偽りの代償 4

 その日の放課後、アレクは豪奢な馬車に揺られながら帰路についていた。ゆっくりと王城へと貴族街の石畳を進む馬車。その車窓から外壁に沈みゆく夕日を眺めながら、アレクは大きなため息をついた。


「おっと物憂げな顔で溜息とは珍しい! 殿下、もしかして恋煩いって奴ですかい!? 相手はやっぱり、銀色の嬢ちゃんだったりとか?」


 男くさい笑みを近づける髭面の男エドガーに、アレクは諦めた顔で首を横に振った。彼は一応第四王子親衛隊の隊長であるのだが、基本的に人がいない時にはこの態度である。


 正直に言えば、そう接してくれるのはとてもありがたいし、気が楽になる。勿論、口が裂けてもそんなことは言えないのだが。


「おい、エドガー。何度も言うけどな、一応俺にはまだ婚約者が……。いや、もういいや。今日は疲れた。茶でも淹れてくれ」


「へいへい」


 無駄に広い馬車の後方に備え付けてある茶器を取りに行ったエドガーを尻目に、アレクは柔らかな背もたれに身体を投げ出す。


「あー、皆は明日にも出立か。残って明日からあいつらと特訓とかマジ勘弁なんだが。つーか、あのアリサとかいうイカれ女は何者なんだ? エリスよりよっぽどリタの姉妹っぽいつーの」


 アレクは思わず天井を見上げた。立場上仕方ないのだが、アレクは今回の大会において王立学院チームの指揮官となった。つまり、自分が戦闘不能になれば、他のクラスメイトが全員無事でも敗北となるのだ。


 自分のせいでの敗北、それだけは流石に避けたい。それは、言い逃れ出来ようもない本音。王族としてのプライドかと問われれば、それもあると答えるだろう。伊達にその名に国名を冠していないのだ。


 そんなアレクの気持ちを汲み取った訳では全くないのだが、どうやら自分は明日からアリサにしごかれるらしい。エリスとキリカも一緒に訓練とくれば、美少女に囲まれる喜びより遥かに絶望の方が大きい。


 他にも、剣くらいしか兄達に勝つことなんて無かった自分だ。少しでも実力を出して見返してやりたいなんて気持ちも無いと言えば噓になる。


 王宮では厄介者だが、外では一人の王族として振る舞わなければならない。そんな息苦しく、どうしようもない日々が続いていた。ずっとそれが続くと思っていた。


 けれど、変わった。変わりつつある。最近はクラスの友人たちも、少しずつではあるが普通に接してくれるようとしている。きっと屈託のない笑みで、何の遠慮もしないあの少女のおかげでもあるのだろう。


 だから、そんな彼らに応え、共に歩みたい。そして、勝ちたい。やはり、それが一番の理由だろうか。


「フン……」


 柄にもない事を考えていた自分が恥ずかしくなったアレクは、無理矢理表情を引き締めると頬杖をついて視線を窓の外に戻した。


 とはいえ、ニヤついた顔で茶を差し出すエドガーには、見透かされている気もしなくはない。受け取った紅茶を、王城では決してできないであろう仕草で、一息で飲み干したアレクは口を開く。


「エドガー、頼みがある」


「決して疲れない範囲でお願いしやすぜ?」


「相変わらず王族の親衛隊とは思えねぇ台詞だな!? ……まぁいい。リタ・アステライトについて調べてくれ。今どこで、何をしているのか」


 アレクの言葉にエドガーは目を見開くと胸に手を当てて声を絞り出した。


「殿下……ッ! 遂に、遂に、自覚なされたのですね。ご自身の気持ちを! あの日の出会い、このエドガー今でも鮮明に覚えておりますとも。あの時の殿下の吹っ飛び方なんて――ぷぷッ! ……失礼しやした。しかし、殿下。ストーカーはいけません! 例え殿下の願いと言えど聞けませぬ。陛下がお悲しみになります!!」


