束の間のガールズトーク

 今日も元気にリタはアレクをしごいている。訓練内容的に手持無沙汰になったエリスとキリカは、客席で談笑に興じていた。


 時折聞こえるアレクの悲鳴とリタの高笑いは、少女たちの会話を彩るには些か不釣り合いであったが、もう慣れたものだ。


 この時、出陣式から既に十日以上が経過していた。親衛隊員たちも、いつの間にか訓練場に姿を見せなくなって久しい。リタはどうやら、最低限の信頼は得ることができたようだ。


 今日も訓練場の全ての入り口と天井は締め切られており、魔術による結界が展開されている。何故なら、訓練内容は極秘扱いであるからだ。


 その為、時折ロゼッタが様子を見に来ることはあれど、他の人間が姿を見せることは殆ど無かった。


 それ幸いとばかりに、アレクが気絶している間には、エリスも人前で見せることが少しばかり憚られる魔法の実験を行ってもいた。




 一際大きな衝撃音が聞こえ、エリスは訓練場の中央に視線を向けた。視界に入ったのは、ちょうど糸が切れた人形のように白目を剥いたアレクが倒れていく瞬間だった。


 即座に魔術を展開したエリスは、現在の状況を解析し、その数値を手元のノートに書き込んでいく。隣で顔を寄せるキリカが、数値を読んでふむふむと頷いていた。


 確かに、良い兆候であることは間違いない。エリスも自分が携わった仮説が正しかったことを再確認し、仄かな満足感が胸を満たすような感覚を覚えていた。


「これを数値化するの、大変だったでしょう?」


 横から聞こえたのは、キリカの労うような声。ああ、本当に大変だったと思いながらエリスは苦笑を漏らす。


「それなりに、ね? お姉ちゃんは、簡単に言ってくれるけど。こっちの苦労は考えて無いんだから」


「信頼されてるってことよ。……それに、そう言う割に楽しそうにしてるじゃない?」


 エリスは視線をノートに落とし、軽く肩をすくめる。


 今回リタの発案したアレクの育成計画は、全く新しい評価基準に基づいて実施されるものであった。ある意味で革新的なそれは、将来の王国軍の兵士育成に活かされるとも聞いている。


 それを、王族を実験台にして実用化への第一歩を踏み出そうというのだから、傍から見ればどうかしていると思われても仕方が無い。


 だが、確かにアレクは着実にその一歩を踏み出そうとしている。


 それがリタにとって戯れなのか、深い考えがあるのかはエリスには分からない。流石に姉であっても、敵となる可能性が少しでも存在している組織を強力にすること――その意味を考えていないはずはない。


 ありふれた景色を、とても愛しそうに眺めているリタの横顔がエリスの脳裏を過った。両親やキリカ、そして友人たちのことを考えればこの国に愛着だって湧くだろう。


 とはいえ、彼女の芯がブレることなど考えられない。覚悟を決めた、ということなのであろうか。……それは、正直どちらでもいい。


 もし、その手が鈍るのであれば――――自分がやればいいだけの話なのだから。きっと隣のキリカも同じだ。そんな確信をエリスは抱いていた。


(私たちがそんなこと考えてるってお姉ちゃんは気付いてないだろうけど。……ま、気付いてくれないほうが助かるのかな?)


 先日の虚数領域での行動を、激しく叱責したリタの顔を思い出す。キリカは「私がエリスさんの立場でもそうしたし、リタの立場なら怒っただろうから、何も言わない」なんて完璧な言葉を掛けてくれたっけ。


 だが、申し訳なさも勿論あるが、何度繰り返そうとエリスは同じことをするだろう。

 そして、姉が本気で怒ってくれるのを嬉しいと感じてしまう自分に辟易するのだ。


 横から聞こえるキリカの小さな笑い声に気付き、エリスは思考の海を脱した。もしかして、キリカの発言に照れて黙っていると勘違いさせただろうか。


 エリスはほんのりとした熱を耳に感じながら、口を開いた。


「ま、こんなのも嫌いじゃないかな? 新しい事をするのも、情報を整理するって作業もね。ほら、あの人って昔から何でも感覚で話すからさ、理論化するのにも慣れちゃった。例えば、魔力活性閾値だけど――――」


 魔力活性閾値。それは、端的に言えば『高負荷の運動時に、消費される魔力量が急激に上昇する点』を指している。


 人は魔力を用いることで、体内の魔素を用いて身体に干渉し、筋肉や骨格の限界を超えた運動能力を発揮することが出来る。だが、その際の魔力消費量は運動強度と綺麗に比例しているわけではないのだ。


 図にした場合、途中までは緩やかな右肩上がりの直線を描くが、ある一定の強度を境に加速度的に魔力消費が増大してしまうのである。


 この時、魔力の活性度――波としての山谷の大きさ――と、魔力消費量は常に比例関係にある。そのため、魔力活性閾値の計測に、リタはアレクの魔力を暴走させたのである。


 現在アレクは、リタが発案したそれの向上を課題としている。魔力活性閾値の上昇は、より速く、より長く動けるようになることと同義なのである。


 また、同じく最大魔素摂取量の改善も欠かせない。


 通常、魔力を用いて何かに干渉するとき、人は必ず魔素という触媒を必要とする。魔素は食事や呼吸によって体内に取り込まれ、とりわけ血液中に多く存在している。


 だが、運動中に消費される酸素同じく、魔素もまた高負荷領域では消費され続ける。そのため、高い運動性能を維持し続けるためには、常に多くの魔素を取り込み続けなければならないのである。


