煌めく都市と偽者の姫君 1

 オリヴィアとダグラスを見送ったジェイドは、戦闘にならなかったことに安堵を覚えつつ、ソフィアの待つ馬車へと戻った。


 かの剣聖相手では、流石に分が悪い。いざとなればソフィアがフォローしてくれる手筈となっていたが、彼女の手を煩わせることなく終わったことに素直に安堵する。


「お疲れ様。相変わらずせっかちだなぁ、彼女は」


 馬車に戻ったジェイドを出迎えたのは、楽しそうに笑うソフィアの労いの声であった。「ボクの待ち人じゃなかったのは残念だけど」と可愛らしく拗ねたふりを見せるソフィアの前にジェイドは跪く。


 現在、一帯は人払いを済ませており車内にはジェイドとソフィアの二人きりである。スキャンダラスな話題に飢えている民衆には、とてもじゃないが見られたくない状況だ。


 勿論、あえてその状況を作り出すことで生まれるメリットの方が大きいと判断しての行動ではある。例えば、先の遭遇についてもそうだ。今夜の件は、互いにあまり好ましいものではなく、暗黙の了解で他言無用となったのだ。


 だが、結局ソフィアが最も待ち望んだ人物は現れなかった。いや、まだそう決めつけるのは早計であろう。ジェイドは静かにソフィアの次の言葉を待つ。


 ジェイドの鼻腔をくすぐるのは、爽やかでありながら華やかで、後から甘さが抜ける複雑な香り。きっといつもの香を焚いているのであろう。


 ソフィアの編入先である、セレスティア聖教女学院。そこのクラスメイトであるフレデリカという名の少女がソフィアをイメージして調合してくれたらしい。照れながらも、そう嬉しそうに語っていたソフィアの顔を思い出す。


 ソフィアはそれをいたく気に入っているようで、最近は時間さえあればこの香を焚いていた。ふと視線に気付いて顔を上げれば、そんなソフィアと丁度目が合う。


「もう一人はマインレルゼだっけ? やっぱり、彼も泳がしておいて正解だったじゃないか」


 汚れを知らぬ少女のような声色でソフィアは笑う。だが、その両眼は決して笑ってはいなかった。その視線が見据える先は何処なのか。それをジェイドが知る手段などないし、知る必要もないと感じていた。


 ぶつぶつと情報を整理するように何かを呟くこと数分。ふぅ、と息を吐いたソフィアは一段と低い声を発する。


「嫌な予感がする。ボクたちは何か、重要なことを見落としているのかもしれない」


 ジェイドは思わず肩を震わせた。ソフィアの勘はよく当たる。いや、『よく当たる』などと生易しい表現は似つかわしくないであろう。


 それは最早『預言』と称されるもので、民衆にとって彼女が聖女であることの証明のひとつなのかもしれない。溜息をついたソフィアは、自分に言い聞かせるように呟く。


「仕方がない、か……。絶対にこの機を逃すわけにはいかないし」


 その言葉で、ジェイドは全てを把握した。ソフィアの心身への負担を考えるならば、避けたかった選択だが、彼女が決めたことだ。異論など、あるはずもない。自分はその目的の完遂の為だけに存在している。


 そしてソフィアは、正しい意味で自らが聖女であることの証明を行うと宣言したのだ。


「――――神託魔法を行使する。『世界樹』と『神眼』だ。ジェイド、儀式の準備を」




 リタ達一行が煌都ルーファ・ディメリアに到着したのは、翌日の昼過ぎのことであった。彼女たちを出迎えたのは、その威容を見せつけんばかりにそびえる街の外壁と巨大な門である。


 王都と比べても遜色ないばかりか、更に上と言っても過言ではないその建造物にリタははやる気持ちを抑えられないでいた。早めに到着したこともあり、今夜は高級宿――しかも学生はロゼッタの驕りで――で休めるらしい。


 明日からはいよいよ会場付近に移動しての野営となる。束の間の休息を楽しまないわけにはいかない。事前に話が通っているからか、思ったよりすんなりと街へ入ることが出来たのは僥倖だ。


 そうして、門まで荷物を引き取りに来た宿の従業員に不要なものを預けたリタ達は、早速街に繰り出したのであった。


 エルファスティア共和連合という国は大陸一の大国であるが、その歴史は王国よりも浅い。三つの中規模な国と六つの小さな国から成り立ったこの国は、魔道具の開発を国家事業として推進し、目まぐるしい発展を遂げてきた。