「だから別にそういうのじゃないって言ってんだろぉぉぉぉ!? 何年間、同じやり取り繰り返せば気が済むの!? ――おい誰か! この馬鹿を今すぐ摘まみだせ!」


 青筋を浮かべたアレクの叫びに、「隊長を止められる人間なんて隊員にいません!」「ご自分でお願いします!」「頑張れ殿下!」と他の隊員から情けない返事だけが返ってくる。


「相変わらずで安心するけど、お前ら本当にそれで大丈夫か!? 別になりたくてなった訳じゃないが、俺王族ぞ……?」


 思わず頭を抱えたアレクは、その肩に優しく置かれた手に気付き顔を上げる。そこには、エドガーのあまりにも腹立たしい笑顔があった。


「殿下、勿論冗談ですぜ? ――で、嬢ちゃんに何かトラブルでも?」


 急に表情を引き締めるエドガーに、アレクも落ち着いて返す。


「いや、分からん。急に休学だと聞かされてな。この前話した時……いや、いい。とりあえず無事だとは思うんだが、念のため調べて欲しい。……何だその顔は!? 一応だ、一応! あくまでも、普通の友達として心配してるだけだからな?」


 アレクは迷った末、先日のリタの不穏な発言については触れないことに決めた。だが、そんなアレクの微妙な返答に呆れた視線を返すのはエドガーである。


「そういう発言するから意識してるって勘違いされるんですぜ? それはいいとして、可能な範囲で調べておきやしょう」


「あと、もう一人――。アリサ・ユーヴェリアという女が何者なのか。すぐに調べてくれると助かる。可能であればユーヴェリア卿と会談の機会を作りたい」


「それでしたら、心配ご無用。丁度本日、閣下が登城なさっておりやす。殿下とも、久々に語らいたいと仰せでしたので部屋を抑えてますぜ?」


「……成程、完璧なタイミングだな。嫌な予感しかしねえ」


 大きなため息を吐いたアレクに、鎮痛作用のある薬の容器を笑顔で渡すエドガー。その黒い丸薬の香りを嗅ぐだけで胃の痛みに襲われそうになるほど、以前は愛用していたものだ。


 そんなやりとりをしているうちに、馬車は王城に到着していたらしい。アレクは急いで丸薬を茶で流し込むと、身だしなみを整えつつ、気の進まない会談の場へ向かったのであった。




 同時刻、学院の校庭を女子寮に向かって歩く二人の少女がいた。


「ねぇ、エリス? 一応聞くだけ聞いておきたいというか、単刀直入に言えばお願い的なものがあるんだけど……」


「お小遣いのことなら却下。ばら撒いたの自分でしょ?」


「ですよねー」


 金髪ロールなお嬢様こと、アリサに扮するリタは、がっくりと肩を落とす。そんなリタに呆れた視線を向けつつ、エリスは先導するように歩く。一応、新しいルームメイトを迎える体なのだ。


 リタはここ最近、本当に忙しい毎日を送っている。放課後は、色々な調べものをしたり、キリカやエリスと特訓したり。夜は、魔力を鍛えるため、出来るだけ魔力を使い切って寝るようにしている。


 魔力を鍛えるのは今使っている魔法の燃費の悪さに対応するためと、将来のためだ。とはいっても、山に転移して腹をすかせたアンバーに魔力を流し込むだけなのだが。


 完全に餌付けされつつあるアンバーだが、毎晩魔力を流し込んでいるせいか、ここ最近肌艶もよく、若干身長が伸びている気さえしてくる。彼女には今後、色々と協力してもらう予定があるため、互いに利害が一致しているのだ。


