黄昏と黄金の調べ

「――――戦術大会への出場の件、辞退させていただきます」


 リタは、ロゼッタの放つプレッシャーを跳ね除けるように、そう口に出した。恐らく、あまり心の籠っていないように感じられた長い説教は、本題の前置きでしかなかったのだろう。


 ロゼッタが説教の後、リタに要請したのは、件の学院対抗の交流戦術大会に出場することであった。


 ロゼッタは、リタの辞退の意を聞き、まるで予想していたと言わんばかりの態度で頷く。リタとて、友人たちと共に、外国の学校の同年代と武を競うことに興味がない訳ではない。寧ろ、普段だったら飛びついていたに違いないだろう。


 実際、出場することには、ロゼッタの言うように多くのメリットがある。一番のメリットは、王宮もしくは騎士団クラスの機関とのパイプが生まれるということであろう。政治的な思惑が絡み合うことが必至の大会である。細くとも、確かに縁が発生するのは間違いない。


 学院を卒業後――卒業まで在学するかは未定だが――、何を成すにしても使える可能性のある縁は、結んでおけば何かの役に立つかもしれない。


 だが、それは同時に大きなリスクであり、足枷にもなり得る。特に自分たちにとっては、色々な意味で、だ。


 そして何より、今回はあまりにも色々なタイミングが重なりすぎているのが、リタには不気味だった。確証など無いし、考えるのは苦手だ。それでもまるで、誰かの思惑で全てが進んでいるように感じられたのだ。


(これが、観測者の言ってたことならいいんだけどな……)


「クク、そうか。――だが、貴様はきっと出場することになる」


 思考に沈んでいたリタを現実に引き戻したのは、ロゼッタのそんな言葉。彼女の浮かべる不敵な笑みは、必ずそうなるという確信を抱いていた。


「えっと、どういう意味でしょう?」


「……貴様でもまだ情報は得ていないか。いや、それも演技か? まぁいい、理由はすぐに分かる」


 ロゼッタのそんな抽象的な言葉にリタは訳も分からず曖昧に頷くことしか出来ない。それにしても、以前からロゼッタが演技演技と言ってくるのは何故なんだろうか?


 首を傾げているリタを尻目に、窓の外に視線を向けながらロゼッタは口を開く。


「貴様も知っているだろうが、誰のせいか急激に世界は変化の兆しを見せている。特に、昨今の通信の魔道具などは、その最たるものだ。情報の鮮度が爆発的に上がることがもたらす影響は、流石に貴様でも分かるだろう? そういう意味で、今回は特に上が煩いのも確かにある。しかし、だ。……正直我は、心の底から貴様らには出場して欲しいと思っている」


「どうしてですか?」


 窓から射しこむ夕日に照らされるロゼッタの横顔に、リタはそんな疑問を投げかけた。


「貴様らの学年、いや学級は些かおかしな連中が集まりすぎているからな。皆に学んで欲しいのだ、世間の常識というやつを」


 ロゼッタの言葉に、リタは思わず吹き出す。


「ぷぷ。先生も大変ですね。戦術大会でどんな常識を学べと? そんなに下手な冗談で生徒を勧誘しないといけないほど、人が集まらないんですね。……あ、だからさっきのも避けられないくらい疲れてるんです?」


 そう言って、まるで私は分かってますよと言わんばかりに微笑むリタを前に、ロゼッタはただただ深いため息をつくことしか出来なかった。




 学院長室を後にしたリタは、茜色に染め上げられた貴族街を歩いていた。ご立腹の恋人が待つ、シャルロスヴェイン邸に向かうためだ。


 今頃エリスは、部屋の後片付けをしている頃だろうか。結局、幼馴染の男子二人との約束は違える形になったし、アレクとレオンにも少しだけ迷惑を掛けた。今度埋め合わせをしないといけないだろう。


「それにしても、先生の考えてることが分からない……」


 思わず独り言を口に出してしまったリタは、頬の熱さを感じながら周囲を見渡す。今日も多くの身なりのいい人々が行き交う貴族街だが、幸いにも誰かに聞かれることはなかったようだ。


 リタは歩きながら、説教が終わった後にロゼッタと話したことをずっと考えていた。けれど、どうにも現時点では、ロゼッタの言う「情報」とやらが何のことなのか分かりそうにない。


 そんなことを考えているうちに、リタは相変わらず立派なシャルロスヴェイン邸の前に到着した。何度かお邪魔しているとはいえ、この門構えを前にして緊張するなという方が無理な話だ。


