取り戻したもの 4
「あいたたた……」
リタ・アステライトは、苦悶の声を上げながら上体を起こした。状況が掴めないが、何か柔らかいものに覆いかぶさって倒れていたようだ。
そう言えば、先ほどまでは、友人たちと追いかけっこをしていたはずで……。うん? ってことは、私が覆いかぶさっている人物は……?
リタは、自身の涙目が映していた滲んだ視界がクリアになるにつれて、頬を引き攣らせていく。目の前には、倒れ伏すダークエルフ。
美しかった顔面は陥没し、乱れた髪は砂まみれ。その両手は力なく投げ出されていた。そんな、殺人事件現場さながらの光景に、リタは現実逃避を始める。
(いやいや、そもそも先生が避けられない訳ないし。……私は、気を抜いてたけども。そ、それに! あんな、「へぶっ!?」とかいう悲鳴を先生が上げる訳もないし、これは夢だよね、うん! 間違いない!)
「はぁ……、夢かぁ。良かったー」
だが、しかし――。いくら目を擦っても、状況は変わらなければ、頭部の痛みもまたこれが現実であると強く訴えかけてきているのだ。思わず本音が口をつく。
「……ヤバくね?」
誰かの靴音を聞いた気がして、リタは恐る恐る後ろを振り返る。するとそこには、いつの間にか武装を解除し、忍び足で退散しようとしている友人たちの姿があった。
「ちょっ!?」
だが、リタの声がそれ以上続くことは無かった。小さなロゼッタの呻き声が聞こえたからだ。ロゼッタの上から即座に飛びのいたリタは、回復魔術でロゼッタを治療する。そして、ロゼッタの横に屈むと、その手を取った。
「あ、あの~。先生? だ、大丈夫ですか?」
ロゼッタはゆっくりと目を開けると、リタの手を取って無言で立ち上がった。リタが横目で振り返れば、友人たちも固まっているようだ。そうしてロゼッタは、髪の毛と服についていた砂を払い、引き攣った笑みをリタに向けた。
「また、貴様なのか?」
「えっと……、『また』が何を指しているかは分かりかねますが……。私というか、私
リタはそう言うと、後ろを振り返った。確かに、ロゼッタと衝突したのは自分だが、そもそもの事の発端はラキだ。ついでに言えば、キリカとエリスが追いかけて来なければ、そもそもぶつからなかったし、ラルゴとミハイルがこっちに曲がらなかったら……。などと考えたリタは、友人たちを問答無用で巻き込むことにしたのだ。
案の定、友人たちの抗議の視線がリタに突き刺さるも、リタは苦笑いで流した。きっと、先生も休日だしここにいる全員が悪ければ、長時間説教したりはしないだろう。リタは、この時点ではそんな甘い考えを抱いていた。
「俺たちだけ、完全にとばっちりじゃね……?」
アレクの小さな呟きと、それに頷くレオンの顔を直視できなかったリタは、小さく手を挙げて謝るとロゼッタの方を向き直る。ロゼッタはただ黙って、真っすぐにリタの方を見ていた。
「先生……? えっと、先に謝っておきますね? 大変申し訳ございませんでした」
視線の圧力に耐えきれなかったリタは、そう言い切ると思い切り頭を下げた。学院では“狂犬”と呼ばれている彼女でも、流石に謝罪は出来るのだ。
こういうのは、先に謝った方が勝ちだもんね。と、そんな打算があったのは確かであるが。そうして、十分に頭を下げただろうと思ったリタは、顔を上げると口を開いた。
「――ということで、休日ですし先生もゆっくりしたいですよね。帰っても?」
リタのそんな言葉に、ロゼッタは大きく息を吐くと、不気味な笑みを浮かべた。非常に不安になる表情である。何だか、私の周りの女性陣って笑顔が怖い人が多いなと、リタはどうでもいいことを考えていた。
「……クックック。いいだろう。貴様ら、今日の所は不問にしといてやる。解散だ」
「ほへ?」
リタの口をついたのは、そんな間抜けな声であった。まさか、本当に不問だとは。だが、そんな考えを抱くには、あまりにも早計であったと言えるだろう。ロゼッタの言葉は、まだ続いていたのだから。
「――ただし、リタ・アステライト、貴様は残れ。丁度、色々と話を聞かねばならないと思っていたからな。今から学院長室に行くぞ、ついてこい」
「ですよね~」
がっくりと肩を落とすリタに、友人たちは複雑な表情を向けていた。ロゼッタの話の内容に先日の騒動の件を含むのであれば、自分たちにも責任の一端があると考えていたからだ。
そんな彼らの表情の意味をロゼッタは正確に理解していた。だから彼女は、誰かが口を開く前にあえて、呆れたような演技を見せながら「友人想いなのは結構だが、こやつの場合は余罪が呆れかえるほどあるのでな」と口に出す。
そう言ってしまえば、彼らの表情は苦笑いに変わり、雰囲気は予想通り柔らかくなるというもの。とはいえ、訳知り顔でこちらを見ながら微笑む弟子には、そんな思惑も筒抜けのようだが。
……相変わらず生意気な奴だ。ロゼッタは軽く息を吐くと、そんなエリスに声を掛けた。
「姉を借りていくぞ」
「どうぞ、ごゆっくり」
ロゼッタの問い掛けに対し、柔らかな笑顔で答えたエリス。その言葉の言外に込められた刺々しいものを感じ取ったリタは思わずため息をついた。
