絡み合う思惑
「あー。……あ゛あ゛ぁぁぁぁ」
――――夜も深まりゆく王立学院の女子寮。
アステライト姉妹の自室には、そんな声が響いていた。そして、声の合間にはまるで肉を硬いものにぶつけたような音が響く。言うまでもなく、声と音の発生源はリタ・アステライトである。
何故彼女が、こんな奇行に及んでいるかと言えば、恋人と致せなかったためだ。正確に言えば、自分が止めたのだが、それとこれとは話が別というもの。
リタにとって、
だが、止めた理由の一番は、キリカを大切にしたいという一心であった。だから、それはもうリタにとっては決死の覚悟で、どうにかこうにか理性を奮い立たせ、キリカを止めたのだ。
あの時のキリカが何を考えていたのかは、正直分からない。きっと、いくつもの感情が混じり合った果ての、発露であったのだろう。けれど、少なくとも彼女の手の震えは、緊張だけでは無かったとリタは確信していた。
リタ自身、関係を進めることへの怖さや躊躇もあったのも認めよう。もし、今よりこの関係を進めてしまえば、どこまでも溺れてしまいそうな、そんな気がしたのだ。
リタはそういったことも正直に伝えたうえで、「時間は沢山あるのだから」とキリカを諭したのだ。決して、自分たちの人生は残り五年足らずで終わることは無い。自分が終わらせないから、と。
自分で言うのもアレだが、結構カッコよかったと思っている。多少噛んでしまったり、声が上ずったり、目が泳いでいたかもしれないが、許容範囲であろう。だから、きっとキリカが半目で小さく発した「意気地なし」という言葉は、聞き間違いに決まっているのだ。
とはいえ――。そう、とはいえ、である。
「あー。でもなー。キリカの性格を考えたら、あんなこと言ってくれるのも、もう無いかもしれないし。やっぱ勿体なかったかなぁ。でも女の子同士とか、正直よく分かんないし、気絶しそうだし、恥かかずに済んでよかったような……? そういえば前世じゃ、こういう夜は人生の宝だとかなんとか聞いたけど――――」
独り言を呟きながら、リズムよくリビングのテーブルに額を打ち付けるリタの様子に、エリスは深いため息をついた。独り言の内容と、その様子から大体の理由が想像できたためだ。
昼間は色々と感情が暴走してしまったが、夕方になって冷静になったエリスは、姉を優しく迎えようと決めていた。
だが、当のリタはと言えば帰宅した途端、あの調子である。……自分は何を見せられているのだろうか。段々腹が立ってきたエリスは、そんな姉に声を掛ける。
「いい加減うるさいんだけど? そのテーブルの天板割ったら、三か月お小遣い抜きにするからね。さっさと、お風呂済ませてくれる?」
エリスの言葉に顔を上げたリタは、暫く首を傾げていたが、どうやら自分の帰寮してからの行動をようやく認識したようだ。顔を真っ赤にしながら、着替えを掴んで風呂場へと消えて行った。
「はぁ……。本当に先が思いやられる」
エリスは、頭を押さえながらそう呟くと、リタの温もりの残る椅子に背を投げだした。それは人前では決して見せない姿である。誰も見ていないというのに、そんな自分が恥ずかしくなって姿勢を正したエリスは、頬を掻きながら天井を見上げるのであった。
「遅いなぁ、お姉ちゃん」
エリスは、手持無沙汰に時計を眺めながら、そう呟いた。リタが浴室に消えて暫くの時間が経ったが、中々風呂から上がらないのだ。部屋の時計が示す時刻は、午後十時前。間もなく消灯時間を迎えようという時間帯である。
そういえば、さっき風呂に向かった時の足取りは少しおかしかったような……?
エリスは、ふと先ほどの光景を思い出す。若干内股気味だったし、表情も――。ああ、そうか。何かに納得したように頷いたエリスは、静かに立ち上がると、音を立てないように浴室へと向かった。
余談であるが、他の寮生の部屋とは異なり、姉妹の部屋の浴室の隣には立派な脱衣所がある。姉が鍵をかけないのは知っているし、例え掛けていても物理錠などエリスの前では無意味だ。
そうして、音もなく脱衣所への侵入を果たしたエリスは、脱ぎ散らかされたリタの下着と洋服を視界に収め、溜息をついた。とりあえず、今はいいだろう。エリスは、それらをまとめて洗濯物を入れるカゴに放り込むと、息を殺して浴室の様子を伺う。
(……長風呂を心配するのは妹の役目だから仕方が無いよね?)
