煌めく都市と偽者の姫君 2

 三星六花の像を後にした一行は、思い思いの感想を口にしながら煌都を歩いていた。見回せば、興味をそそる物ばかり。そんな街並みに後ろ髪を引かれつつ、リタは馬車乗り場へと歩みを進める。


 そんな時であった。リタの視界に入ったのは、みすぼらしい服を着た少女と少年の姿。傾き始めた日の光が照らす、煌びやかな通りには些か不釣り合いな二人であった。


 自分たちより少しだけ年下だろうか。大人しそうな黒髪の少年は通りの端に敷物を広げ、あまり質の良くなさそうな紙束を大切そうに並べはじめた。


 そして、もう一人の活発そうな少女は、恐らく獣人族の血が混じっているのだろう。リタの前世でいうところの猫のような耳がピクピクと動いている。そして少女は、大きく息を吸うと周囲に向かって声を張り上げた。


「皆さん、人類は進化すべきだと思いませんか!? 停滞は……えっと何だっけ? あ、そうそう。停滞は怠慢であり、退化と同義。混沌の時代に終止符を打つのは、女神に非ず――――」


 隣の少年から耳打ちされながら、演説らしきものを続ける黒髪の少女。しかし、周囲の人々は足を止めようともしない。きっと、ここではありふれた光景のひとつなのであろう。


 そんな民衆とは対照的に、リタの歩みはいつの間にか止まっていたらしい。隣でキリカが耳打ちをする。


「最近急に増えたわね、ああいうの。まさか、煌都でも見かけるとは思わなかったけれど」


 首を傾げたリタに、キリカは「気付いていなかった? 王都でも結構見かけるわよ。人類の進化がどうこうって言っている連中」と言うと、怪訝そうな視線を件の少女たちに向けた。


 王都とこの場所の距離を考えれば、それなりの規模の思想集団だと考えられる。急に増えたとのことだ。所謂新興宗教の類だろうか。


 この世界で宗教と聞いて思い浮かべるのは統一教会だ。前世の地球のように、『アルトリシア』教などと呼ばれることはない。つまり、それだけ女神の存在が人々にとって当たり前のことなのだ。


 リタは改めて通りの端で声を上げる少女を見る。きっと元は可愛らしい顔をしていたのだろう。だが、そばかすのある頬はくすみ、傷んだ黒髪は雑に刈られている。


 横に立つ少年は、寒空の下だというのに薄着で、袖の下から覗く肌にはいくつもの傷があるようだ。リタはそんな二人に微かな切なさを覚えたが、郊外では決して珍しいものでもない。キラキラと輝く都市との対比に、少しばかり感傷的になっただけだ。


 女神を否定するような話の内容に興味が湧かない訳ではなかったが、新興宗教の類には前世から距離を置いてきた。それに今は時間に余裕がある訳でもない。歩みを再開しようとしたリタであったが、どうもそうはいかないらしい。


 こちらと目が合った件の少女が、口を開けたまま固まってしまったのだ。急に途絶えた声に、周囲の視線がリタ達と少女に突き刺さる。


 また何かしたのか、と視線で問いかけるエリスに必死で首を横に振る。そうしてリタは、キリカ以外の面々に先に行くよう促すと、諦めて少女たちの方へと足を向けたのであった。




「――――ごめんね? お姉ちゃん達があまりにも綺麗だったから。まるで、おとぎ話のお姫様とその従者たちみたいだなって思っちゃって……」


 そうはにかみながら話した猫耳の少女ことニコラを前に、リタは思わず破顔する。結局のところ、ただ彼女は自分たちに見とれていただけだったのだ。


 それが事実だと証明する手段などないが、今までの話しぶりや仕草から察するに間違いないだろう。それに加え、腹芸に長けた貴族たちといつも接しているキリカも、大丈夫だと頷いているのだ。リタにとってそれは十分すぎる証明であった。


 ニコラも、そしてその隣で視線を彷徨わせている少年ロイドも、貴族の子女の相手は経験が無かったのであろう。二人とも孤児であり、スラム出身だという。今は彼らが『教団』と呼ぶ組織に身を寄せているらしい。


 最初に声をかけた際など、怯えたように震え、ガチガチに緊張した様子であった。普通に接していいと何回も言い聞かせて、ようやくニコラだけはまともに話せるようになったくらいだ。


 確かに、自分たちは顔もそうだが、身なりや纏う雰囲気が周囲とは隔絶している。そう見えるよう計算して着飾り、演技をしているのだ。自身の作戦が上手くいっていることにリタは上機嫌になる。


(しかも、名乗ってないのにお姫様だって勘違いされてるし? やっぱ私の高貴なオーラがそうさせちゃった感じ!?)


