亡霊たちの宴 2

「……美味いな」


 空になったグラスを置いたリタは、思わずそう口に出した。確かに、喉に違和感はあるし、後味には前世では苦手だったアルコールの香りもある。だが、それ以上に素直に美味しいと思えたのだ。


 そんなリタの様子に、さも当然だといった様子で鼻を鳴らすロゼッタと、何やら難しい顔をしているダグラス。微妙な無言の中、リタは身体の奥底が熱をもったような感覚を覚えていた。


(この身体だと、飲めなくはなさそうだけど、初めてだし今夜はこれ以上はやめとこっと。多分、ちょっとくらい酔っても魔術か魔法でどうにか出来そうだけど、それは流石に無粋すぎるもんね)


「それで? 次はお二人のことを聞いても?」


 そういえば、ダグラスとロゼッタのことをちゃんと聞いてなかったなと思ったリタは、次の話題を振ることに決めたのであった。




 ダグラス・マインレルゼの脳内では、先ほどのジ・エンドの言葉がリフレインしていた。目の前の少年は、確かに『真理の魔眼』と口に出したのだ。そして今、わざとらしい笑みを浮かべて自分とロゼッタのことを聞こうとしている。


 ――――間違いない。彼はこちらの正体に気付いている。だが、恐らく自分たちが何をしようとしているかには気付いていないはずだ。もしくは、が正解か。


「本当は、気付いているんじゃないか? 君なら、ね」


 ダグラスの言葉に、ジ・エンドは肩をすくめるだけだ。……やはり、か。現時点で、自分たちには匂わせつつも、彼は正体を隠すというのだ。少なくとも今は、その意図を汲まざるを得ないだろう。


 実際のところ、リタは相変わらずダグラスのことはロゼッタの恋人であり協力者程度と認識していた。だが、幸か不幸か互いの認識の齟齬を埋める機会は、この夜には訪れなかったのである。


 それから暫くの間、ダグラスとリタは勿体ぶった上辺だけの会話を続けた。ロゼッタは黙々と酒をあおり続けており、既にその頬は、照明の陰でもはっきりと分かるほどに赤い。


 そして、話題を欠いたダグラスが、冗談交じりに「飲み過ぎじゃないか?」とロゼッタに声を掛けた時のことであった。今まで沈黙を貫いていたロゼッタが、急にくつくつと笑い出したのだ。


「……貴様ら、いつまで茶番を続けるつもりだ?」


 ロゼッタの言葉に、丁度眠くなっていたリタは思わず眉間に皺を寄せてしまう。そしてすぐに後悔する。これじゃ、まるで子供の反応だった、と。案の定、ロゼッタはそんなリタに、妖艶な大人の笑みを向けながら続けた。


「そんな話を続けていても退屈だろう? 我が面白い話をしてやろうじゃないか。知っているか、少年? 統一教会の聖女のことを」


「そうだな、先日降臨したという話だけは聞いているが?」


「それだけか?」


 リタはロゼッタの問いに小さく頷いた。そしてロゼッタは、その様子に満足げな笑みを浮かべる。


 ……何だ? 彼女は何を知っている? 統一教会に、聖女。これから色々調べようと思っていた相手ではあるが、わざわざこの場でロゼッタが口に出すほどのことだ。いい予感がする訳がない。


「ところで少年。貴様とて、あの有名なおとぎ話は知っているだろう?」


「ああ、勿論だとも」


 こちらを見ながら、笑いを堪えるように話すロゼッタは視線を細めていく。リタはただ、動揺した様子を見せないように落ち着いた声色で答えるだけだ。


 そして、勿体ぶるように数呼吸の間を空けたロゼッタは、こう発した。


「統一教会を通じて、聖女が全世界へ向けて声明を出したんだが、その内容が傑作でな――『聖女ソフィア・イルミ・ロズウェンタールこそが、おとぎ話に語られる姫君の生まれ変わりである。今こそ、盟約に従い再会が果たされんことを願う』だと。ご丁寧に、今後の行動予定まで公開してな」


「…………成程、それは確かに面白い」


 どうにか笑みを浮かべることに成功したリタであったが、その言葉が衝撃的であったことには違いない。机の下では、ひたすらに強く拳を握りしめていた。それと同時に、脳内にいくつもの可能性を思い浮かべる。