浴室の扉には半透明の硝子がはめ込まれており、中の様子をはっきりと見ることは出来ない。とはいえ、エリスの研ぎ澄まされた聴覚は、正確に情報を拾っていた。
中々出てこないが、考え事に没頭――している訳ではないだろう。水音に混じり、微かに聞こえる姉の荒い吐息。高まる鼓動を押さえるように、胸に手を当てたエリスの頬は思わず綻ぶ。
(ちょっと可哀そうかもしれないけど、こっちが味わった気持ちのことを考えれば、これくらいの仕返しは許されるよね? それに、もう少し色々と考えて欲しいし。……無駄だとは思うけど)
そしてエリスは、浴室の扉越しに声を掛けた。
「ねぇ、手伝ってあげようか?」
「ひゃうっ!?」
途端に聞こえた悲鳴と、恐らく洗い場で盛大にひっくり返ったのであろう物音に、エリスは思わず吹き出す。相変わらず、分かりやすくて面白い人だ。
「エ、エリス!? なななな何を!? あひゃッ!? 冷た!!」
扉の向こうから聞こえる慌てた声に、エリスは扉の向こうで広がっているであろう光景を思い浮かべて笑みを深める。
「前にも、言ったでしょ? 時間が掛かってるようだし、背中でも流そうか?」
「い、いや、その……。大丈夫! ぜ、全然嫌って訳じゃ無いんだけど、また今度でお願いします!!」
強まるシャワーの水音。今頃必死になって色々と綺麗にしているのであろう。
「そう? じゃ、もう消灯時間だから早く上がってね?」
エリスは、浴室に向かってそう声を掛けると、リタの了承の返事を背中に脱衣所を後にした。今日は、これくらいにしておいてあげようと、そう思ったのだ。
脱衣所の扉を閉めるエリスの視界には、浴室にいるリタとエリスを隔てる薄い扉が映る。その厚み以上に、遥かに遠い隔たりがあるのは、知っている。
「今は
ふふ、と小さく笑みを漏らしたエリスは、珍しく鼻歌を歌いながら自分の着替えを取りに寝室へと戻るのであった。
――――同時刻、セレスト皇国のアルトリンヴル大聖堂の一室。ソファに腰掛け中世的な笑みを浮かべる少女は、美しい声で跪く男性に声を掛けた。
「――そう。やっぱり動いたね。……それで? 彼だと思うかい?」
からからと楽しそうに笑う聖女ことソフィアを前に、ジェイド・ナスタファは跪いたまま口を開く。火急で報告すべきだと思い、部屋まで馳せ参じた次第だが、やはり夜更けに部屋を訪ねるのはどうにも居心地が悪い。
「現時点では推測の域を出ませんが、恐らく。既に、“始源の魔女”らが接触した模様です」
「
「ええ勿論。
ジェイドの返答に、ソフィアは満足そうに頷いている。今日も、揺らぐランプの炎が彼女の顔に作る影は、妖艶でありつつ少し恐ろしくもあった。
「とりあえず、
「無論、つつがなく。特に王国や帝国は、目の前にあれ程の餌をぶら下げられて、動かない訳がありません。何せ、世界を変えていくであろう技術の開示ですから」
「よしよし。次も油断しないようにね?」
ソフィアはそう言いながら、ジェイドの頭を撫でた。大の男がこうして少女に頭を撫でられるのは、非常に恥ずかしい。だが、拒否するという選択肢など、最初から存在していない。
「……先日の失態の件は、大変申し訳ございません」
「あのね、ボクは謝って欲しいんじゃなくて、心配して言ってるんだよ?」
ソフィアの声色に顔を上げれば、可愛らしく頬を膨らませた彼女の顔が目の前にあった。そんな少女のような表情に、ジェイドは一瞬呆けそうになるも、どうにか頭を下げる。
ジェイドとて、ソフィアが本心から自分のことを心配しているということは分かっていた。改めて、礼を述べつつ深く首を垂れたジェイドは続ける。
「確かに、たかが学生の模擬戦闘とはいえ、元来戦術大会はある意味展覧会のようなもの。恐らく、我々の動きを怪しむ輩もいるでしょう。ですが、それでも彼らは飛びつかざるを得ない。それは間違いないかと」
「だね。それにボク達には、もう大儀名分がある。そうでしょ?」
「ええ。きっと彼の耳にも届くころでしょう」
「あぁ、楽しみで仕方が無いよ」
両手を頬に当てて、まるで恋する乙女のような笑みを浮かべるソフィアを前に、ジェイドは静かに頭を垂れるのみ。だが、握られた彼の拳には、強い覚悟が宿っていた。
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