煌めく都市と偽者の姫君 4

 エリスたちがまだ宿へと向かう馬車に乗っていないと聞いたリタは、とりあえず彼女たちと合流することにした。


 その合流はいともたやすく成功した。知らない街でこうして楽に再会出来るのも、魔術や魔法があってこそだ。……エリスたちが、先程別れたところから数百メートルしか歩を進めていなかったからという理由もあるが。


 自分とキリカもそうだが、とにかくエリスたちも目立つ。なんとなく雰囲気でそこに居ることが分かったのは僥倖だったかもしれない。


 ちなみに、ラキは武器屋に、モニカは化粧品店に釘付けだったとのことだ。どっちのせいで遅くなったなどと絶賛言い争い中のラキとモニカを宥めるエリスから、恨めし気な視線が突き刺さる。


 それを苦笑いで躱しつつ、リタは妹に質問を投げた。


「で、なんでこんなに混んでんの? 馬車乗れないじゃん」


「聖女がそこの大通りを通るんだって。それまで馬車は発着禁止」


「うげー。……って、聖女!?」


 神妙に頷いたエリスの表情に、リタは気を引き締める。まさか、件の聖女とここで相見えることになろうとは。しかし、考えようによっては非常に都合がいい。


 今、リタたちがいるのは数えるのも馬鹿らしくなるほどの群衆のど真ん中だ。大通りの中央だけが衛兵により空けられているが、その両側はまさに人の海だ。


 だが、逆に考えれば、これだけの人混みである。ほぼ一方的に聖女を観察することが出来るだろう。


 敵か味方か分からない以上、敵だと想定して行動するのは当然だ。仮にこちらに気付いたとしても、相手の立場的に、これだけの民衆を巻き込んで強引な手段に出るとは考えにくい。その点でも都合がいい。


「聖女ソフィア・イルミ・ロズウェンタール、ね……」


 何かを確かめるようにそう呟いたキリカの声をリタの耳はしっかりと拾っていた。視線を向けるも、キリカは心配するなと言うように首を横に振るだけだった。


 聖女を視認できるのは、色々な意味で楽しみではあるものの、なんとなく落ち着かない。手持ち無沙汰になったリタは、エリスに質問を投げた。


「そういえばさ、何で聖女って洗礼名ないの?」


 リタの質問に目を見開いたエリスは、大きな溜息を吐いた。「今更?」と言外に敵のことも調べてなかったのかと半目を向けるエリスに、リタは「あ、いや……。最近、訓練以外は勉強漬けだったし?」と頬を掻く。


 流石にこの人混みの中で口にすることは出来ないが、リタが興味があるのは聖女が敵なのかどうか。そして、敵だとして殺しきれるのか、という点だけだ。名前などに全く興味は無かったのだから仕方がない。


 勿論、エリスとてそれは承知の上だった。ただ、彼女も聖女の件で少し緊張していたのも事実。だから、いつもと同じやり取りをしたくなっただけである。


「そもそもの話だけど、教会本体というか上層部の人ってあまり洗礼名が無かったりするんだ。生まれつきそういう家系って人が多いから、最初から祝福された音を取り入れて名前をつけてるイメージって言えば分かる?」


 エリスの言葉に、リタは「な、なんとなく……?」と頷く。そんなリタの様子に満足気に微笑んだエリスは更に続ける。


「王子殿下の『アレク』もよくある名前のひとつだけど、『アルトリシア』の頭の音をもじってるでしょ? あんな感じなんだ。実際、聖女の名前がどうかってことは、私も知らないけど……。とりあえず、洗礼名は成長してから信徒になったときに、改めて送られるものって感じかな」


「へぇ……。ちょっとイメージ出来た気がする」


「補足すると、洗礼名はね〝聖人名〟とも言って、昔実在した聖人と呼ばれる人たちの名前を取ってるんだ。だから、あんまり大きな声じゃ言えないけど……、今の聖女が功績を残して亡くなったら、『ソフィア』が新しく洗礼名に加わるんじゃないかな」


