣の兵士にどつかれ、慌てて拝礼する。


 国王リチャード二世⁉ この人が⁉


 気に入りの寵臣には土地と金をばら撒く一方、極めて専制的で従わない者を次々と処罰し排除するという、悪名高い人物……なのだろうか。

 対面してみると、起こした事実の方が嘘ではないかと思ってしまうほど、穏やかでのどかだ。いやな感じは全くないし、息が詰まるような圧や鋭利な近寄りがたさも感じない。


「ランカスターのヘンリー。オックスフォードで学んでいるそうだな。あとその年齢で賭博場に入り浸っていると」

 誰だよ吹き込んだヤツ。

 ハルが否定できないでいると、リチャードはふふふと微笑んだ。


「かなりの暴れん坊と聞いていたが、大人しく従ったようだな」

 それで四人態勢だったわけか。オレは野獣じゃねえっての。


「おまえの父ボリングブルックは反逆罪ゆえフランスへ追放となった。向後おまえは自由に移動するのは叶わぬ。限られた範囲での生活になろう」

 つまり人質だ。それなら己よりも次男トマスの方が効果的だろう。父の期待は常に弟へ向いている。だがわざわざそれを明かしては弟を危険に晒すことになるので黙って頭を下げた。


「謹んで承ります」

「突然の出来事ゆえ、戸惑いもあろう。だが余は、おまえの年頃で既に王だったのだぞ」

「わたしが生を受けた時分より、今上きんじょう陛下はリチャード二世ただお一人であります。わたしも今日より父は亡き者と思い、陛下にお仕えする所存でございます」


「よい覚悟だ。男子たるものそうでなければな。何か望みはあるか」

 来た……!

 これこそ、ハルが引き出そうと構えていた言葉だった。


「叶うのなら、戦をしてみたいのです」

「ほう、初陣はまだだな?」

「はい。リウィウスの『ローマ建国以来の歴史』を愛読しておりまして、ちょうどハンニバルのところなのですが、わたしにもできるのではないかと」

「ハンニバルと同じようにと申すか?」

「はい」


 紀元前三世紀のローマは、イタリア半島の南の果てまで勢力を拡大していた。ぶつかり合ったのがアフリカ北岸の都市国家カルタゴだ。両者の戦いはポエニ戦争と呼ばれ、序盤はローマが勝利するも、カルタゴの猛将ハンニバルがアルプス山脈を戦象で越え北からイタリアに入ると、ローマにとって史上最大の敵となった。


「ローマ軍の不意をつき突如現れる伏兵といい、カンナエで七万のローマ兵を包囲殲滅した戦術といい、神のごとく戦を極めし戦術家と言えましょう。わたしにもそんな戦ができると思います」

「ハンニバルと出たか。ふっふっ」


 まだ毛も生えぬ子供の戯言と笑うのだろう。しかしイングランドは安泰ではない。

 ブリテン島の西にはウェールズ、北にスコットランド、沖合にはアイルランド、そして南の対岸ヨーロッパ大陸にはフランスに囲まれ、いつどこから侵略されるか分からぬ情勢であるからには、戦力はあればあるほどよい。現在は中断しているが、後に百年戦争と呼ばれるフランスとの交戦状態も続いているのだ。


 イングランド王にとって最も必要なのは、戦える人材。戦の趨勢を変えられる人間だ。戦の経験はまだないハルだが、全てを賭けるのはこの一点だった。

 ああ、悪くない。この反応は悪くないぞ。


「陛下の父君であられるエドワード黒王子ブラック・プリンスが、かつてフランス王ジャン二世を捕らえたポワティエの戦いを、陛下の御前にわたしが再現してご覧に入れます」

 リチャードは、若くして逝去した英雄エドワード黒王子の一人息子だった。

 身内へのお世辞だって忘れないぞ。これでどうだ!


 しかし顔を上げてぎょっとする。リチャードの柔和な笑い顔が、同じ人物かと疑うほどに冷たく凍り付いていたのだ。

「威勢の良さは反逆者の父親以上かもしれぬな。よいか、余の前でエドワード黒王子の話は二度としてはならぬ。二度とだ」


 終わった……


 調子をこいて世辞を言ったつもりが地雷だったようだ。

 頭をガンと殴りつけられたようなショックに、ハルは「モウシワケゴザイマセン」と口を動かすしかなかった。

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