 そんなエルファスティアの首都であるここ煌都は、名実ともに大陸一の大都市。王都をも遥かにしのぐ人々が暮らす街だ。美しく整備された街並みと、活気のある人々の表情からもその豊かさが読み取れる。


 この通りは何処まで続くのか――。煌都を一直線に貫く目抜き通りを進む馬車に揺られるリタは、都市の大きさに驚きつつ、新鮮な外国の景色を楽しんでいた。


 王城が小高い丘の上に位置することもあり、王都は坂や曲道が多い。それが生み出す景色も好きではあるのだが、この煌都の完全に計算されつくした直線的な街並みもリタは嫌いではなかった。


 一段と活気のある通りに到着したところで、リタ達は馬車を降りた。こういう時に感謝すべきは、大陸共通語の存在だろうか。


 観光地までの道のりを教えてくれた御者にチップを渡しながら、リタは心からそう思った。今日の面子は、キリカやエリスは勿論のこと、ラキとモニカも一緒である。


 折角の外国だ。恋人と二人で歩きたい気持ちがなかったと言えば嘘になるが、前世では体験できなかった行事である。修学旅行気分で楽しむのも悪くないだろう。


(華の女子高生気分ってね。年齢はアレだけど、皆歳の割に色々大人っぽいし)


 改めてこの世界の人間の成長速度の速さを実感しつつリタが周囲を見渡すと、多くの視線が突き刺さった。どうやら、人混みの中にあっても、自分たちの集団は非常に目立っているらしい。


 それも納得だ、と思いながら他の面子の顔を見る。控えめに言っても、顔面偏差値が高すぎる。恐らく、全員が制服姿である理由以上に、それが一番の要因であろう。少しにやけそうになる顔を引き締めつつ、リタは最初の目的地へ向かって歩き始めた。


「それにしても、どこもかしこもキラッキラじゃんね……」


 リタは思わずそう口に出した。建ち並ぶ四角い建物や、今まさに歩いているこの道を指しての発言であった。少しずつ傾き始めた太陽の光を受けたそれらは、正に煌めいていると言ってもいいだろう。


「それはね――」


 すかさず横で解説を始めようとするエリスとの間に割り込んできたラキが、リタの肩を叩き得意げに笑う。


「ここら一帯の土はちょっと特殊な組成でな? 名前は……忘れちまったが、なんかの鉱物が沢山含まれてんだ。その土を使って作ったレンガが光を反射して光ってるってワケ。それが、ここ煌都の由来なんだ。ちなみに、その『煌都レンガ』だが、土産でも人気らしいぜ?」


 心なしか拗ねているように見えるエリスと、得意満面のラキを見ながらリタは溜息を吐く。尚、現在見た目はアリサ・ユーヴェリアであるが、話し方は面倒になって素のままであった。今は正体を知っている人間しか周りにいない。声量とかに気をつけていればいいだろう。他人と話す時はそうもいかないが。


「どーせ、ユミアから聞いたんでしょ?」


 リタの呆れ声に、ラキは「まぁな!」と元気のいい返事を返した。予想通りの返事に、肩をすくめながらリタはユミアへのお土産は煌都レンガにしようと心を決める。


 ラキにそんな話をしたくらいだ。きっと欲しいのだろう。いつも世話になっていることもある。寮の壁一面を張り替えられるくらいの量は買ってあげたいものだ。


 ……勿論、ユミアはそんな量のレンガなど必要としておらず、後日リタは大量の煌都レンガを背に途方に暮れることになるのだが、それはまた別の話である。


 大通り沿いということもあって、大きく立派な店がいくつも軒を連ねている。年頃の少女たちには余りにも魅力的な場所であったが、一々見て回っていたら何日かかるか分からない。