 なんだかんだ優しく解説してくれたエリスの説明に、リタはうんうんと頷いた。「ちなみに、洗礼名にも階級があってね。キリカちゃんの『ルナリア』はその中でも特別で、当代に一人しか名乗ることが許されないんだよ?」と続いたエリスの言葉に、リタは思わず驚く。


 なんとなく、だが……。偶然じゃないような気がしたのだ。そんなリタの考えを知ってか知らずか、エリスは笑みを浮かべたまま言葉を続ける。


「特祝洗礼って言って、教皇もしくはその代理人による特別な儀式を経て送られる名前なんだって」


「ふぅん? キリカとか閣下が敬虔な信徒ってわけじゃないのは本当だし、流石は大貴族……?」


 軽口の途中で、リタは思わず黙り込む。エリスの説明によれば、特祝洗礼で使用される洗礼名のリストは統一教会の総本山、アルトリンヴル大聖堂にて厳密に管理されているらしい。


 キリカが死ぬまで他の人が『ルナリア』の洗礼名が使えないということは、だ。少なくとも、ある程度の期間ごとに彼女は教会側の人間から観測を受けていることになる。


 ただ、彼女は王都ではそれなりに有名人だ。以前探った時は、キリカを監視する気配などは感じなかった。考えすぎならいいのだが……。とりあえず、今後はもう少し警戒しておこうとリタは心に刻む。


 キリカの方に視線を投げるも、どこか難しい顔で遠くを見ていた。リタはエリスに小声で「でさ、そのルナリアって人はどんな人?」と尋ねる。


 しかし、リタの質問にエリスは大仰に肩をすくめるだけであった。恋人のことくらい自分で聞くか調べろ、ということであろう。


 リタはエリスに向けて、分かってますよという意味を込めて小さく舌を出した。そして、改めてキリカの方に視線を向けたところで固まってしまった。


(うん? あの男、キリカに近づき過ぎじゃね?)


 周囲は確かに混雑しているが、それにしても近すぎないだろうか。まぁ、この混雑に乗じて、というところなのだろうとリタは思う。


 まだ地球に生きていた頃にアニメで履修した、満員電車とかいう過去の遺物では色々問題があったとか聞いたことがある。


(まぁ、私も前世は男だし? 分かるよ、分かる。いやむしろ、女の子になった今の方がそうかもしんないけど。そりゃ、ムサいおっさんより可愛い女の子と密着したいよね? でも、それとこれとは別問題!)


 リタは無詠唱でキリカと男の間に物理的に干渉できないよう障壁を張ると、その間に割り込んだ。目を逸らす男に威嚇の視線を投げつつ、キリカの肩を抱き寄せる。


 キリカが耳元で囁いた「ありがとう。あと二秒遅かったら蹴り飛ばしていたわ」の言葉に、リタは思わず頬を引き攣らせた。


 間違いなく考え過ぎだろうが、さっき考えていたことが全部バレていて、蹴り飛ばされるのは自分かも、と思ってしまったのだ。


「でもね、キリカ? 決して私がそう思ってる訳じゃないんだけど、美少女に蹴られるのはご褒美――すみませんでしたァ!」


 一応場を和ませる冗談のつもりだったのだが、冷えていくキリカの視線にリタはさっさと敗北宣言をすることになった。


 何となく状況を察したのか、他の三人も近くに寄ってきてくれる。そのおかげか、僅かに周囲の男性たちが距離を取ったような気がしていた。この混雑では誤差の範囲かもしれないが……。