「明日の朝には遂に声明も出るし、皆釣られてくれるかなー?」


 呑気にそう笑うリタの声に、エリスも優しく微笑む。きっと、皆驚くだろう。アリサの正体に気付いている人たちは、邪推するかもしれないな、とも思う。


 これは、自分たちの運命が大きく動き出す前の、最初の一歩なのかもしれない。今はまだ、偽りの姿ではあるが、これから始まっていくのだ。


 いつか、姉が本当の敵と対峙した時――自分は隣に居られるだろうか。

 せめて、そこに至る道をこじ開けることくらいはさせて欲しいものだ。


「きっと上手くいくよ。だって、お姉ちゃんのトラブル体質は折り紙付きだから」


「えっそれ褒めてる? 褒めてるんだよね? ねぇ!?」


 周囲に誰も居ないのをいいことに、いつも通りに振る舞うリタの顔は、今はアリサのものだ。エリスの胸には、ある想いが過る。ああ、今なら、もしかしたら、と。


 でも、それは多分卑怯だから。


 だから、思わず右手が触れてしまった自分の唇から零れ落ちたのは、きっとお互いに対しての言葉で。


「ふふ。……ばーか」


「――へ? ちょ、今エリス馬鹿って言わなかった? んな訳ないよねー。最愛の姉に対して、まさかエリスがそんなこと言うなんて」


 コロコロと表情を変えるリタに、エリスは仄かに感じてしまった切なさを振り払うように笑みを見せる。


「秘密!」


 そうして、少女たちは戯れるように女子寮へと駆けて行った。




 女子寮周辺まで来れば、流石に人も多い。リタも既にお嬢様モードになっており、「ごきげんよう」と周囲に挨拶をしながら、女子寮の門を潜る。


 アリサとして振る舞うリタであるが、何故か“勝手知ったる自分の家“と言わんばかりに談話室を横切って部屋に向かう様に、エリスは思わず頭痛を覚える。ラキから何を注意されたのか忘れたのか、と。


 とはいえ、この程度のことを一々気にしているようでは、リタ・アステライトの妹は務まらない。さり気なく、さも自分が案内してますとアピールするように、適度に後ろから声を掛けつつ自室へと進む。


 ああ、嫌な予感がする。多分、この人は気付いてないんだろうな。

 そうは思っても、エリスは口には出さない。今日もどうせ、感覚をシャットアウトしているのだろう。もしくは、流石に疲れたのか。


 そうして、自室の扉を開け放ったリタであったが、案の定玄関で硬直することになった。何故ならば、既に部屋には先客がいたからだ。


 姉妹の前に立つのはにこやかな笑顔の母、リィナ。その手に掲げられた紙にはこう記されている。『リタ・アステライトの休学届を正式に受理した』と。


 ガクガクと震えはじめたリタに、リィナは優しく声を掛ける。


「あら、おかえりなさい。勝手に休学を決めたようだけど、誰がサインしたのかしらねぇ。変装してまで何をしているのか教えてくれる? リタ」


 未だ姉は魔法を解いていないというのに、流石は母と言うべきか。最初から看破していたに違いない。あれこそが、母親のなせる業なのだろうか。自分もああなりたいものだ、とエリスは思う。


「んげろでずねっぷ!? るぉ!? み!?」


「あ、お姉ちゃんが壊れた」


 リタは意味不明な奇声を発すると、そのまま白目を剥いて床に倒れ伏した。そんな口から泡を吹いている金髪の少女の輪郭や髪色が、徐々に本来のものへと変わる様を眺めながら、エリスは口を開く。


「事情は話せば長くなるから。とりあえず、お茶でも淹れようか?」


「エ・リ・スぅ? どうして、そんな平然とした顔をしているの?」


 リィナの優しい声色は、まるで背中に突き付けられた氷の刃のようであった。湧き上がる怖気に、エリスの口からは間抜けな声が漏れる。


「えっ」


「馬鹿な姉を止めるのは双子の妹であるあなたの責務だと、前にも話したと思うんだけど?」


 じりじりと距離を詰めるように歩み寄る母から、本能的に身体が後退しようとするも、既に背は扉に密着している状況だ。


「ちょっと待って! 一応理由はあるし、そもそも私は――」


「正座」


「はい」




 場所をアステライト邸に移し、深夜まで続いた説教に、リタは自らの行動を多いに反省することになった。こうして姉妹は、大切な誰かを騙すということの代償がいかに大きなものであるのか、その身に深く刻んだのである。


 取り返しのつかない過ちを犯す前に知れてよかった。

 いつしか、そう感謝する日も来るのかもしれない。


「でもさ、美少女のお尻を凶悪なお仕置き棒でぶっ叩くのは、絵面も最悪だし流石にやり過ぎじゃね? 割とマジで」


 ――――リタ・アステライトが、三度目の気絶の前に遺した言葉である。

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