イカれ女と生存本能 1
アレクは、アリサの問いに答える言葉が思い浮かばず、唇を噛んだ。目を逸らし、一歩引いてしまった自分が情けなくて仕方がない。
彼女が発した言葉は事実だ。自分に自信など持てる筈がない。
それは自分が一番分かっているし、知っている――――。
アレク・ライナベル・フォン・グランヴィルは、グランヴィル国王の四男としてこの世に生を受けた。彼と他の王族との決定的な違いと言えば、その母が平民だったという一点に尽きるであろう。
国王イグニシアスには、学院時代からの親友がいた。彼は平民ながらも才に恵まれ、西方戦役にて数々の武功を立てるも戦死。その親友の妹が母なのだと聞かされている。だが、アレクにとって、そんなことはどうでも良かった。
まだまだ貴族勢力が強い王国、その頂点たる王宮という場所において、そんな彼がどのような扱いを受けるかなど、分かり切ったことであろう。
幼少期は、ただ蔑まれ、馬鹿にされる毎日だったと記憶している。少なくとも、当時の自分はそう認識していて、周囲の人間は全て敵だと思い込んでいた。
流石に表立って大きな行動を起こす者はいなかったが、幼いながらにアレクは敏感に周囲の空気を察知していた。ひそひそとうわさ話に興じる使用人、嘲笑する大貴族。
彼らが憎くて憎くて仕方がなかった。しかし、子供に何が出来ようか。母は寝てばかり、父とは会える時間も限られ、周囲には親衛隊の隊員たちしかいない。
きっと勉強が出来なかったのも悪かった。
少しだけ運動が得意で、剣で兄たちを負かしたことも悪かった。……それから第二王子や第三王子から受けることになった嫌がらせなど、思い出したくもない。
次期国王である第一王子だけは、当時からアレクに対しても優しく接してくれていた。だが、当時の自分はひねくれていて、それを正面から受け止めることが出来なかったのだ。
今なら違ったのかもしれない。立派な志で民を導く貴族が多い事も理解しているし、兄達の嫌がらせも、少し過剰ではあったが、子供同士ではよくあることだと割り切れる。
そんな兄達とは、最近ようやく知り合い程度には普通の態度で話せるようになった。まだ、家族として向き合うことは難しいし、それは許されないことなのかもしれない。
使用人たちや、自分の周囲の親衛隊たちについてもそうだ。自分がちゃんと向き合えば、伝わるものはあった。互いに理解できる価値観も持っているのだ。相容れないことも勿論あるが、そこは潔く諦めればいい。今はそれを知っている。
しかし、当時の自分は違った。自分だけが不幸だと思い込み、他人を理解しようとしていなかった。だから、誰よりも心を痛めていたのかもしれない人に、あんな言葉を投げたのだ。
『こんな家に、生まれてこなければよかった』
それは、アレクが発した取り返しのつかない台詞で、未だに自分を縛り続ける呪い。
病に臥せる母が浮かべた表情は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
だが、どんなに罪の意識に苛まれようと、馬鹿な自分は謝ることさえ出来なかった。何度も何度も母の部屋の前に立った。だが、どうしてもノックをすることが出来なかったのだ。
そして数か月後。母は、最期まで国民と家族の幸福を願い、その生涯を終えた。
「――色々と自覚はなさっておりますのね? 殿下の出自を考えれば、少しくらいは同情もしますけれど」
いつの間にか地を睨みつけていた視線を上げれば、アリサの整った顔があった。感情の籠っていない声ではあったが、その眼光は鋭い。
「知ったような口をきくな」
彼女と対照的に感情を表に出してしまったアレクは、思わず舌打ちをしてしまう。そんなアレクに、アリサは視線を細めると形のいい唇を開いた。
「……もしかして、怖いんですの?」
ああ、怖いさ。
全力を出して、見限られることが、無駄になることが、何者にもなれないことが。自分が本当に無価値な人間だと証明してしまうことが。
――そう言えたなら、どんなに楽だっただろうか。
友人たちになら、言えただろうか。分からないが、少なくともアリサには言える訳がない。
母が死んでからの自分は控えめに言っても屑だった。誰かのせいにしたかっただけだったのだろう。周囲に八つ当たりを繰り返した挙句、一人閉じこもるようになった。
それを見かねた先王陛下の勧めもあり、数年ほどユーヴェリア辺境伯の元で過ごすことになった。おかげで一応立ち直ることも出来たし、人間として強くなったという自覚もある。
だが、結局自分はこうなのだ。見ず知らずの少女にまで笑われても、何も言い返せず俯くだけ。
アレクは天を仰いだ。薄暗い天井と、微かに聞こえる雨音。このじめじめした空気は、まるで自分そのものだとアレクは思う。
(ああ、母上。どうして貴女はこんな俺に、あんな言葉を遺して逝ったのですか?)