「さっきの男、剣姫の正体知ったら腰抜かすんじゃねぇか?」


 そう小声で笑うラキの声に、モニカとリタが続く。何にせよ、皆の容姿を考えても目立つのは仕方ない。もう少し、こういう時に気が利くようになりたいな、とリタは思った。


 そうしてなんだかんだとやっているうちに、遠くの方の群衆が騒がしくなる。リタはそれで聖女の到着を悟ることになった。


 ついでに言えば、夏休みに旅行先のツァイルンで会った、ジェイドとかいう聖職者に仕掛けた追跡術式も反応している。どうやら、聖女の集団に帯同しているようだ。


 一応周囲にバレないように気を遣いながら、リタは透明な魔法障壁を自分たちの周りに張った。あわせて、周囲の音は通すが内側の声は外に漏れないようにしておく。


 気だるそうなラキと、聖女御一行に興味津津なモニカ。二人とは対象的に、エリスやキリカは珍しく緊張しているようだった。


 統一教会の聖女、という存在はどうにも民衆には大人気らしい。大歓声にも近しい声が、まるで波のように近づいてくる。


 そんな中、エリスが頭を抑え苦渋の表情を浮かべたような気がした。だが、視線を向けても小首を傾げるだけだ。どうやら勘違いのようだ、とリタは安堵する。


 そして、聖女の乗る馬車がついにこちらから視認できる距離まで来た。護衛がいるからか、かなりゆっくりとした進行だ。


 時世を考えれば仕方がないが、どうやら彼らは厳戒態勢のようだ。七台の馬車からなる一行の周囲を、多くのエルファスティアの衛兵たちが固めていた。


 それぞれの馬車は全て純白の塗装が施され、品の良さが伝わってきそうな白馬がそれ引いている。それぞれに掲げられた深緑の光沢のある布の上には、黄金の糸で刺繍された統一教会のシンボルが輝いていた。あの旗だけで幾らするんだろうか、などとリタが思わず考えてしまうくらいの絢爛豪華さだ。


 特に聖女が乗っている真ん中の馬車に至っては、以前王都で見かけたシャルロスヴェイン家のそれにも劣らない美しさである。


 屋根のない、真っ白な馬車には黄金の装飾が多数施され、その中央には硝子細工と思われる水色の椅子が設えてあった。まるで玉座だな、とリタは思う。


 そして、その玉座に座る少女こそが、〝神の奇跡を体現せし者〟ソフィア・イルミ・ロズウェンタールである。リタは遂に件の聖女をその視界に収めることになった。


 肩口で切りそろえられた柔らかそうな髪と、ハツラツとした青にも緑にも見える両眼。それらは光の加減によってその色を変え、今は夕日色に輝いている。


 元はうっすら青緑がかった色だろうか。透き通るようにも見える髪の毛など、地球時代に見た化学繊維だと言われても納得しただろう。


 人間のものとはとても思えない色は、どこか寒気のする美しさであった。〝風色〟と称されるのも納得だと、リタは思う。


 顔は顔で恐ろしく整っており、一目では少年なのか少女なのか分からない。眉や睫毛まで髪の毛と同じ色で、あれは人工物なのだと言われたほうがまだ納得できるとリタは思った。


 そんな聖女の容姿に、気味の悪さを感じつつもリタは観察を続ける。熱狂的な民衆に、微笑みながら手を振る彼女は、確かに『聖女』であるのかもしれない。イメージしていた容姿とは全く違ったが。


 しかし、だ。考え方を変えれば、あの顔は聖女の神聖さを補強するものでもあるのだろう。彼女を拝む老婆を視界の端に捉えたリタはそう納得する。


 境遇などは知らないが、同じ年齢にも関わらず緊張の欠片もない。堂々としていながら、俗世と隔絶している様子を上手く演じられている。その立ち居振る舞いに関しては、素直に感嘆に値すると思えた。


 相手の持ち札がわからない以上、現時点であまり刺激することは避けたい。今はまだ、その時ではないはずだから。


 もっと詳しく知りたいのは山々だが……。リタはとりあえず今日のところは、魔眼での解析は見送ることにした。


 そうして、聖女が乗る馬車がちょうど自分たちの前を通り過ぎようとしたその時だ。

 ソフィアはこちらに視線を向け、微かに――、しかし確かに、笑みを深めたのであった。


 リタは目を逸らさず、口の端を吊り上げる。こちらの挑発の視線に気付いたのか、ソフィアは軽く目を閉じてみせた。


 そして同時に、聖女が纏う高級そうな薄布が風に揺られ、その白磁のような肢体を日の下に晒そうとする。


 そこで初めて、リタの意識は聖女の顔から下に向くことになったのだが――。リタはその光景に目を剥き、堪らず叫んだ。


「いや、服!? えっち過ぎんだろ!!」

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