 高級ブティックで値段に驚いたり、露店で売られていた骨董品を前に首を傾げたりしながら進めば、目的地まではあっという間だ。


 到着したのは大きな広場であった。その中央には巨大な人々の像とそれを囲むように設置された噴水。斜陽を浴びて輝くそれらを見て、リタは感嘆の息を漏らす。


「ほえー」


 左隣から聞こえた微かな笑い声に視線を向ければ、キリカが優しく微笑んでいた。警戒しているからだろうか。まだ微妙に表情が硬い気がする。


 リタは不自然にならない程度に、肩を彼女に寄せた。触れるか触れないかの距離で、ほんの少しだけ感じる体温。なんとなく、キリカの緊張が和らいでいくような気がした。


 本当は、もっと話をしたいし、触れ合いたい気持ちはある。だが、今は周囲の耳目もあるし自分はアリサ・ユーヴェリアなのだ。これで我慢だと自分に言い聞かせる。


 ラキやモニカもすっかり観光気分のようで、明るい声が後ろで響いている。そんな中、いつの間にか右隣に来ていたエリスが口を開いた。


「――三星六花の像、だね」


 リタは改めて像に目を向ける。高さは十メートル程度だろうか。三人の男を囲むように、六人の男女が勇ましく武器を構えていた。その中には、獣人であろう女性やエルフ族と思われる男性の姿もある。


 建造されてから長い年月が経っているのであろう。所々に劣化は感じられるものの、暗緑色の像は今でも力強く何かを訴えかけてくるようであった。


 きっと多くの国民たちの誇りが込められているに違いない。その迫力に、多くの観光客を集めるだけのことはあるとリタも納得していた。


 エリスと、またもや途中から割り込んできたラキの説明によれば、この像はエルファスティアの元になった国々の建国当時の代表者たちなのだそうだ。そういえば、授業でもそんな話を聞いたかもしれない。


 それにしても、今日はやけにラキが饒舌だ。よっぽど楽しみにしてたんだろうなと、リタは思う。その気持ちは痛いほど分かる。


 しかし、問題は先ほどから説明を毎回邪魔されているエリスだ。エリスは昔から、リタに解説することを楽しんでいるきらいがある。


 だからだろうか……。ラキの上機嫌とは対照的に、エリスが段々と不機嫌になっているような気がしてならない。いや、確実になっている。


(はぁ、お腹が空いた……。そこらの出店で買い食いとかしたいんだけど、エリスをほっておくと後から大変なことになりそうだし)


 周囲を見渡せば、多くの人々が視界に入る。その人種は様々で、明らかに王都に比べても人間種以外が占める比率が高かった。そう言えば、以前エリスがそんな話をしていた気がする。


「そういえば、エリスさ。前にエルファスティアは多種族国家って言ってたけど、なんで王国より人間種以外の人が多いの?」


「始まりはエルファスティアの建国から百年くらい遡るんだけど。統一教会、つまり今のセレスト皇国が教義の解釈を巡って分裂しかけたことがあってね。当時の教皇と対立していたギラン司祭は人間種以外の排斥を訴えていて――――」


 適当な話題が思いついたことを安堵しつつ、そう問いかけたリタであったが、すぐに後悔することになる。思いのほかエリスの話が長かったからだ。


 もう空腹は限界に達しようとしていた。統一教会の過激派からの迫害を恐れ南下した人々が、元からそこに住んでいた人間たちと合流し、セレスト皇国の強大化を恐れて手を組んだ……までは聞いていたが、最早内容が頭に入ってこない。


 リタの腹の虫の鳴き声にも気付かない様子で、エリスの上機嫌な解説は更に続いていく。


「こうして出来たから、今のエルファスティアがあるの。だから当時から多様性をすごく大事にしててね。色々な種族がいるから、法律もとても寛容だったりするんだ。例えば、その……同性婚が認められてたり、とか。……後は、王国でも田舎の方だと別に普通だし、多分だれも気にしないけど、うん……。兄妹、での結こ――」


「あ、あれ買いたい!」


 その時であった。香ばしいタレと肉の焼ける暴力的なまでの臭いが、出店から風に乗って届き、リタの脳天を貫いたのだ。気付けばそう叫んでいた。


「あ痛ァ!?」


 それと同時に、足に激痛を感じたリタは素っ頓狂な悲鳴を上げる。どうやら、エリスに思い切り足を踏みつけられたようだ。だが、当のエリスの方を向いてもそ知らぬふりである。


「え、えっと……、エリス……?」


「どうかした?」


 恐る恐る声を掛けたリタに、エリスは完璧な笑みを返す。その表情を前にして、リタは即座に追及を諦めることにした。


「い、いえ……。何でもありません、ハイ」


 勿論、この状況であの出店に行きたいと言えるはずもなく――。リタの大きなため息と、誰かの小さな溜息は、煌都の雑踏へと溶けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る