イカれ女と生存本能 3

 目を覚ましたらしいアレクに近寄ると、何故か視線を逸らされてしまった。リタは首をひねるも、特に思い当たるフシはない。


 アレクが意識を失う寸前、ついつい素の調子で声を掛けてしまう場面はあったが、完璧な演技で誤魔化した以上、気付かれることはないはずだ。


 アレクも、自分が動かないとこの場は進まないと観念したのだろう。破れた胸元から覗く、健康的な肌を一瞥した後、服についた砂を払いながら立ち上がった。


 リタはとりあえず、先の攻撃で生き残ったことを褒めた。前世の言葉で言うところの「飴と鞭」とかいうやつである。


 アレクは小声で文句を垂れつつも、一応話は聞いてくれている。その態度は最初より軟化しているように思えた。


 とにかく、さっさと話を進めなければ。リタは腕組みをすると口を開く。


「今後は時間がありませんので、かなりキツイ日々になりますわ。何度も瀕死の重傷は負いますので、ご覚悟あそばせ?」


「嫌だが?」


 リタの言葉に、アレクは真顔でそう言い切った。


 普通の人間だったら、王族にこんなことを言われれば出鼻を挫かれることになったであろう。だがリタは、アレクの発言を完全に無視して続けた。


「まずは今日の予定ですが、関節の可動域を無理矢理広げますわ」


「えっ痛そう」


「次に、殿下の魔力を人為的に暴走させ、魔力回路の拡張と魔力活性閾値の計測を試みますわ」


「えっ怖そう」


「血中魔素濃度も重要ですから、最大魔素摂取量向上のため、心肺と魔力回路に負荷をかけた状態でノンストップの継戦訓練も実施しますわ」


「えっキツそう」


「さっきからうるさいですわね!? とりあえず殿下が黙るまで、さっきのやつを繰り返すことにしますわ!」


 思わず構えを取りつつ叫んでしまったリタであったが、その目に映るのはアレクの姿。周囲を見渡せば、肩をすくめるキリカとエリスの姿があった。


「あんにゃろう……逃げやがった」


 小さく零したリタは、大量の詰め物で膨らんだ胸元を押さえて走り始めた。




 一度女子寮に戻り、二度寝をしたラキは着替えを済ませ講堂に向かっていた。出陣式に向かうためである。わざわざ制服を着なければならない理由は分かるが、面倒には違いない。


 更に憂鬱にさせるのは、在校生や関係者に向けて簡単なスピーチをしなければならないことだった。溜息は留まることを知らない。


 隣には、早朝と同じくモニカの姿があったが、彼女もラキと同じく憂鬱そうな表情を隠そうともしていなかった。


 出来れば出発する前にリタと話をしておきたいと思っていたラキであったが、どうにもタイミングが合わなかったようだ。昨夜は帰りが遅かったようだし、今朝も訪ねた時には既に不在だった。


 彼女たちが後ほど合流するという話は聞いている。事前にとある筋から聞いた話について、確認しておきたいと思っていただけだ。


 だが、彼女の正体が本当にそうであったとしても、何も変わらないのも事実。親友が、いつかすべて話すと約束してくれたのだ。


 それはきっと、初めて素手で殴り合ったあの日の夜に、彼女が話していた理由で。何よりも大切な誓いなのであろう。


 今は福音にも聞こえる雨音を響かせる傘の下、物思いに耽るラキを現実に引き戻したのはモニカの言葉であった。


「ラキちぃはさ、残って訓練したかったんじゃないの?」


 からかうような声色には、憂鬱な空気を少しでも吹き飛ばしたいなんて気持ちが込められていたのかもしれない。


 ラキは努めて平常通りの顔で「そりゃそうだろ」と返した。授業も無く、ひたすら戦闘訓練に明け暮れる機会など、そうそうない。


「さっすが戦闘狂の人たちは違うねー。ウチは、あの三人相手とか絶対やだー」


「だろうな」


 きっとアリサの正体を知っていても、モニカは拒否するだろう。


 ラキは柔らかい笑みを漏らす。正直、彼女は化粧やお洒落に気を遣って、色恋沙汰に青春を消費するような人間なのだと思っていた。


 いや、実際にモニカはそんな日々を望んでいたのだろう。


 だが、彼女の家も小さいが貴族に連なる家。詳しい事情までは聞いていないが、領地は困窮しており、身体の弱い弟の為にこの道を選んだのだと聞いている。


 ……もしかしたら普段の言動も、実家を立て直せる誰かとの出会いを期待してのものだったりするのだろうか。


 もう肌寒い季節だというのに、見せつけるように開けられたモニカの胸元を見て、ラキはふとそんなことを思った。


「そういえばさー、聖女の話って聞いてるー?」


 ラキの考えていたことなど露知らず。間延びした口調のモニカが、そんな問いを投げかけてきた。


「あ、ああ。自分がおとぎ話のお姫様の生まれ変わりだとかいうやつか?」


「へぇ、知ってたんだー。本当だと思う?」


「どうだろうな。正直オレは、他の奴じゃねーかって思ってんだ。……完全に勘だがな?」


 こっちをまじまじと見たモニカが「あのおとぎ話、信じてるんだー? ちょっと意外」と笑う。何かを言い返そうかと思ったラキであったが、何故だか言葉が浮かんでこない。


 結局、苦笑いしながら頬を掻くことしか出来ないラキであったが、後ろから聞こえる騒がしい声に気付いて振り返る。モニカも気付いたのだろう。同じ方向に視線を向けたのが分かった。


