その作戦の名は

 自室に転移したリタを出迎えたのは、驚いた顔のキリカと、呆れ顔のエリスであった。どうやら、今夜の外出も妹にはバレていたようだ。前回、観測者と会った夜のように、キリカを呼んでいたのだろう。


 とはいえ、今は好都合だ。数日前に、色々あって気まずかったことも忘れ、リタは早速思いついたアイディアを話すべくキリカに駆け寄った。だが、魔法を解除していなかったのを忘れていた。


 ――その後のことは、お約束というべきだろうか。いつか思い返してみれば、これも笑い話に変わるのだろう。けれど当分は思い出したくもない、そんな夜明けをリタは迎えることになったのである。


 有耶無耶なまま、すっかりキリカと元通りになったことだけは、不幸中の幸いだった――。頬に立派な紅葉を浮かべたリタは、正座しながらそんなことを考えていたのかもしれない。




 丁度その頃、先ほどまでリタがいた地下の一室は、弛緩した空気に満たされていた。ダグラスがおどけつつ「ああ、やっぱり間違いなかった。……洞察力、知力も化け物だな、彼は」と言えば、ロゼッタは肩をすくめながらソファに背を投げ出す。


「疲れさせる奴だよ、全く。あれも、わざとなのか? とりあえず、後は奴の出方次第だが……。そういえば、団長にも伝えたんだろう? 聖女の話は」


「一応、ね」


 ダグラスの表情から容易に様子を予想できたロゼッタは、労いの言葉を掛けつつ、空になった彼のグラスに酒を注ぐ。


「いやはや、団長も困ったもんだよ。聖女のことを聞いた途端、セレスト皇国に行くとか言い出すからさ。何とか言いくるめておいたけど、いつまで大人しくしてくれることか……」


「そうか。――彼女は、元気だったか?」


「まあまあじゃないかな? もう、あの日から三百五十年も経ったんだ。だからたまには、会いに行ってあげてくれよ、頼むからさ。副長のこと、ロゼッタちゃんが気に病む必要なんて無いんだから」


「…………善処しよう」


 目を逸らしながらそう言ったロゼッタに、ダグラスはふっと笑みを返すと、傍に置いていた上着に袖を通した。そろそろいい時間には違いないと、ロゼッタも薄手の外套を手に取る。そんなダグラスだが、何かに気付いたような顔で上着のポケットから数枚の金貨を取り出した。


 そしてダグラスは、笑いながら「次は僕たちが奢ってやらないとな」と、それをテーブルに置く。きっと、ジ・エンドが忍ばせて帰ったのであろう。ロゼッタもその言葉に頷くと、それぞれのグラスに最後の酒を注いだ。


「折角だ。もう一回、乾杯しようか」


「そうだな」


 そしてダグラスがグラスを持ち上げたのを合図に、ロゼッタも倣うように自らのグラスを掲げる。


「先に逝った皆と、僕たちの誓いに。ついでに、泣き虫ロゼッタちゃんの成長にも、ね」


「――チッ。我らが誓いと、貴様を除いた皆の献身に」


 そう言って二人は軽くグラスをぶつけると、同時に酒を煽る。そしてグラスがテーブルに置かれた音を最後に、誰の声も聞こえなくなった。




 翌日の放課後、もう一度キリカとエリスを自室に集めたリタは、昨夜は話せなかったロゼッタから聞いた聖女の話を共有した。複雑な表情のキリカを強く抱きしめ、そんな様子に妹から小言を食らうも、ここまでは予想の範疇だ。


 さぁ、ここからが本題だ――。リタは意気揚々と計画を二人に話す。そう、その驚いた顔が見たかったんだと、だらしない笑みを浮かべながら概要を説明したリタであったが、話が進むにつれて二人の表情は引き攣っていく。


(うーん? 何か反応薄いんだけど、どうしたんだろ。もしかして、私が天才過ぎて、二人じゃ理解しきれないとか? ……いや、自分で言ってて悲しくなるけど、それはない)


 そんなことを考えながら、二人の反応を伺うリタ。脳内での事前シミュレーションでは、二人は「すごーい! 天才!」と言いながら、拍手を送ってくれる可能性も微かに存在していたのだが……。そんな期待の眼差しを向けるリタを見かねてか、エリスがおずおずと口を開く。


「ねぇ、お姉ちゃん……。頭、大丈夫?」


「誠に遺憾である」


 呆れ顔の二人から、壮絶なダメ出しを食らうことになったリタは、涙目で天井を見上げることしか出来なかった。




 結局のところ、計画は大幅な修正を余儀なくされたが、根本はリタ発案のものでいくことになった。エリス曰く「まさか向こうも、本物がこんなに馬――じゃなかった、突拍子もないことをする人だとは想像できないんじゃないかな」ということだ。


 ――エリスよ。今、姉のことを馬鹿と言おうとしなかったか? そんな言葉は飲み込んだリタは立ち上がると、腰に手を当てて二人を見据える。


「それでは諸君、『俺が聖女でお前も聖女作戦』改め、『みんな心はお姫様作戦』の開始を宣言する!」


「もう少し、いい名前は無かったのかしら?」


 半目のキリカを苦笑いで躱したリタは、そのまま二人と別れ、早速冒険者組合に出向くことにした。その手には、数か月前から机で眠っていた、クロードの書いたオルゼとミーチェに宛てた手紙がある。アンバーとの一件で使わなかったのだ、有効活用するしかないだろう。




