閑話:クライオベルンの呼び声
「全く、何者なんだよあの女……」
アレクは自室で瞼を擦りながら、そう漏らした。まだ早朝とも言える時間だが、突如アリサの声が頭の中に響いたのだ。
――曰く、「時には休養も大切なのですわ。ということで、本日は休息日とします」だそうだ。少々苦しそうな声色に聞こえたのは気のせいだろうか。
アリサが、女子寮で暮らしていることは知っている。この距離であれほど鮮明な念話を送れるとは、魔術の腕もかなりのものだ。
そう言えば、確かおとぎ話の姫君は世界有数の魔術師だったそうだが……。まさか――な。
アレクはそんな妄想を振り払うと、悔しさを感じつつも両腕を力強く天に突き上げた。
「遂に……休める……ッ! おいエドガー! 今日は休みになったから、昼まで絶対起こすなよ!」
扉の向こうに立っているであろう親衛隊長にそう声を掛けると、返事も待たずにアレクは再び眠りの世界へと旅立った。
アレクの自室は王城の中央から少し離れた尖塔にある。
その方が他の兄達とも互いに気を遣わずに済むのだ。高い場所にあるため、階段を使うのが少々面倒ではあるが若いうちは鍛錬だと言い聞かせていた。
時刻は昼過ぎ、食後の紅茶を嗜むアレクにエドガーが声を掛ける。先日頼んでいたリタの行方に関する調査について、今朝進展があったのだという。
リタの容姿は、控えめに言っても非常に目立つ。そうは言っても、王都だけでも人口は数十万にも達すると聞いたことがある。
そんな中で、人ひとりを探すことがどれだけ困難かということは分かっているつもりだ。そういった技術をもつ冒険者が非常に優遇されていることもアレクは知っていた。
だが、学生の行動だ。選択肢は非常に限られるというもの。アレクはある程度の確信を持って口を開く。
「やっぱりクリシェの実家か?」
「いえ、丁度今朝なんですがね、王都郊外で複数の冒険者から目撃情報が上がっておりやして。組合で話題になってるらしいですぜ?」
エドガーの言葉にアレクは首を傾げる。両親ともに孤児の彼女には親戚がいないと聞いている。王都で頼れる人間も殆ど居ないはずだ。滞在費用だって嵩む。
てっきり実家に戻っているのかと思っていたが、王都郊外とは。人違いではないだろうか。
「目撃情報って、レアな魔物かよ……。いや、それはいいんだが確かなのか?」
「ええ、恐らく。銀髪オッドアイの少女が、奇声を上げながら凄まじい速度で走り去って行ったと」
「あ、それ間違いないわ」
アレクは思わず吹き出した。何をしているのかは知らないが、とりあえず無事には違いなさそうだ。
どうやら、巨大な飛翔する影が目撃されたという山の方面に向かっていたらしい。冒険者たちの制止も届かず、リタは瞬く間に走り去っていったのだという。
一流の冒険者を瞬時に置き去りにするその速度に、怪奇現象の類なのではないかと噂になっていたところ、複数の目撃情報が相次ぐ。そして、今朝の冒険者組合の話題を独占することになったということだ。
リタがいてくれれば、あの生意気なアリサとかいう女をボコボコにしてくれたかもしれないのにな。そんなことを考えても無駄なのは分かっている。それでも、一泡吹かせてやりたいのは本心だ。
壁に掛けられた王家の紋章が入った儀礼剣を見やり、アレクは口を開く。
「エドガー、午後の訓練には俺も参加する」
折角の休みだということは分かっているが、最近何かが掴めそうなのだ。悔しいが、アリサの訓練は素晴らしい結果をもたらしている。だが、何かが上手くはまっていない感覚があった。
その正体に、もうすぐたどり着けそうだと感じているのだが、毎回もう少しのところで急に身体の力が抜ける感覚があるのだ。
それを超えれば、きっと何かが変わるという確信もある。疲れが残らない程度に、軽く身体を動かすのは構わないだろう。
不承不承といった様子で了承の意を返したエドガーと、日頃のうっ憤を晴らすと息巻いている親衛隊員たちの姿を眺めながら、アレクはいつか全員クビにしてやると誓うのであった。
「やり過ぎた……」
全身の痛みをはっきりと知覚しながら、アレクは薄暗い部屋でそう呟いた。王宮にも勿論治癒術師は居るのだが、あまり腕が良くないようだ。もしくは、彼女たちが特別なのか――。
既に王都に夜の帳が降りて数刻。
ベッド脇に置かれた魔道具の照明からもたらされた光は、部屋にある黄金の調度品により拡散され壁や天井に不可思議な模様を形作っている。
肩を回すと、心地よい痛みと共に関節が鳴る。明日以降のことを考えれば、早めに寝なければいけないことは分かり切っているのだが、中々寝付けそうにない。
アレクは、就寝することを一旦諦めることにした。魔道具の水差しから清潔な冷水をグラスに注ぎ、そのグラスの美しい模様をひとしきり眺めた後、一気に飲み干した。
大きな窓を開けば、冷たい風がアレクを震わせる。眠気が飛んでしまうのは分かっていたのだが、月でも眺めたい気分だったのだ。
寝間着のままベランダに出たアレクは、幾つもの灯りに照らされた王城を眺める。そして、市井の夜景、月夜の順に視線を動かした。
大きく息を吸い込めば、静謐な夜の空気が肺を満たしていく。そして、アレクがふと横を見た瞬間のことであった。
「いい夜だな?」
聞こえたのは、少年のような声。ベランダの手すりの上に、夜闇を凝縮したような漆黒の人影が立っていたのだ。
余りの驚きに、アレクは心臓が止まるかと思った。声を出さなかったのは正解だっただろう。そんなことをすれば、今頃自分は物言わぬ肉塊に変わっていただろうから。
「あ、ああ。そう……だな……」
アレクはそう絞り出すだけで精一杯だった。声を発した男は、とくに反応も示さない。あくまで自然体にも見える。凄まじいほどの実力者であるということは疑う余地も無いだろう。
そもそも、ここまで何の騒ぎも起こさずに侵入しているだけで驚異的なのだ。王城には国家最強と称される結界が張られ、あらゆる魔術的干渉に対して最大限の防御態勢を敷いている。そして勿論、多くの人員が常に警備しているのだから。
男が纏う服は光を吸収したかのように黒く、そもそも人間なのかどうかすら怪しい。彼の目的が王族の暗殺であれば、既に他の王族は全員死んでいるだろう。自分の価値は良く知っている。
特に自分を害する素振りは見せないが、どうすべきだろうか。こういう時に何も思いつかない自分の頭が腹立たしい。
だが、男はアレクの思考を待ってくれないようだ。顔は全く見えないというのに、自分の両目を見据えているのだということが、何故かアレクにははっきりと分かった。
そして男は静かに口を開き、こう問いかけたのだ。
「クライオベルンの呼び声は聞こえたか――――?」
アレクは目を開けた瞬間、自分が天井を見上げていると認識し即座に飛び起きた。どうやら自室で寝ていたようだ。周囲を見渡してみても人影はなく、空は白み始めている。
「……夢かよ」
アレクは大きく息を吐いた。やけに現実感のある夢だった。行動に既視感を感じながら、グラスに注いだ水を煽るとベランダに出る。
やはり誰も居ない。それにしても、変な夢だった。だが、何故か男の発した言葉が頭を離れない。
「二度寝――は出来そうにないな。つか、首いってぇ……寝違えたか? 大体何だよクライオベルンって」
大きなため息をついたアレクは、残り数日となった戦闘訓練の準備をすべく部屋に戻った。
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