亡霊たちの宴 1

 時刻は深夜。ロゼッタ・ウォルト・メルカヴァルは、人気のない王都郊外の墓地にいた。目の前には、まだ新しい花が供えられた小さな墓。そこには、先日捕縛した魔人の女の息子の名が刻まれている。


「――因果なものだな」


「あの事件の時と、同じだって思ってるのかい?」


 後ろから聞こえる男の声に、ロゼッタは振り返らずに頷いた。ダルヴァン帝国特有の術式と、魔人因子――。それは数年前に王都で起きた、忌々しい魔人がらみの事件との共通点である。


 当時は、丁度両国の示威的な軍事演習により、緊張が高まっていた時期だった。とある組織の関与が疑われていたが、真相は闇の中。最終的には、使用された術式と世相から、帝国の工作員の仕業だと結論付けられた事件だ。


 無言で思案に耽るロゼッタに、声の主ダグラスはわざとらしい咳払いをすると、そのまま気配を消した。きっと気を遣って、先に向かったのだろう。


「……また来る」


 例え数百年の時を生きようと、自らが殺した生徒に掛ける言葉は持ち合わせていない。ロゼッタは、静かに目を閉じて祈りを捧げると、ダグラスの待つ場所へ向けて転移した。




 農耕地区の奥まった場所にある酒場を前に、「ここも久しぶりだ」とロゼッタは呟いた。小汚い店の看板の前で、パイプを咥えていたダグラスは灰を落としつつその言葉に頷く。


 王都では有名人であるロゼッタと、久しぶりに綺麗に髭を剃り、髪を纏めたダグラスのような、小綺麗な格好をした人間が訪れることなど、まるで想定していないような店構えである。だが、無論わざわざこの店に足を運ぶのは、理由があってのことだ。


 既に人の姿は疎らで、間もなく閉店を迎えるであろうことが容易に想像できる店内に足を踏み入れたロゼッタは、カウンターでグラスを磨く女性に声を掛ける。


「ネイファ、邪魔するぞ」


「おっと、珍しい! お二人さんいらっしゃい。久しぶりだね? 奥の部屋へどうぞ」


 ネイファと呼ばれた女性は、薄暗い照明とは不釣り合いな明るい声で二人を促す。酔っぱらいが「この店に個室なんてあったか?」などと言っている声がロゼッタの耳に入るも、どうせ明日には忘れているだろうと受け流す。


「とりあえず、いつものを二杯頼むよ」


 二本指を立てて笑みを浮かべるダグラスの声に、ネイファが返事を返すより早くロゼッタは口を開いた。


「いや、もらおう」


 そんなロゼッタの言葉に、ダグラスも思わず笑みを深める。二人の様子に肩をすくめるネイファが投げ渡した鍵を受け取った二人は、カウンターの奥へ進むと、地下へと続く階段を下りて行く。


 その階段の壁はまるで強引に地面をくりぬいたかのような粗雑さであるが、足元はしっかりと固められている。照明も無い暗闇をものともせず階段を下りた二人は、地上の店の様子からは想像も出来ない立派な扉の前に立った。


 ロゼッタの目配せに頷いたダグラスが、鍵を開けその重厚な扉をゆっくりと開く。そして、同時に灯る照明の光が照らしだしたのは、高級感のある内装と奥に佇む人の形を成した漆黒。


「――――ジ・エンド」


 部屋の奥に視線を向けたダグラスが思わず漏らしたのは、常闇の執行者を自称する少年の名であった。


 一番奥の最も立派な椅子に腰掛け、足を組む黒服の男に、ロゼッタは苦笑いを漏らした。深く被ったフードの奥は、相変わらず闇が侵食したような漆黒で、照明の下でさえその素顔を伺い知ることは出来ない。


「覚えていてくれて嬉しいよ」


「招待した覚えはないが?」


 そんなロゼッタの言葉に、ジ・エンドは何かを発しようとしたが、結局口をつぐむことになった。何故ならば、お盆に載せた飲み物を運んできたネイファが扉の所で絶句していることに気付いたからだ。


 顔を見合わせたロゼッタとダグラスは、微妙な足取りでジ・エンドと同じテーブルにつくと、ネイファが作ってくれた酒を受け取った。ネイファは特に三人目の客については触れず、静かに部屋を退出する。


「……いい店だ」


 ジ・エンドの呟きに、ため息をついたロゼッタは、三つ目のグラスを渋々手渡す。予想していたから準備したとはいえ、こうも簡単にこの場に現れるとは複雑なものだ。そして、案の定きざったらしい礼を述べるジ・エンドに疲労感は増していくばかりである。


「とりあえず、乾杯しようか?」


 そんなロゼッタを見かねてか、ダグラスが明るい声で提案した。確かに、久々の酒が温くなっては仕方が無い。目の前に座る少年が、成人を迎えているのかという部分には疑問を覚えるが、少なくともそれを自分が知ることは無いだろうという予感もある。


 そうして、翡翠色の酒が注がれたグラスを掲げた三人の、不思議な宴が始まった。




 ジ・エンドこと黒服を身に纏ったリタは、微妙な空気の中、これからどうしようかと頭を抱えていた。


(勢いで来て話は聞いたけど、話題が無さすぎる! もっと色々話を聞きたいけど、上手い話の運び方が分かんない。この姿の時に余裕が無いように見られるのは嫌だし……)