 とはいえ、魔素は物理的に質量を測定することが出来ない。魔力量についても然りだ。


 だから、これらを数値化するためには全く別の何かを媒介することで視覚化する必要があった。その為だけに、いくつもの測定術式を開発した。


 例えば、魔力測定術式。これは敢えて冗長にすることで抵抗を増やした無属性術式であり、何の結果も伴わず魔力だけを放出することが出来る。


 また、魔力の消費量が一定であることも重要であり、これによって全魔力の放出にかかる時間を基準とし魔力量を数値化することに成功した。並の術師であれば、全魔力の放出に三秒もかからないスピード感も中々だ。


「――――成程、それでこれが私達の数値と、アイツの数値ってわけね」


 いい加減エリスの説明に飽きたのか、キリカが数字を指さしながらそう遮った。ま、そうだろうね。エリスは心中でほくそ笑む。


 最初から、先ほどからかわれた仕返しのつもりで話していたのだから当然だ。眉間に皺を寄せた顔が見られて多少溜飲が下がったエリスであったが、ここぞとばかりに大袈裟に褒めつつ追撃する。


「流石はキリカちゃん。一発で理解するとは、お姉ちゃんとは出来が違うね? でも、殿下をアイツ呼ばわりはとしてどうかなって思うんだけど?」


「……分かってて言ってるわよね?」


 ジトっとした視線を向けるキリカに、エリスは笑みを向けて「冗談だよ」と返した。実際、キリカとアレクはそんなに仲が良い訳ではない。


 リタが以前「めっちゃ気になるけど、どうしても恥ずかしくて聞けない」と弱音を吐いていたので、仕方なくエリスが事情を聞いたところ、何年も前に盛大に喧嘩したらしい。


 詳細は聞けていないが、現在の関係性を鑑みるに結果は明白である。


 ……何だか、思い出したら腹立ってきた。最近、いつもそんな役回りばかりじゃない? エリスは、思わず遠い目をしてしまう。


 きっと時間がかかるだろうし、そろそろ始める頃かな――――。エリスは小さく息を吐くと、キリカの方に向き直って口を開いた。


「そういえば、話は変わるんだけど。……今回の件が終わったら、少し時間貰えないかな?」


 キリカは可愛らしく小首を傾げた。「別にいいけれど」と言う彼女だがエリスが微かに言い淀んだことに気付いたのであろう。


 どうかしたのか、とキリカの瞳が問い掛けてきている。はっきりと感じる胸の高鳴りを意識して抑えつつ、エリスは続けた。


「ちょっと――ね。……所謂、恋愛相談ってやつかな?」


 ほんのりと頬を赤らめたエリスの言葉に、キリカは絶句している。徐々に、その頬にも朱が差していく。咳払いと共に、そんな空気を振り払ったキリカが早口で話す。


「えっと、その……い、いいわよ? ほら、私ってそういうこと話す友達なんていないじゃない? リタは昔からあんな感じだし。だからね、その――ちょっと憧れてて」


 そんな可愛らしい態度で了承してくれたキリカに、エリスは思わず安堵の息を漏らす。しかし、聡明な彼女がそれだけで終わるはずもない。


「けれど、それは――――」


 底冷えするようなキリカの声と視線に、エリスは背筋に走る悪寒を意識せずにはいられなかった。ああ、そうだ。彼女が気付いていないはずはないだろう。


 間違いなく、試されている。

 エリスは、真っすぐにキリカの視線を受け止めた。


「宣戦布告――――。そう受け取っても、いいのかしら?」


 あんなに柔らかそうな唇から、こんなに冷たく固い声が出るのか。まるで心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚であった。


 重く全身にのしかかるように感じる何かが、目の前の少女から発せられている。ここは既に彼女の間合いの中。だからこその、覚悟の証明でもある。


 キリカの瞳の奥で輝きを増す黄金の炎は、彼女が背負うものの大きさを示しているように感じた。


 それでも、だ――。


 胸の奥で迸る熱い何かに背を押されるように、エリスは立ち上がった。キリカも同じく立ち上がると、腕組みをして、こちらへ強い視線を向ける。


 強まる圧力の中、歯を食いしばるエリスには確信があった。


 私たちは幸運だ。

 近くに、互いの存在があるのだから。


 キリカちゃんは、奥底では私ととてもよく似ている。

 だから、間違いなく探してるはずなんだ。


 いつか、どうしようもない壁があって。

 いつか、自分が道半ばで斃れたとして。


 その先を託せる誰かを。

 せめて、あの人だけは孤独にしないように――――と。


 エリスは一歩キリカに近づくと、至近距離でその両目を見据えた。

 キリカの双眸に灯る光が増すのを、エリスは確かに感じ取る。


 ほら、目を見開いて私を見定めろ。

 お前が探している相手なら、ここにいる。


 引き攣る頬の筋肉を無理やり納得させ、エリスは強引に笑ってみせた。


「逃げないよね? ――――


「――――」


 エリスの問いに、キリカが何と答えたのか。

 それを知るのは、きっと本人だけなのだろう。



 だが、エリスは確かに見たのだ。真っ青な顔で何かあったのかと割り込んできたリタが、彼女の顔を遮る寸前――。



 キリカ=ルナリア・シャルロスヴェインは、確かに笑っていた。

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