 だらしなく緩みそうになる頬を引き締めたリタは、高らかに笑う。


「オーッホッホッホ! よくぞ気付きましたわね。ええ、わたくしこそ姫君の生まれ変わり。アリサ・ユーヴェリアですわ! ひれ伏してもよろしくってよ?」


 しかし、当のニコラはどこか当惑の表情であった。その視線はキリカと自分を行ったり来たり。心なしか、猫耳も下を向いているような気がした。何か言いたいことがあるのだろうか。リタが促すと、ニコラはおずおずと口を開く。


「え、えっとね……。わたし的には、そっちの赤眼のお姉ちゃんの方がお姫様っぽいかなって?」


 赤面しつつそう話すニコラに、リタは少し警戒心を引き上げつつ「どうして、そう思いますの?」と問い掛けた。


 若干固い声色になってしまったのは仕方がないだろう。しかし、当のニコラはうーんと可愛らしく頬に人差し指をあて首を傾げるとこう答えた。


「うーん。女の勘!」


 そんなニコラの屈託のない笑顔に、リタとキリカは顔を見合わせ微笑んだ。




 ここは先ほどの通りから少し奥まったところにある裏道である。


 煌びやかな表通りとは異なり、大きな用水路や干された洗濯物など、雑多な印象を受ける場所であった。わざわざ場所を移動した理由は二つあった。


 ひとつは、ニコラの演説のあたりから嫌な視線を感じつつあったということ。これは、自分たちの立場的にある程度仕方ないと言えるかもしれない。


 エリスも先に行かせたのは、そのあたりのことも考慮してである。とはいえ、念話によれば喫緊の脅威は無さそうとのことであった。これにはリタも素直に安堵する。


 そして二つ目は、面倒な人目を避けて彼らと話をしたかったということだ。魔術で作り出した、即席のテーブルと四人分の椅子。そして、並ぶ食べ物と飲み物の数々を前にリタは思わず口の端を歪める。


「ねぇ、本当にこんなに……食べてもいいの……?」


 遠慮気味にそう呟いたロイドの声に、リタは大きく頷いた。安堵したからか、忘れかけていた空腹感を思い出したリタは、ニコラとロイドに交銀貨――大陸共通交易銀貨――を渡し、買えるだけ美味しそうなものを買ってくるようお願いしていたのだ。


 彼らにとっては余計なお世話だっただろうか……。それは分からない。どんなに力があったところで、自分に出来ることには限りがある。そして、これはきっと気まぐれに過ぎない。


 だからこそ、リタは彼らが気負わないよう、慈悲深い貴族令嬢として率先して食べるのだ。美味しいものを食べて笑顔になれば、彼らも辛い現実を少しは忘れられるかもしれない。


 多少周囲の景観に他人の生活臭が漂いすぎているが、気にしても仕方がないだろう。


「ほら、冷めないうちに食べますわよ! 自慢じゃありませんが……わたくし、食べる量と速さには自信がありますの。モタモタしていたら全部食べてしまいますからね」


 そう言ってリタが食べ物の包み紙に手をかければ、ニコラとロイドも続く。ふと視線を感じて隣を見れば、キリカの優しい笑み。きっと見透かされているんだろう。


「エリスの居ない隙にってね」


 言い訳がましくそんなことを言ってしまうリタに、キリカはただ笑みを深くするだけだった。




「そういえば、ニコラ。『教団』って、正式名称とかありますの?」


「えっとね、確か『全人類進化教団』だよ」


 リタの問いに、ニコラは小首を傾げつつそう答える。流石にこの答えを予想できていなかったリタは、思わず叫んだ。


「そのまんまですわね!? もっとほら、こう……。何かないんですの? 幻影鋼鉄楔十字伝道会とか」


 首を傾げるニコラと、クスリと笑ったキリカ。それから、少し目を輝かせたロイド。リタは肩をすくめつつ、ロイドは多分才能があるな、と思った。


 同じテーブルで食事を共にすれば、少しは仲良くなれるというもの。そんな会話を続けるうちに、年下の二人にも次第に笑顔が増えていった。


 ロイドがこちらの隙を伺っていることには気付いていたが、その理由も分かっている。リタはとりあえず気付かないふりを続けることに決めた。


「もうロイド? さっきからお姉ちゃんたちに見とれすぎだって!」


「え? あ、ち違うし!」


 隠す気があるのかは知らないが、どうもニコラはロイドにベタ惚れのようだ。頬を膨らませながら、ロイドをつついている。


 リタの気の所為でなければ、ニコラの猫耳の毛も少し逆立っているようにも感じる。リタは、ニコラの髪の下にあるかもしれない、所謂人間族の耳の部分がどうなっているのかが気になっていたが、聞く機会を得ることが出来ずにいた。


(ちょーっとだけ、触らしてくんないかな? あの猫耳。でもなー。獣人族が頭に触れるのを許すのは、隷属もしくは親愛の証って効いたことあるし……)


 リタのそんな視線に気付いたのか、ニコラがこちらを伺うような視線を見せる。それに気付いたロイドは視線を交互にやりながら、何かを考えているような表情を見せた。


 そんな二人の微笑ましい様子を眺めながら食事を楽しむリタであったが、こちらに近づく気配を察し立ち上がる。


 折角の時間だったが、仕方がない……。少なくとも、面倒事をキリカに任せるなんて選択肢は最初から存在していない。


「あれ、アリサお姉ちゃんどうしたの?」


「ちょっとお手洗いですわ」


 ニコラの問いに、リタは適当にそう答えた。キリカに目配せすると、彼女は小さく頷く。これくらいのことなら、念話も必要ない。そうして二人をキリカに任せたリタは、気配の方へと向かった。