 どうやら、リタが訪ねることは把握していたようで、今日も門番は慇懃な姿勢で丁寧な対応をしてくれる。そのまま門番から引き継がれた執事に案内され、リタはキリカの部屋へと向かった。




 そうして、キリカの部屋に通されたリタは、無言でふかふかのソファに腰掛けていた。何処か気まずそうな表情を見せるキリカは、使用人が運んできた茶を受け取ると、部屋の鍵を閉めた。


「キ、キリカさん……?」


 リタはその雰囲気に堪らず声を発してしまう。キリカは、リタと目を合わせることもなく、茶と菓子が乗せられたお盆をテーブルに置くと、視線を上げた。


 彼女の瞳に浮かんでいる感情は、逡巡だろうか。その表情に、リタが罪悪感を抱くより早く――。キリカは、意を決したように両手を広げると、勢いよくリタの方に飛び込んできたのだ。


「え?」


 全身に感じる、確かな重さと温かさ。リタは突然抱き着いてきたキリカに驚きつつも、しっかりと彼女を受け止めると、自分の両手を彼女の背にゆっくりと回した。


 頬を撫でる、柔らかな金髪のくすぐったさが、今はとても心地よい。柔らかな彼女の匂いが、鼻腔を通じて胸の奥を満たしていくのを感じる。


「ごめん、なさい……」


 耳元から聞こえたキリカの小さな声と共に、彼女の両腕に力が籠ったのが感じられる。リタは、そんなキリカの後頭部を優しく撫でながら、口を開いた。


「ううん。私の方こそ、ごめん。本当に、そんなつもりはなかったんだ。でも、配慮が足りなかったかもしれない。君を傷つけたくないって、思ってたのに――」


「いいのよ。ラキさんから、ちゃんと事情は聞いたから。私の、その……、早とちりだったわ」


 その声色に込められた感情を計りかねたリタは、キリカの表情を伺うべく腕を緩めるも、彼女の力は強まるばかりだ。


「えっと、キリカ……?」


「今は、顔を見られたくない。……恥ずかしくて、堪らないわ。ラキさんからも変な顔されるし……」


 そんなキリカの言葉に、リタは思わず頬を緩めると、熱をもった彼女の首筋に顔を埋めた。


「やっぱり、君に心配させてしまったのは事実だからさ、謝るよ。確かに、その……見たのは、うん。本当だから。ごめん、キリカ。でもね、前も言ったけど、君がそんな風に思ってくれることは、正直凄く嬉しい」


「……ばか。それは卑怯よ。いつも私ばっかり、こんな風に――」


 尻すぼみになっていくキリカの言葉。そんな言葉が、少し冷たい部屋の空気に溶ける前に、リタは両手に力を込めて上半身を離した。そして、真っ赤になっている彼女の首筋に口づける。


 本当は、普通にキスをしたかったのだが、現在キリカはソファに座るリタの太ももの上に乗っている格好である。単純に、キリカがこっちを向いてくれないと、身長が足りないのだ。


 真っ赤な顔で視線を背けるキリカが、どうしようもなく愛おしい。だから、正直に話したいと、リタは思ったのだ。


「ねぇ、キリカ? 私だって、恥ずかしいけど、嫉妬したりもするんだよ? これまでだって、何度も、何度も、ね。どうしても、君の前じゃカッコつけちゃって、そんな事言えないだけでさ」


 そんなリタに視線を向けたキリカであったが、すぐにお互いに目を逸らしてしまう。リタは、自身の鼓動の速さや頬の熱さを、嫌というほど自覚していたし、きっと彼女も同じだろうと思う。


 そうして、若干の沈黙を挟んだ二人であったが、ふとしたタイミングで目が合ってしまい、思わず同時に吹き出した。ああ、まだまだこの関係には、慣れそうにない。そんなことを考えていたリタの頬に、キリカの指先が添えられる。


