煌めく都市と偽者の姫君 3
アリサ・ユーヴェリアと名乗った貴族の子女が席を立って数分。ロイドは、ニコラの猫耳の動きを見て事情を察知していた。
よく耳を澄ませば、少し離れたところから微かに物音と悲鳴が聞こえた。ロイドは、金髪赤眼の少女に視線を向けるも、彼女は美しい笑みをたたえたまま、その態度を崩さない。
その美貌も相まってか、ロイドはまるで作り物みたいだという感想を抱いた。声をかけるのさえ気後れしてしまう。
もしかして、状況に気付いてないのだろうか。ロイドは、目の前にいる少女に危険が迫っていることを伝えるべきか迷った。
勿論、実際にはキリカは全て把握しており、何も動く必要がないことを理解している。単純に、ロイドがそこまで察知できるだけの実力がなかったのだ。
正直に言えば、いきなり現れて食事をご馳走してくれた外国の貴族の子女たちを、ロイドは警戒していた。だが、幼馴染のニコラの懐き具合を見ても、彼女たちは悪い人ではないのだろうと思いつつあった。
種族的なものかは分からないが、ニコラは昔から何かと危険なものを察知するのが得意なのだ。だからこそ今まで生きてこれた、と言い換えることも出来るだろう。
そして、もうひとつ。アリサ・ユーヴェリアの前世が本当に彼女の言う通りだとしたら――。ロイドはどうしても確かめたいことがあったのだ。
危機察知能力こそ高いが、こと荒事においてはニコラは役に立たない。一方ロイドには、多少の魔術の心得と
自分なら少しくらいはアリサの役には立てるはずだと、ロイドは信じていた。そして、同時にこれは千載一遇のチャンスだとも。
自分の切り札を使って、アリサの手助けをしつつ彼女を見極めたい――。ロイドはそんな考えを抱く。そう、抱いてしまったのだ。それが分不相応だと気付けるほど、大人ではなかったから。
そうして、ニコラの目配せに頷いたロイドは「ちょっと僕も用を足してくる」と言うと、席を立って走りだした。
キリカの小さなため息に気付かないまま。
――――きっと、あそこだ。アリサが消えていった方角に向かったロイドは、間もなく彼女たちのいる路地裏へと到達しようとしていた。
しかし、その場所は今いるところからは死角になっており、様子を伺い知ることは出来ない。ロイドは小声で、攻撃用の魔術の詠唱を開始する。
ロイドは魔術師としては酷く未熟であった。強固で明確なイメージを呼び出すには、一連のルーティンと化した詠唱が重要であり、詠唱なしにまともな威力の魔術は放てないのだ。
「炎の精よ、我が右腕に火を灯せ。焚べるは我が魔力と――」
しかし、ロイドは最後までその詠唱を続けることが出来なかった。何故なら、アリサが消えていった通りから、何かが凄まじい勢いで飛び出してきたからだ。
その何かが、吹き飛ばされた人間だと気付くのに時間は要さなかった。同時に、千切れた誰かの腕がロイドの目の前に落ちる。
声にならない悲鳴をロイドは飲み込んだ。いきなりの凄惨な光景に、思わず後ずさりしそうになったロイドだが、何とか踏みとどまることに成功する。
そして、砂埃の舞う通りから姿を現したのは、汗一つかいていないアリサ・ユーヴェリアであった。埃の目立ちやすい黒の制服も、綺麗なままである。
あの男はきっと魔術で吹き飛ばしたのだろう。ロイドもスラム出身であり、暴力沙汰は日常の光景のうちに過ぎないが、人の膂力であんなことが出来るとはとても思えない。
勿論、アリサことリタは素手で吹き飛ばしたのだが、ロイドがそれを知ることがなかったのは幸福だったかもしれない。
そして、こちらを見て微笑んだアリサはこう言った。
「ただ言葉を発するだけでは、何の意味もないですわ。魔術式とは魔力波で紡ぐもの。即ち、言葉に魔力を乗せ、想いで魂を揺さぶれば、それらは共鳴し増幅されていきますの。……なんて、説教臭い言葉なんて必要ありませんわね」
何処か遠くを見るアリサの表情の正体をロイドは知らない。きっと知ることもないと思う。けれど、ロイドは、その横顔に魅入ってしまった。
自分が小声で詠唱していたことを、アリサが当然のように把握していることに、疑問をもつことすら忘れて。
「特別ですわ。一度きりのチャンス、瞬きは厳禁ですわよ? ――――詠唱は、こうやるんですの」
ロイドはゴクリと唾を飲み込む。そして、首を縦に振った。できの悪い人形みたいにぎこちなかったのは、今から起きることの特別さを、本能が理解していたからだ。
昔自分に魔術の手解きをしてくれた老人でもなく、ニコラと見に行った国のエリート魔術師集団の演習でもなく、今から見る光景が『本物』なのだと。
アリサの全身は仄かに発光し、巻かれた綺麗な髪の毛が浮き上がっていく。アリサの周囲の風景が歪んで見えた。視覚で認識出来るほどの、強烈な事象干渉が始まったのだ。
息が苦しくて仕方なかった。そんな圧迫感に思わず意識を手放しそうになるも、ロイドは何とか堪える。
『炎霊よ! 汝が灼熱の音叉を以て、安寧が為の焔を此処に響かせん。焚べるは我が半身と忌まわしき悪辣の贄。奏でし戯曲は、灰塵への手向け――――』
ああ、あれはさっきの自分の詠唱をアレンジしているんだな、とロイドはすぐに理解した。そして、アリサの右半身に、まるで大蛇のような蒼炎が纏わりつく様を、ロイドはただ眺め続ける。