本当は分かっていた。そろそろ、大人になるべきなのだと。国民の為に、自分の行く先を考え、生きてゆかねばならないと。
それは責務であり、どうしようもない自分が出来る、唯一の母への罪滅ぼし。だからきっと、この学院で過ごす三年間が、自分にとっては最後の――自分で居られる時間だ。
何も答えないアレクに業を煮やしたのか、アリサが口を開く。
「殿下? 先にも言いましたが、わたくしには時間がありませんの。例え、そのつもりがないとしても――」
微かに苛立ちを含んだアリサの声を、アレクは剣を構えなおすことで制した。時間がないのは、こちらとて同じだ。ここで自分が自棄になっても、何も解決しないのだから。
ふっと強く息を吐き出し、足元を確かめる。脳裏を過るのは友人たちの顔で、湧き上がるのは報いたいという思い。
自分の為ではなく、彼らの為なら、まだもう少しやれる気がした。
「チッ。イカれ女に従うのは癪だが、しょうがない。やってやるよ、正真正銘の本気でな」
「イ、イカれ女……? え、もしかして、わたくしに言ってますの?」
愕然とした顔をしているアリサを見て、アレクは思わず頬が緩んだ。初めて、痛めつけられた仕返しが出来た気がしたのだ。
「事実だろ? さっきから、ごちゃごちゃうるせえんだよ! ほら、さっさと始めるぞ」
「ぐぬ……いいですわ。殿下がそのつもりなら予定変更です。早いですが、わたくしが殿下の限界以上の力を引き出して差し上げます」
不気味な笑みを浮かべたアリサは、大きく後ろに跳ぶと構えを取った。
そしてアレクは、すぐに自身の発言を後悔することになる。
「――ッ!?」
アレクは全身が軋む音を聞いた気がした。物理的な衝撃を伴うようにも感じる、重たく濃密な殺意。それがアリサから発せられていたのだ。
これが、殺気だと!? アレクは思わず頬を引き攣らせる。達人の放つそれは、常人の意識をたやすく刈り取ると聞いたことはある。
だが、どうして自分と同じくらいしか生きていないような少女が、これ程までの気を放てるのか。
だが、次々と湧いてくる疑問も、全て恐怖が塗り潰していく。視界が黒く染まっていくような錯覚。緊張し震える筋肉。本能が警鐘を鳴らしているのだ。
「意識を手放せば、本当に死にますわよ?」
ぐらつく視界の中、アレクはとにかく剣を握る力を強める。そうしないと、立っていることさえ出来なかったからだ。彼女は、間違いなく本気だ。
一瞬でも気を抜けば、意識を保つことなどできないだろう。
そしてその先にあるのは、絶対的な死だ。
「生きたいと願う本能に身体を任せてみることも、時には有効なのですわ。正しく恐怖することを覚えるのです」
「あ゛あ゛あぁぁぁあ!」
更に強さを増していくプレッシャーの中、アレクは負けじと目を見開き叫んだ。この状態はいつまで続くのだろうか。今にも気が狂いそうだ。
「さて、殿下? 自らの魂に問い掛ける時間ですわ。限界を超えて、生を手にするか……無様に死ぬか」
それはまるで、死刑執行を告げる鐘の音のようであった。心臓を掴まれ、血液が凍りそうになるほど冷えていくような感覚。口内を満たす苦味。アレクは背筋に走った悪寒を頼りに動く。
アリサが腰を落としたところまでは、どうにか認識出来た。だが、瞬きなどしていないというのに、その姿は視界から消失していたのだ。
自分や彼女がどう動いて、何が起きたのか分からない。
「それでは、
しかし、アリサが置き去りにしたはずの言葉がアレクの耳に届いた時には、全てが終わっていた。
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