「だあぁぁぁぁぁぁ、死ぬ死ぬ死ぬぅぅぅぅ! さっきのをまたやるとか無理! 絶対死んじゃう! 今度こそ絶命するってぇぇ!!」


 声の主アレクは、色々な意味で王族とはとても思えない叫び声を上げながら疾走していた。雨に濡れた癖毛を頬や額に張り付け、正に必死の形相である。


「お待ちなさい! 大丈夫ですわ。次は素手でやりますから、精々内臓破裂で済みますわ!」


 その後ろを不自然な走り方で追いかけるのは、案の定リタである。今は、アリサの姿をしているが。


 相変わらず、王族相手だろうと容赦が無いようだ。学院の外で聞かれたら、確実に衛兵案件な台詞を発している。


「大丈夫な訳ないよね、俺王族ぞ!? ねぇ倫理観は何処に落としてきたの!? 探して拾ってきて! お願い!!」


 こっちに気付いたらしいアレクと目が合う。その目は、間違いなく助けを求めていた。正直、彼のことは苦手なラキであったが、丁度リタと話したいと思っていたところだ。


 彼に恩を売れるとまでは思っていないが、多少なりとも以前の不敬な態度を挽回するチャンスでもある。


「おーい、アリサ!」


 ラキが手を振ると、リタは気付いたようで徐々に減速を始めた。すれ違いざま、アレクが小さく「恩に着る」と発したのを、確かにラキの耳は拾っていた。


 リタは、変わらず鋭い視線をアレクの背中に向けていたが、特に不満そうな顔もせずにラキの近くで立ち止まる。そして、当たり前のようにラキの傘の下に割り込んできた。


 隣のモニカが、いつの間にそんなに仲良くなったのかという視線を向けてきている。だがラキは、それを一旦無視することに決めた。


 モニカの方を向いて、物欲しそうな視線を向けているリタに気付いたのだろう。モニカが「ご機嫌よう、アリサお嬢様」と挨拶をすれば、リタは途端に満面の笑みを浮かべた。


「オーッホッホッホ! 苦しゅうない! これは大変苦しゅうないですわ!」


 よく意味は分からないが、彼女的には大満足のようである。そんなリタの肩越しに、ラキはモニカに先に行くように促した。


 声は発していないが、モニカは空気を読むのが上手い。貸しひとつだと言わんばかりに、小さく人差し指を立てるモニカにラキは頷きを返した。




 無事に出陣式を終えたラキは、黒い革の袋を片手に学院の正門前に停まる馬車に乗り込んだ。雨のおかげで、ちゃんと屋根付きのものである。


 出陣式自体は、つつがなく終わった。アリサことリタが、全ての注目を持って行ってくれたおかげで、多少は気楽なスピーチとなった。……一言二言しか発してないが。


 さっさと窓際の席を確保したラキは、濡れた外套をカーテン代わりに窓枠に引っかけた。遅れて乗り込んできたのは、モニカである。


 次々と他の面子も乗り込んでくる。特に決められていたわけでは無いのだが、こちらの馬車には自然に女生徒ばかりが集まったようだ。


 年頃の少女たちが集まれば、賑やかになるのは避けられない。皆が口々に話すのは、先ほどのアリサの発言である。


「あのアリサとかいう女が姫様の生まれ変わりだって? 冗談キッツイわ。発言も一々クサいしよ。つか、ガキじゃあるまいし、今時あんなおとぎ話信じてる奴とかいんのかよ」


「クラリス? 一撃で叩きのめされたからって口が悪いよ? それに、王宮からも声明を出すらしいし、不用意な発言はしない方が――」


「あーはいはい。とにかく、気に食わないもんは気に食わないっての」


「まぁ、クラリスって貴族様も嫌いだしね? でもでも、アリサお嬢様って案外面倒見が良くって――」


 周囲で繰り広げられる会話から意識を逸らすように、ラキは窓の外に視線を向けた。窓を流れていく水滴を眺めながら、どうにか平静を保つ。


 結局、リタから詳しい話は聞けなかった。今はまだ秘密、なのだそうだ。チラリと、手元の皮袋を見やる。受け取った荷物の中身は気になるが、周囲に人がいない時に見るようにと言われている。


 そんなラキの肩をつつくのは、隣に座るモニカである。気を遣わせてしまったのかもしれない。甘い香りを漂わせながら、顔を近づけるモニカが耳元で囁く。


「さっきは、ちゃんととお話し出来たー?」


「まぁ、ぼちぼちってところだな。――――あ」


「薄々感じてたんだけどー。やっぱり、ね?」


 いい加減、このうっかり癖はどうにか治らないだろうか。隣で可愛らしい笑みを浮かべるモニカを余所に、ラキは頭を抱えることしか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る