まだ他にも、自分たちに危害を加えうる人間がいるかもしれないということすら忘れていた。目の前の光景より大事なものなど、今は何も考えられなかった。
それほどまでに、彼女の纏う炎は美しく、恐ろしかった。きっと指一本でも触れれば、全身を骨の髄まで焼き尽くすであろう炎。
そしてアリサが伸ばした右腕の先に居るのは、片腕を失い息も絶え絶えな一人の男だ。
アリサの眼に慈悲の情はない。男も運命を悟ったのだろう。絶望を浮かべた後、その瞼をそっと閉じる。一瞬のことだったが、ロイドには一連の光景がとてもゆっくりに感じられた。
そして爆発的に高まる緊張に、ロイドが衝撃に備えようとしていた時である。
「なんて、冗談ですわ。雑魚には勿体ない」
アリサはそう言うと右手の指を鳴らした。乾いた音と共に、まるで最初から何も無かったかのようにアリサの纏う炎は消え去っていく。
ロイドは頭を殴られたような衝撃を受けた。あれほどの魔力で練り上げた術式を発動直前で破棄したのだ。暴走や暴発が起きてもおかしくない。いや、普通の魔術師だったら吹き飛んでいただろう。
しかし、彼女はさも当然の如くそれをやってのけた。格が違う、とはこのことだとロイドは思う。
「ここら一帯を消し炭にしてしまっては、皆が困りますものね?」
そう言って、アリサは「勿論冗談ですわよ? オーホッホッホ!」と笑う。先程から思っていたのだが、あの笑い方は気色悪いからやめた方がいいと思う。
とはいえ、〝ここら一帯が云々〟はきっと事実なのだろうとロイドは確信していた。全身の震えが止まらない。だが、だからこそロイドは、今の機会を逃すわけにはいかなかったのだ。
――ロイドは知っておくべきだった。
アリサが浮かべる不敵な笑みが、全てを見通しているからこその表情であると。
これが自分とニコラの破滅への第一歩であると。
――しかし、ロイドは知らない。
知らないが故に、自らの魔眼の権能を発動したのだ。
そして、世界は光に包まれた。
美しい夕焼けを眺めながら、リタはキリカと歩幅を合わせて歩く。エリスたちと合流するまでの少しの間だけの、貴重な時間。それを楽しむようにゆっくりと。
しかし、頭の中で繰り返されるのは先程のことだ。ここまで、二人の間に会話は無かった。思わず吐き出した小さな溜息に、キリカがポツリと呟く。
「……本当に、あれで良かったの?」
リタはその言葉に頷く。声にしてしまえば、不必要な感情が混じってしまいそうだったから。キリカはそれ以上何も聞く気はないようだった。
そんな彼女に甘えそうになる自分を戒め、リタは必要なことだけを念話で伝えることにした。
『ロイドの”魔力看破の魔眼”の性能は、私の隠蔽を貫通するレベルだったよ。発動条件は相手を直接視認すること、効果時間は約一分半で、再使用が可能になるまで二十四時間必要』
リタはそれだけ伝えると、視線を隣の彼女に向ける。キリカは、こちらに小さく頷くと「そう」とだけ返した。
ロイドの行動は、場合によっては完全に敵対行動である。少なくとも、彼が大人で明らかな敵意を持ってこちらに相対していれば、今頃違う結末を迎えていただろう。
だが、リタは元々彼の魔眼の性能を見極めたいという気持ちで野放しにしていた。そして、少しばかり今日の出会いに感謝したいという気持ちもあった。
だからリタは、どんな意図があったにせよ、ニコラとロイドには危害を加えないことにしたのだ。
ロイドは魔眼を発動してすぐ、こちらに「ば、化け物……ッ!」と言うと目を押さえて苦しみだした。恐らくリタの膨大な魔力量を感知して、耐えきれなくなったのだろう。
リタは苦しむロイドを気絶させると、ニコラに預けてそのまま退散してきたのだった。どうせ後でロイドに聞くだろうからと、特に理由は話さなかった。だが、ニコラはきっと察していたように思う。
ちなみに襲撃してきた男たちの方は死なない程度の治療を施し、冒険者組合の前の通りに転移させておいた。あとは、この国の人間がどうにかしてくれるだろう。
そっちの襲撃者たちの詳しい素性などは結局聞けずじまいだったが、それは問題ないとリタは考えていた。どんな勢力にせよ、自分たちが探ることで慎重になって欲しくないからだ。
自分にあるのは、力だけだとリタは自覚している。
だから、今は待つしかない。
多くの勢力が一同に集う盤面を、一撃でひっくり返せるその瞬間を。
だから、そう。
きっと、今日はこれで良かったに違いないのだ。
「多分、だけどさ……。ニコラとロイドは長生き出来ないね」
それは、自分でもよく分からない感情だった。しかし気付けば、リタはそう口に出していた。
「貴方のそういう優しいところ、好きよ」
小さく、しかしはっきりと聞こえた大切な人の声に、リタは夕空を仰いだ。今は、キリカの顔を見ることが出来そうにない。
「いつもありがとう、キリカ」
リタはそう言うと、返事も待たずに彼女の手を取る。今だけは、他の誰かの視線も気にならなかった。
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