 十中八九、これは誘いだろうと思う。

 だがしかし、本当に聖女の言は嘘なのだろうか。


 キリカが、リタの認識しているノエルであることは間違いない。それだけは、絶対だと確信している。だが、だからと言って、それだけが真実とは限らないのだ。


 リタはノルエルタージュの端末が一体しかいないとは聞いていなかったし、何らかの別の要因が絡んでいる可能性もある。例えばそう、観測者が蒔いた種か、はたまた別の因果の彼女か――。


 だからこそ、リタは必ず聖女と相まみえることになるだろう。その邂逅に、僅かでもキリカとの未来に繋がる何かが存在している可能性があるのならば。それは、リタにとっての最優先事項なのだから。


 そんなリタに、ロゼッタは更に笑みを深めながら口を開いた。


「因みに、次に聖女が公の場に姿を現すのは、銀の月の十四日。エルファスティア共和連合の首都郊外で実施される、学院対抗の交流戦術大会とのことだ。……賓客ではなく、編入した学院の選手として、だそうだ。――な? 面白いだろう?」


「違いない。聞かせてくれたこと、感謝する」


 してやられた! 不敵な笑みを浮かべるロゼッタに頷きながらも、リタは心の中では舌打ちしていた。先日、学院長室でロゼッタが言っていたのは、これのことだったのだ。


(この後の私の行動で見極めるつもりなんでしょ、どうせ。ま、それは今更だし、正直どうでもいいんだけど……。それしても、聖女、か――――)


 大きく息を吐いたリタは、今夜は潮時かと立ち上がる。これ以上の長居は無用だ。今すぐにでも準備を始めなければならない。


「我も教職者だ。もう一つ、ついでに教えといてやろう。件の戦術大会の後、聖女は暫く諸国漫遊の旅に出るらしいが、そっちの日程は非公開だそうだ。機会を逃すなよ? それとも、早速迎えに行くか? ジ・エンド」


「はて、何のことだか」


 そのままロゼッタとリタは、互いから目を逸らさずに不敵に笑い合った。




 酒場を出て、半刻ほど経っただろうか。リタは、火照った頬を冷ますように、冷たい夜風を全身に感じながら、王都上空に浮いていた。誰もいない王都の夜空を独り占めしながら、物思いに耽る。


 間違いなく、誰かが何かを始めようとしている。それは、最近感じていた違和感の正体なのだろうか? 分からない。分からないが、警戒を怠ることが許されないことは確かだ。


 そもそも、聖女という存在について、リタが知っていることは少ない。今分かっていることは、同い年の少女で、“神の奇跡を体現せし者”と呼ばれていることくらいだ。


 きっと、アニメで見た聖女のように清楚で立派な女の子なんだろうと、リタは思っていた。回復魔術なんかが得意なのかもしれない、と。


 敵か、味方か。それとも、全く別の? ……情報が少なすぎる。リタはただ歯噛みするしかない。


 そもそも、あの声明でさえ、本人が発したものかどうか分からないのだ。統一教会の傀儡の可能性もあるし、偽の情報の可能性だってある。


 より鮮度が高く、確かな情報を入手する手段を確立させなければ、今後も後手に回ってしまうだろう。リタは思わず舌打ちしてしまう。


「ああもう! 全く、どいつもこいつも……。私は考えるのは苦手なのにぃぃぃぃぃぃ!」


 誰にも聞かれないことをいいことに、リタは夜空にそう叫ぶ。敵ならば、こちらをおびき寄せるための嘘であれば、簡単なのだ。ただ、大切な彼女の名を騙ったことを、後悔させてやればいい。


 だが、ここでリタの脳裏に、彼女にとっては名案だと思える案が浮上した。


「あ、いいこと思いついちゃったかも!」


 誰が仕組んだことなのか知らないが、どうにも気に食わないし、気持ちが悪い。ついでに言えば、考えるのも、こそこそするのも性に合わない。だったら、思いっきり引っ掻き回してやろうじゃないか。


 前提条件をぶち壊しにしてやれば、誰かが尻尾を見せるはずだ。そして、そこから先は、きっと自分の得意分野。


「くふふ、やっぱ私って天才じゃん? 成長して片鱗見せてきた感じ?」


 そうと決まれば善は急げだ。今すぐにでも、この計画をキリカとエリスに話したくて仕方が無い。そうしてリタは、顔面を覆う魔法を解除することも忘れて自室へと転移したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る