(というか、そもそもなんでエリスが怒ってんだろ……? うーん。迷惑かけたとか、ラキが風邪曳いたら大変とか、そんな感じなのかな)
相変わらず見当違いなことを考えていたリタであったが、キリカから念話が届いたことで、その肩を震わせることになる。
『先生との話が終わったら、私とも話す時間を作ってくれるわよね?』
視線を向けた先のキリカは、誰もが美しいと讃えるであろう微笑みを浮かべている。
『アッハイ』
そんな彼女に、リタはただ震えながら了承の意を返すことしか出来なかった。
それから暫くの後、リタは学院長室にてテーブルを挟んでロゼッタと向き合っていた。夏季休暇前に、ここで追試らしきものを受けたあの日ぶりである。相変わらず圧迫感のある内装と相まって、非常に居心地の悪い空気が部屋を満たしていた。
「それで、リタ・アステライトよ。ここに呼ばれた理由は分かっているな?」
ロゼッタの問い掛けに、リタはおずおずと口を開く。
「えっと、一昨日の夜の件、ですよね?」
「それもあるな。先にその件を話そう」
……それ『も』? リタは思わず吐き出しそうになった溜息を飲み込むと、小さく頷いた。そんなリタの様子に苦笑いを浮かべながら、ロゼッタはありきたりな説教を始めた。
四半刻程度だろうか。あまり心が籠っていないように感じるロゼッタの説教を聞き流しながら、リタは今日呼ばれた理由は他にあるのだと確信していた。
(うーん。他に何か説教されそうなこと、あったっけ……? 細かい事を入れたら、数えきれない程あるけど。流石に、バレてない……よね?)
とりとめのない思考に沈んでいたリタが顔を上げれば、ロゼッタが自ら淹れた紅茶で喉を潤している場面であった。とりあえず、一昨日の件の説教は終わったようだ。
危ない真似はするな、門限は守れ。――今の話を要約するとこうだ。
正直、一番気になるのは魔人の件なのだが、ロゼッタがその話に触れることは無かった。やはり後日、あの黒服を纏って話を聞きに行かねばなるまい。
「さて……。他に説教される心当たりは?」
ロゼッタは、鋭い視線を向けている。だが、これは俗に言う誘導尋問だ。引っ掛かって堪るか。そう確信したリタは、自信満々に笑みを浮かべて返した。
「いえ、全く!」
リタの返答を予想していなかったのか、ロゼッタは一瞬の硬直の後、頬を引き攣らせて口を開いた。
「……召喚術の授業で、教室を爆破したと聞いたが?」
「え、えっと、それは……、魔力を沢山籠めたら珍しいものが召喚できるかもって、担当の先生が言ってましたし? 私は、悪くないんじゃないかな~って」
リタは、出来るだけロゼッタと目を合わせないようにそう答えた。謎の光る生物らしきものが、術式から這い出てきそうになったのを思い出すと、今でも鳥肌が立つ。とんでもないものを呼び出してしまったかと思ったが、魔力を籠め続けたら爆発したし、とりあえず結果オーライだ。
「ほう。では、錬金術の授業で実験棟を半壊させた件は?」
「うぐッ……。ちょ、ちょっとだけ、巨大人型兵器に興味があるお年頃でして。普通のゴーレムじゃ面白くないじゃないですか? そしたら、大きくなり過ぎちゃった的な? あ、でも、錬金術の先生は狂喜乱舞してましたし、夜通しの魔術行使で前より立派で丈夫な実験棟に建て替えましたから……。主にエリスが」
リタの言葉に、ロゼッタは頭を押さえるような仕草を見せている。珍しく表情に疲れが滲んでいるような気がする。やはり学院長という立場上、心労が絶えないに違いない。リタは、自身がその心労を生み出している筆頭であることには気付かず、一人納得していた。
「そ、そうか。とりあえず、その二件は奇跡的にと言うべきか、貴様の技量を以てと言うべきか、怪我人が出なかったのは幸いだ。だが、言いたいことは分かるな?」
ロゼッタの言葉に、リタは神妙に頷いた。確かに、他の生徒や教員に怪我をさせないように、咄嗟に障壁を張ったりはしたが、危険があったことには違いない。
「……はい、すいません。次からは安全第一で実験に励みます」
リタの返答に、ロゼッタはまるで信じていないという表情を浮かべながら口を開く。
「本当に分かっているんだろうな? 後は、そうだな。正直、我がどこまで口出しすべきことなのかは分からないが……。貴様ら姉妹の仲がいいのは、我も知っている。だがな……、とりあえず、エリス・アステライトに告白した男子生徒を片っ端から医務室送りにするのはやめろ。入学後から、既に十七人だぞ? 一応模擬戦の体を取っているらしいが……」
そう、リタはクロードとの約束を忘れていないのだ。だが、私闘厳禁の校則がある。だから、ちゃんと模擬戦を挑んだうえで、心をへし折っているのだ。文句を言われる筋合いは……、少ししか無い筈だ、多分。
苦笑いで頬を掻くリタに、ロゼッタは「それから――――」と、更に口を開く。
ああ、まだ続くのか。さよなら、私の休日。
そうして、死んだ目で頷くだけの人形と成り果てたリタへの説教は、日が暮れるまで続くのであった。
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