第3話 銀(しろがね)

 濡れて冷たい体を抱いて礫の階段を戻り、車の通らぬ道路沿いを手前から舐めるように見渡した。すると一軒、店らしい構えの白い建物が小さく見えた。


 サーフィン小屋 : AkkorD


 ーーー


 他に誰もいない店内に、訪問者の私が一人と床板の軋む音だけがある。サーフボードが壁に立てられてあり、救助用の浮き輪は縄でつるされている。マリンスーツはハンガーで壁に掛けられている。あと、さっきの釣り人と同じ色のライフジャケット。白いシェルフには一つ、大きな法螺貝。見たことのない物に次々と焦点が合った。

 奥に行くとバルコニーがあった。そこには白いプラスチックの、黄ばんだ机と椅子。その上には灰皿が置いてあって、吸殻がたまっている。

 この店の壁は白く塗られているが、多少褪せていて、点々とささくれに木の色が見られる。これは潮風のせいなのか、それとも建ってからもう古いのか。


「…誰」


 後ろからの女の人の声に私は驚き固まった。同時に、傍から見れば今の私は「物色している」とも言えて、汗が全身から滲み出た。


「あ、これはあの…」


 言葉を焦らせながら相手のほうに振り向いた。しかし日の逆光で漆黒の容姿しか見ることが出来ない。


「もしかして、あなた…」


 と相手が近づいて来るに連れてだんだん相手の見かけの身長が高くなっていく。客観的に「物色している泥棒」の弁解が出来そうにない。万事休す、だった。


「もしかして…」


 すぐに頭を下げて―――


「もしかして…サーフィンに興味あるの?」


 ーーー


「へぇ、そういうこと。」


 女の人はここの店員だった。身長は私より少しだけ高く、銀髪を後ろでポニーテールにとめている。黄ばんだプラスチックの椅子に二人それぞれ座って、私は海で濡れてから今までのカクカクシカジカを説明した。女の人は肘をついて私の話を聞いてくれた。


「まぁ今から警察に突き出してやってもいいけどね。」

「本当に、勘弁して下さい。」

「あーごめんごめん、ウソウソ。」


 初めて会ったはずなのに、やけに気さくな対応であることに困惑した。


「そういえばさ。海、変な臭いだったでしょ。」

「確かに今まで体験した事の無かったものでしたね。」

「あ、海、初めてだったの?」

「…そうですね。」

「あー、そっか。最初は変な臭いだよね。」


 根拠はないけれど、確かに穏やかな肉迫を感じる、生暖かい変な「匂い」だった。

 その時、バルコニーを過ぎる涼しい風が潮風を運んで通り過ぎると、女の人の銀色の髪が微妙にゆれた。


「でもワタシ、今はいい匂いって思ってるんだ。」


 と女の人は海のほうを向いた。目の遣り所が無くて私も海を見た。そうして二人はしばらく無言で海を眺めていた。

 波打つ水面は日を反射して煌めき、小波の音は私に浸透した。そのうち私の意識は海だけに向いていた。

 道路をはさんで海岸沿いに位置するここからの眺めは海の小波の音がよく聞こえる。バルコニーは海の概ねを見渡せるように設計されているのかもしれない。

 また、潮風が「いい匂い」と言えるこの女の人は、この街が地元の可能性が高い。生粋のサーファーのような容貌がその根拠だった。


「そういえばなんで海に来たの?」


 他言したくは無かったが、現状の立場的に、私がことを言わざるを得なかった。その旨を伝えると、女の人は顔を背けてしばらく考えていた。


「とりあえず泊まっていきなよ。ここ、実は二階が住めるようになっててさ。」


 ーーー


 埃を掃いて、電球を取り換えると明かりがついた。次に窓と棚、その他見える場所の水拭き。やっと寝られるくらいにこの部屋が清潔になった、と納得した頃には、夜空に覆われていた。

 貰ったレトルトカレー二箱は消費期限間近。この部屋から引っ張り出したものらしい。毒ではないから我慢しろ、とも。

 一階の店内にあるIHコンロを使って五分湯煎をした後、さっきまで埃が乗っていた皿に中身を流し、ご飯無しのカレーを頂いた。激辛だった。

 用意された布団は窓から突き出して数回叩いてから敷いた。そして電気を消して顔まで布団に入って今日を思い遣った。

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