第4話 Sepia
「あ、君どうせ働くとこ無いでしょ。だったらウチで働いてね。」
朝、店の一階に下りると、既に居た昨日の女の人に開口一番こう言われたのだ。サーフィンの知識も学力も何もないのに、ここで接客できるわけがない、と丁重に断った。
でも話しかけてくる口は、開店作業を手際よくこなしつつ、私に口をはさむ機会を与えなかった。
「でも、二階に泊ったでしょ?借りは返してもらわないと。」
と、ぐうの音も出ない事実を被せられて、ここの店員の制服である緑のエプロンを結ぶことになった。
「あの…」
「心配しないで、私がいるから。」
ーーー
早速店に誰かが来た。顔が黒くて髭が濃くて、いかにもサーフィンをしていそうな容貌。客層を理解した。
「いらっしゃ…」
「店長ぉ!おはようございます!」
「おっす…誰この人?」
「あぁ、さっき雇ったシンジン君です」
店長とされる黒いタンクトップの男は店内の椅子に、荷物が詰まりすぎて黒い箱の様に角張っているバックパックを叩きつけるように置いた。駆け足で来たのか、息をつくと左腕の時計を見ながら右腕で汗を拭って私に近づいてきた。その時見えた腕の肉質は初めて見る剛健さを持っていた。
「どうも…」
「名前は?」
「そういえば訊くの忘れてたような」
そういえば私も言うのを忘れていた気がする。
「髙見澤ハルト、と申します。」
「ハルト君…ねぇ。私は坂上アミ、よろしくね。」
「よろしくお願いします、坂上…先輩。」
先輩の顔を見ると、顔を赤くして固まっていた。
「アミちゃんもしかして泣いてるのかい?」
「初めて先輩って言われたのが、ちょっとハズカシくて。」
私も顔の面が熱くなり、店長は大口で笑った。
ーーー
店長も、私が店の二階に居候することを許してくれた。「アミちゃんと暮らしてくれよ」とも言われたが私は申し訳なさげに拒絶しておいた。
残った一箱の激辛カレーは、下の店で売っていた冷凍シーフードで中和して食べた。シャワーを浴びて、出たころには日付が変わっていた。布団を敷き、月に照らされながら寝たい、と窓を開けて布団に入った。目を閉じて瞼に貫通する優しい月明りを感じていた。
すると外から歌う声が聴こえてきた。アコースティックギターの弾き語りが、海のほうから聴こえてきた。曲は聴こえてくるものの、歌詞は細くてよく聴き取れない。
視認しようと起き上がって窓から海岸を見てみたが、その人はちょうどここからでは見えない所のようで、仕方なく外に出て探しに行くことにした。
ーーー
礫の階段を下りて踏む夜の砂は昼の温かさを持っていた。万物が眠った、音のしない外に吹く弱い風は、私の耳に例の歌を運ぶことに加え、さざ波の音をより響かせていた。
禿げた丸太に座る人影が見えた。近いうちに見たことのある長髪で、もしかしたら…。
近づくと、その人影はこちらを向いた。
「…もう寝たと思ってたんだけどな。」
やはりアミ先輩だった。しかし、裸足の脚を組みギターを膝に乗せていた。
「何して…」
「まぁ、とりあえずそこに座ってよ。」
先輩は指に持つピックで先輩の座っているものとは違う丸太を指した。私はその上に散りばめられていた砂を手で払ってからその丸太に座った。
先輩は深く息を吸った。そして数秒溜めると、また数秒かけて息を吹いた。銀の髪を耳にかけ、ピックを弦にかけた。
♪―――
――聴いて下さい。
『messiah』
私を救ったあなたは それでもいいって言った
私に袖を濡らされたあなたは 温もりで私を包んでくれた
私の声を聴いてくれたあなたは いい声だねって褒めてくれた
ずぶ濡れになった私は あなたの泪に溶けました
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