 その手に自分の手を重ねつつ顔を上げれば、瞼を閉じたキリカの美しい顔があった。リタは思わず、呼吸も忘れて見入ってしまう。


 閉じられた瞼から覗く長い睫毛も、すっと通る鼻筋も、薄いが柔らかい唇も、普段は透き通るように白い素肌が上気する様も、今は自分が独占している。


 こんなにも、幸せでいいのだろうか。

 自分勝手で、この世界にとっての異物である、自分自身が。


 もう何度目か分からない自問自答が、脳裏を過ぎる。だが、その答えをリタはもう知っていた。


 だからこそ、なんだ。

 私にしか出来ないことを、必ず成し遂げなくちゃいけない。


 誰よりも綺麗で、可愛くて、素敵な君が私を好きでいてくれるんだ。そりゃ、世界の一つや二つくらい、救ってみせないと、釣り合わないよね。


 そして、いつか、その先で。

 私や、アルトリシアが、……もしくはマザーが歪めてしまったかもしれない何かを、この世界に――――。



 それは、一瞬にも永遠にも感じられる時間。リタはキリカに見惚れつつ、物思いに耽っていた。そんなリタを現実に引き戻したのは、キリカの白い指が催促するように頬を撫でる感触だった。


 まだまだ眺めていたい表情だが、あまり待たせるのは悪いだろう。


「好きだよ、キリカ」


 リタはそう告げると、キリカが頭から煙を上げる前に、そっと唇を重ねた。その感触は、とても久しぶりに感じたが、実際には数日程度のことである。瞳を開ければ、真紅の瞳と目が合う。


「私も」


 その先を、ちゃんと聞きたかったと思うのは、贅沢だろうか。それでも、彼女のはにかんだ笑みが、何よりも雄弁にその意味を物語っていて――。二人は、徐々に沈んでいく夕日が窓枠の下に消えてゆくまで、お互いの想いを静かに確かめ合った。




 すっかり暗くなってしまった部屋で、リタはキリカを見上げていた。どれくらいの時間が経ったのかは分からないが、少なくとも足が痺れる程の時間であったのは確かだ。


 けれど今は、未だに自分の膝の上に乗る彼女の重さが、何よりも心地よかった。そんな、心が満たされた感覚と、公爵令嬢をこんな遅くまで拘束してしまった罪悪感を同時に覚えたリタは、おずおずと口を開く。


「もう暗くなっちゃったね。キリカも、ご飯とか――」


 リタの言葉を遮ったのは、唇に押し当てられた、キリカの人差し指であった。


「……最近、西の方が少し騒がしいみたいで、お父様は遅くなるらしいの。それに、その……。暫く、この部屋には誰も近寄るなって言ってあるから」


 小さな声で、目を逸らしながら話すキリカの態度に、リタの鼓動は急に高鳴っていく。これ以上は、死ぬんじゃないかと思うほどに、胸が痛い。


「ねぇ、リタ。正直に答えて。……ラキさんの裸は、綺麗だった?」


 リタの首筋をなぞるキリカの白い指は、まるで突き付けられた銃口のようにも感じた。けれど、どうやら怒っているわけではないようで、キリカの口元は緩んでいる。リタは、目を逸らしながら口を開く。


「えっと、正直に言うと、うん……」


「ふーん?」


 わざとらしく拗ねたような仕草を見せるキリカは、とても魅力的だった。とはいえ、先ほどから鼓動が煩くてかなわない。リタは、沈黙に耐えかねて彼女の名を呼んだ。


「キリカ?」


「……きっと、初めてリュミール湖のほとりで出逢ったあの日から、何もかもが決まってた気がするの。あの日から、ずっとずっと、貴方は私にとって特別だった。そして、日に日に、もっともっと特別になっていく。だから私は、貴方が好きだと言ってくれる限り、もう貴方の傍を離れられそうにない。――例えリタが、女の子が大好きで、節操のない人だったとしても、ね?」


「あ、いや、それは……」


「ふふ、ごめんなさい。意地悪だったわね?」


 そう言ってキリカは少し緊張した表情で笑うと、震える指先で自らの服に手を掛けた。はだけていく胸元から覗く白い素肌と鎖骨が艶めかしい。見てはいけないものを見ているような罪悪感がリタを苛む。


 彼女を止めなければいけないと、リタは思った。自分のせいもあるのだろう。もしくは、残された時間の短さを知ってしまったことも関係があるのかもしれない。


 だがリタは、目の前の光景を前に、身動き一つ取れなくなっていたのだ。そんなリタの額に口づけたキリカは、一方的に続ける。


「私って、意外と嫉妬深いらしいの。だから、その……。はしたないって思うかもしれないけれど、やっぱり、一番でいたいし、ずっと私を見て欲しい」


 そして、思わず息を吞んだリタの耳元でキリカは囁く。


「ねぇ、リタ? 私の裸、見たい――――?」

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