 冒険者組合にて、リタに告げられたのは、オルゼとミーチェは相変わらず不在ということだった。しかし、それも織り込み済みである。二人の冒険者に言伝を依頼したリタは、更にその足でマルクティ商会に向かう。通信の魔道具の解析がてら、今後の商談と情報収集も兼ねて、である。


 因みに、リタ発案の夏用の下着は、損益分岐点を優に超え、着々と利益を積み上げているらしい。詳しい数字は把握していないが、一応商売に関してはパウロのことを信頼しているリタである。問題が起きることは、まずないと思われる。


 以前相談していた冬用下着の方はまだ着手できていないが、既に下着の生産ラインは確立しつつあるし、この調子なら売れるに違いない。


 そんな景気のいい話だけが出来れば良かったのだが、中々そうもいかない。通信の魔道具のサンプルを受け取り、礼を言ったリタは商会長のパウロにいくつかの情報集を依頼し、この日は帰途についたのであった。




 そして翌日、放課後を迎えた校舎裏に、とある男女の姿があった。


「おいリタ? こんな所に呼び出してどうしたんだ?」


 女生徒に人気のない所に呼び出されれば、少しは期待してしまうのが年頃の少年というもの。しかしながら、少なくともアレクは、悪い予感だけを抱きながらこの場に来ていた。


 そんな不安げな顔のアレクに、リタは神妙な面持ちで口を開く。


「ね、アレク? ちょーっとだけ、お願いを聞いて欲しいな、なんて」


「……怖いから嫌だ」


「あのさ、こっちは真面目に話してんの!」


「真面目な顔だから怖いんだって!! 次は何をするつもり!? あ、待って! やっぱ聞きたくない! 俺を巻き込まないで、お願いッ!!」


 ……相変わらずうるさい奴だ。とはいえ、なんだかんだと言っても、同い年の男子生徒では一番気楽に接することのできる相手だと、リタは思っている。


 前世では叶わなかった、男同士のさっぱりとした友情みたいな憧れを投影しているのかもしれない。今の自分の性別は置いておいて。


 だからこそ、だろうか。話を聞くだけなのだが、なんとなく真面目に頼み事をするのが気恥ずかしいという気持ちも多少ある。


 リタはそんな気持ちを誤魔化すように「まあまあ、今度お菓子でも作るからさ。話聞いてよ」と言いながらアレクの背中を叩いた。


「ごっふァ! いや、その……、俺も入学の時に普通に接して欲しいとは言ったよ? でもね、王族を平気でパカパカひっぱたいてるの、お前だけなの! 百歩譲って、それはいいとしても、力が強すぎんの! 皆に言われない? お前ゴリラ系魔獣の変異種かよって。手加減とか、分かる? 分かんないよね! お前アホだし! ハァ!?」


 全力で馬鹿にした顔でまくしたてるアレクを、拳を握る仕草で真顔に戻したリタは笑みを浮かべてアレクに告げる。


「とりあえず、先に本題を話すね。アレクも王宮でさ、色々な噂とか聞く機会があるでしょ? どっかの大貴族の弱みになりそうなこととか、知ってたら教えてくれないかな?」


「は?」


 リタの問いは予想していなかったのか、アレクはぽかんと口を開けて固まってしまった。確かに、いきなり過ぎたかもしれない。


 そして、もう少し詳しく話そうと、リタが口を開こうとした時であった。アレクが少し恥ずかし気に目を逸らしながら、言いにくそうに口を開く。


「なぁ、リタ……。えっと、こういうこと言うのも正直恥ずかしいんだが、一応俺たち友達だし、な? はっきりと言いにくいのかもしれんが、金くらい貸すぞ? 幾らだ? あんまり俺も沢山は持ってないが――――」


 そう言いながら、早速立派な皮の鞄から白金貨を取り出そうとするアレクに、思わずリタは吹き出してしまう。アレクの鞄を漁る手を掴んだリタは、半目で口を開く。


「いや、お金には困ってないから。……でも、ありがとね」


「ち、近いって」


 少しだけ照れたように笑う少女の横顔に、アレクはただ、小さな声でそう返すことしかできない。


「ま、もし何か聞いたら教えてよ。悪いようにはしないからさ」


「絶対に、嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 そう言い切るや否や、リタの手を振り払い、校庭の方に全力疾走で逃げて行くアレク。彼にはきっと、気恥ずかしさを振り切りたいという気持ちもあったのかもしれない。


 とはいえ、全力で叫びながら走る王族と、それを見送るリタに注目が集まらない訳もない。とりあえず、進捗は無かったが、話は終わったからいいだろうと、リタは早々に退散を決めた。


 リタはそのまま、ゆっくりとした足取りで自室に戻る。エルファスティアまでの移動時間を考えると、あまり時間の余裕はない。だが、キリカとエリスも動いている以上、きっと何か進展があるはずだ。


 そして、実際にそれは正しかった。彼女たちが持ち帰ってきた情報に、リタは満面の笑みを浮かべることになったのであった。

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