 ちょうど建物と建物の隙間、幅は二メートルくらいだろうか。人の気配が感じられない、薄暗い路地にてリタは待つ。ここを通らなければ、キリカ達の元に行くことは出来ないのだ。


 気配から察するに、空中や転移魔術といった移動手段を持っていない相手であろう。軽く済ませて食事に戻りたいとリタは思っていた。


 そしてそれから時を置かずして、リタの前に五人の男たちが姿を見せる。薄汚れた衣服に、使いこまれた武装、周囲を威嚇するような表情。リタはその様子から、彼らの大体の身分を察する。


 男たちも、まさかリタが逆に待ち構えているとは思わなかったのであろう。角を曲がった時点でリタが腕組みをして待っていることに気付くと、慌てた様子でその武装に手を伸ばした。


 だが、リタが構える動きを見せなかったからだろう。男たちは顔を見合わせると、その手を武装からゆっくりと離していく。緊張を孕んだ空気をほぐすように、リタはあくまでにこやかに問いかけた。


「ごきげんよう、紳士の皆様方。わたくしたちに何か御用がおありでして?」


 優雅なカーテシーを披露したリタの余裕が癪に触ったのか、褐色肌でスキンヘッドの大男が苛立ちを隠せない様子で一歩前に出る。正しく筋骨隆々といった様子のその男は、ドスの効いた声を出した。


「アリサ・ユーヴェリアだな。一緒に居た、キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインは何処だ?」


 男の問いに、リタはにっこりと微笑む。そしてそのまま右側の壁を蹴って飛び上がると、右手で男の左耳を掴み、左側の建物の壁にその頭を叩きつけた。レンガ造りの壁の一部が崩れ、大男はひしゃげた鉄のような格好でそれに埋まる。


「質問をしているのは、こちらですわ」


 そう言って、リタは残りの四人に視線を投げかけた。自分たちの価値は流石に分かっている。裏路地とはいえ、まだ周囲が暗くなった訳では無い。そんな時間に堂々と物騒な気配で近づいてくる人間だ。


 楽観的に考えれば誘拐か暴行の類だろうが――。そんなことはリタにはどうだって良かった。その標的に彼女が含まれているのであれば、自分のやることに変わりはないのだから。


「さて、質問に答えてくださる人は? もしも、わたくしの勘違いだとしたら謝罪と治療くらいしてあげましてよ?」


 一瞬で大男を沈めたリタに、男たちは驚きを隠せずに居たが、やがて示し合わせたようにそれぞれが武器を抜いた。


 こんなところでわざわざ、とは正直思うものの、今は時期も時期だ。誰かの思惑で捨て石にされているだけかもしれない。


「それが、あなた方の選択ですのね……。残念ですわ」


 リタはそう言うと、奥の四人に見せつけるように、倒れた大男の背骨を踏み砕いた。最早声にもならない水音の混じった空気が、男の口から溢れる。


 生きて帰れたとしても、よっぽど高位な回復術師の治療を受けなければ、一生歩くことはできないだろう。そして、身なりから見るに、それが絶望的であろうことは容易に想像出来る。


 リタは戦うことは好きだが、相手を痛めつけるのが好きな訳では無い。ただ、自分たちに手を出すことの愚かさを示すことの有効性を知っているだけである。


 一人の長髪の男がこちらに向かって走り出す。リタは、その男に右手を向けると転移術式を放った。途端に男の姿が掻き消え、他の三人の顔が引き攣るのが見える。


「知っていまして? わたくし、前世では世界最高の時空魔術師と呼ばれていましたの。――ほらそこ、危ないですわよ?」


 リタがそう言い終わるのが先か、上空から聞こえた男の悲鳴に彼らは上を見上げる。しかし、残念ながら一秒行動が遅かったようだ。


 あまり人体が発しているとは思いたくもない音とともに、一人の男が落下した男の下敷きになり地面に伏した。


 二人共息はあるようだが、手足は複雑に折れ曲がり口や目から血を流している。残りは二人、か。リタは考える間を与えず、彼らの元へ歩を進めた。


 途端に逃げ出そうとする二人だったが、リタが手を翳せば地面より土壁がせり上がり、それを許さない。戦意の殆どを喪失した彼らに、リタは優しく微笑んだ。


「わたくし、見た目通り慈悲深いんですわ。あなた方の目的と依頼主が居るなら教えてくださる? 正直に話せば、生きて帰してあげてもよくってよ」


 そんなリタの甘言に、逡巡の間を見せる男たちにリタは素敵な提案をすることにした。


「あ、そうそう。情報を教えてくれる人間は一人いれば十分なんのですの。この意味、分かりますわね――――?」

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