 一応魔人の話は聞くには聞けたのだが、結局ラキが戦闘した女の魔人が黒幕とのことだ。だが、どこか曖昧に濁すような口ぶりだったのは、気のせいではないだろう。もしかしたら目の前の二人にとっては、因縁のある相手が関わっているかもしれないと、漠然とした考えをリタは抱く。


 とはいえ、二人からすれば自分は先日初めて会ったばかりの怪しい男だ。これ以上の情報を漏らすことはないだろう。ロゼッタとダグラス、恐らく王国の裏にも精通していそうな二人と知己を得たことは、今後役に立つ可能性がある。力ずくで聞き出して敵対することは避けたい。


 そんなことを考えながら、二人から目を逸らすように周囲を眺めるリタであったが、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出す内装や家具に思わずにやけてしまう。こんな時は、顔を隠していてよかったと思う。


(それにしても、いい部屋だなぁ。外からはまず分からないし、地下なのもポイント高い。ロマンを分かってる人が作ったでしょ、絶対。そして深夜に密談を交わしてるってシチュエーションもイイ!)


「さて、そろそろこっちが質問してもいいかい?」


 リタの思考を現実に引き戻したのは、ダグラスのそんな言葉。先日会った時とは異なり、しっかりと身だしなみを整えた彼の姿は、正にリタの思い描く大人の男性像だった。ゆっくりとグラスを傾ける姿も非常に様になっていて、何となく悔しい気持ちを抱く。


 リタはそんなダグラスの言葉に小さく頷くと、手元のグラスを見やる。まだ一滴も飲んでいない、美しい翡翠色の液体に、黄色の柑橘系の果物が添えられた酒だ。


 先に匂いを嗅いでみたが、変なものは入って無さそうだ。フルーティな香りの中に感じる、確かなアルコールの香り。度数はそれなりに高いに違いない。


 氷で酒が薄まらないよう、グラスの内部の時間を時空魔術で凍結したのはいいのだが、何となく口をつけるタイミングが掴めなかったのだ。あわせて、担任であるロゼッタの前で酒を飲むという背徳感があったのも事実。


「君は、何者だい?」


 ダグラスの問い掛けは、そんな抽象的なものであった。ロゼッタも鋭い視線を向けている。ここで『常闇の執行者』だともう一度名乗ってもいいが、彼らが欲する答えではないだろう。


「逆に聞こうか。俺が、何者であろうと、それを証明する手段などないだろう?」


 リタはそう言い切ると、被っていたフードを脱いだ。新魔法の実験がてら、驚かせてやろうと思ってのことだ。まさか、ここまで隠してきた顔を晒すとは思っていなかったのであろう。二人が目を見開いたのが分かる。


「そ、その顔は……」


 ダグラスは、思わずそんな声を漏らした。目の前にいるのは、眼帯を着けた黒髪黒目の少年。肌は白く、非常に整った顔立ちだが、どことなく遥か昔に見た異郷の青年の面影を感じさせる顔であったのだ。


(初披露だけど、反応は上々……! 今度エリスとキリカを驚かせてみようかな?)


 そんな二人の反応に、リタは心の中でほくそ笑む。あれから数日、夜な夜な秘密裏に開発した甲斐があった、と。今夜の為でもあるし、今後の情報収集や夜遊びのためでもある。


 元々これは、キリカの魔眼にヒントを得た魔法だ。自分の姿に別の概念を重ねるという設計思想で開発をスタートしたのだが、キリカのように因果同一体として存在しているわけではないのがネックであった。


 それに加えて、観測者が言うように、リタの存在は女性という因果で完全に収束しているらしい。魔眼を使用したキリカは成長した身体が実体を持っていたのに対し、リタが男性の姿の概念を重ねようとしても、肉体には幻術以上の効果は出せなかったのである。……試したのは、一応だ。深い意味はない。


 そのため、最終的には顔部分だけに作用する概念魔法という形で運用することにした。どちらにせよ、首から爪先まで漆黒の装備で覆われており、身体のラインも晒していない。今はとりあえず、これで許容範囲であろう。


 リタは、目の前で固まっている二人をよそに、手に持ったグラスを掲げた。そのグラスの中を彩る色彩に、懐かしい女性を思い出す。


(このお酒の色、何だかオリヴィアさんみたい。懐かしいなぁ。こっちの果物があの金髪で、お酒の方があの綺麗な翡翠色の瞳ってね。――あ、そういえばキリカにまだオリヴィアさんのこと言えて無いんだった。……忘れてたとか、今更言い出しづらい!)


 思い出したくないことも思い出したが、それは今度でいいだろう。微妙な空気ではあるが、今の自分に転生して初めての酒を味わうのが先決だ。


「美しい酒だ――。例えば、そう……『真理の魔眼』持ちでもこの場に居れば、俺のことを少しは暴けたかもしれないな?」


 その言葉に頬を引き攣らせたダグラスに笑みを向けたリタは、グラスの中身を一気に飲み干した。

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