目指すは煌都 1

 深夜の王城から帰寮したリタを出迎えたのは、エリスの物憂げな溜息であった。漆黒の装備を脱ぎながら、視線を向けたリタにエリスが問い掛ける。


「お姉ちゃんのそれは優しさ? それとも甘さ?」


 エリスの問いは単純明快であった。自分のやっている余計なお世話のことを指しているのだろう。だが、その真剣な眼差しに対して、冗談で返すことは憚られた。


「うーん。ちょっとした感傷と、勝手な感謝かな?」


「前者は血継連環術式で、後者はキリカちゃん――だよね?」


 リタの答えに、エリスは柔らかな笑みでそう返す。何故だか、そんな妹の瞳を見ている事が気恥ずかしく感じて、リタは目を逸らしながら頷いた。


 どことなく気まずいのは、昨日の一件のせいだろうか。別に姉妹だからといって互いに全てを話すわけでは無い事は分かっている。


 例え、自分とよく似た容姿の双子の妹であっても、性格も全く違う別の人間なのだから。そんな微妙な距離感を感じさせる夜は、静かに更けていった。



 数日後――――。


 煌都ルーファ・ディメリアを目指してひた走る、グランヴィル王国の国旗を掲げた三台の装甲車。ドルトンという調教された巨大な魔物と一体化した装甲を纏うそれは、夕日を背に広大な草原を快調に突き進んでいた。


 王都を出発して、既に十八日が経っている。余裕をもった移動日程を設定しているため、明日にもエルファスティア共和連合の首都に到着する見込みだ。


 それぞれの装甲車には王国軍の兵士が乗り込んでいるのだが、途中途中で通信の魔道具の中継ポイント設営のため、二名ずつ下車している。


 王国上層部が今回の大会の行く末を注視していることは勿論、王国軍での本格的な運用前のテストを兼ねてもいたからだ。それが既に五回繰り返され、今は出発時より車内は広々としていた。


 特に指示された訳でもなく、三台の装甲車において学院関係者は教員、男子生徒、女子生徒と綺麗に分かれている。気を遣ってくれたのか、女子生徒の装甲車に同乗している兵士は全員女性だ。


 そんな中、男子生徒が集まった装甲車に突如甲高い声が響き渡った。


「た、助けてくれぇぇぇ!」


 声の主は、グランヴィル王国の第四王子アレクである。駆け寄ったレオンは、水の入った容器をまだ肩で息をしているアレクに手渡した。


 アレクは、昨夜合流したばかりだ。とは言っても、彼は合流した時には気絶していたため、レオンが会話を交わすのは二週間以上ぶりとなる。


「殿下、大丈夫ですか? かなりうなされていたようですが……」


 王族が寝るには全く相応しくない簡易寝台より降りたアレクは、レオンが手渡した水を一気に飲み干すと、きょろきょろと周囲を見渡した。それでどうやら、状況は把握したようだ。


 突然の大声――それも王族の――に、驚いた王国軍の兵士が周囲に集まってきていることに気付いたのだろう。赤面したアレクは、固めた拳に咳払いをすると「何でもない」と散開を促した。


 やはり、長距離転移の魔術は王族相手であっても秘匿すべき技術なのだろうか。レオンは、所謂お姫様抱っこでアレクを運んできたロゼッタの微妙な表情を思い出しながらそう思った。


「皆、騒がせてすまないな」


 アレクはそう言うと、周囲で心配そうな顔を向けていたクラスメイト達に軽く頭を下げた。例えクラスメイトとはいえ、まだまだ王族から頭を下げられて平然と出来る者などいない。


 慌てふためくのは周囲の面子である。彼らを見渡したレオンは、自分が口を開くべきだと思いアレクに声を掛ける。


「滅相もございません。そう言えば殿下、訓練はどうでした?」


 レオンが笑みを浮かべながらそう発したことにより、ようやく周囲の兵士たちの耳目が散っていくのを感じる。ひとまず計算通りだ、とレオンは胸を撫でおろす。


 アレクを除いた男子生徒の中では、自分が一番貴族としての立場は上なのだ。こういう時に率先すべきだということは理解している。


 だが、気を遣ったはずの質問は、アレクにとってはどうやら思い出したくない何かを思い起こすきっかけとなってしまったらしい。


「ははは……。そう、だな…………。聞きたいか? いや、聞いてくれ」


 両目から光を失ったアレクが、突如レオンの両肩を掴んだ。ああ、これは逃げられそうにないな。そう考えるレオンの予想は当たっていた。


 アレクの愚痴は留まることを知らず、他の男子生徒全員を巻き込んで深夜まで続いたという。




 リタ達が合流して二度目の夜は野営となった。尚、今回の大会に参加する生徒たちは、今後のカリキュラムのうち野外演習や行軍訓練を免除されることになっている。


 その代わりと言うべきか、煌都への道中も含め、ある程度生徒たちが率先して動く必要があった。その一環で、生徒たちは交代で夜通し見張りをすることになっていたのであった。


 今回、野営は車両ごとに分かれて行われている。見張りは二名一組で、一人二時間。一時間ずつ時間をずらして交代していく方式を取っていた。


 後から合流した以上、率先して見張りを引き受けるべきなのは当然のことだ。エリスが見張り番になって一時間が経過した頃、先程まで一緒に見張りをしていた生徒と入れ替わりで、交代要員のキリカがその姿を見せる。


 先日は色々あったが、もうすっかり元通りである。キリカのそういうところは非常に好ましいとエリスは思う。何故か未だに一番気にしているのが姉だということには、互いに苦笑いを交わすしかない。


「お姉ちゃん、ちゃんとやれてる?」


 エリスは、キリカの表情から大体の状況は察しながらも、そう声を掛けた。キリカは焚火の横に準備された簡易的な椅子に腰かけると、力なく首を横に振った。


「頑張って喋らないようにはしてるみたいだけれど……淡々とやらかしてるわ」


 エリスは「だろうね」とため息をつきながら、満点の星空を見上げた。絶対にぼろを出すから、出来る限り周囲の人間と話すなと忠告していたのだが無駄だったようだ。


 エルファスティアとの国境を越えて、もう十日以上。煌都も目前に迫っている状況だ。他国の出場校とすれ違うことなんかもあるかもしれない。


 そういった状況を踏まえ、少し早めに合流したのだが、リタは相変わらずであった。エリスは、昨日今日の出来事を思い出し遠い目をしてしまう。


 鼻息荒く装甲車の内部に興奮したかと思えば、勢い余って王国軍の備品を破壊。即座にロゼッタに呼び出され説教されていた。


 更には、兵士に頼み込んでドルトンの餌やりにも参加したのだが、何故かリタの頭が齧られる事態が発生。恐らく、忠告を無視して接近しすぎたのだろう。


 とはいえ、魔物ごときの顎の力で、リタに傷を付けられるはずもなく、その頭の固さに兵士たちが引いてしまう場面もあった。


 そして、さっきもアリサが知っているはずの無い話題に反応し、キリカが慌てて念話で止めるということが何回もあったという。


「お風呂、先に良いわよ?」


 キリカが疲れを滲ませる声色でそう言った。横目で見れば、自分につられたのかキリカも星空を眺めているようだ。


「それじゃ、お言葉に甘えて」


 エリスはそう言うと、転移魔法を発動した。キリカなら一人でも問題ない。――いや、あのキリカが見張りをしてくれるなど、一行にとっては贅沢過ぎるだろう。


 エリスとキリカの見張りの時間が被るのは、彼女たちには非常に都合が良かった。他の女子生徒達には申し訳ないが、女子寮に戻ってシャワーを浴びるつもりだったからだ。


 それが非常に贅沢だということは理解している。だが、綺麗な自分を見せたい相手がいる以上、それは譲れないことであった。


 因みに、今回の女生徒たちのお風呂事情は割とまともな部類であったと言えるだろう。暑い時期は水浴びをすればいいのだが、この季節はかなり辛い。


 そもそも、実際の軍事行動であれば水は非常に貴重で、風呂に入らず身体を拭くだけで済ませることも多い。だが、生徒達には中々受け入れづらいことであったのは事実。


 彼女たちが幸運だったのは、簡単に湯が出せるような魔術師が選抜メンバーに居たことだろう。おかげで今日まで、最低限清潔で人間らしい生活を送れてきたのだ。――トイレを除いて。


 その経験は、年頃の少女たちにとってはあまりにも衝撃的で、全員が最低限の魔術の習得を心に誓うものであったことを記しておく。

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