取り戻したもの 3

 リタが逃走を試みて自室の窓から飛び出した時刻より、約四半刻前――。案の定忘れられている幼馴染の男子二人は、何の反応も示さない通信の魔道具を見ながら雑談に興じていた。


 どうせ忘れられているだろうという結論には既に達していたものの、それでも微かな希望に縋りつかんと何度も水晶型の魔道具に視線を向けてしまうのは、悲しい性である。


 実家が商会を営んでいることもあってか、ラルゴはその見た目に似合わず情報は無意識に収集する癖があった。先日実用化されたと噂の通信の魔道具、それも相手の姿が見えるなど、最新型にも程がある。きっと高価だったに違いない。見た目はともかく、普段の言動は――特に姉の方は――とてもそうは見えないが、あの姉妹も貴族なんだなとラルゴはしみじみと口にした。


 そんなラルゴを見ながら、ミハイルが何故か呆れた表情を向けていたが、ラルゴはその意味に気付くことは無かった。実際ミハイルは、正確にこの魔道具の出所に勘付いていた。単に、わざわざそれを口にするほど無粋では無いというだけだ。


 ミハイル自身、ここ最近こそご無沙汰だが、元よりエリスを師と仰ぎ魔術を習っていたこともある。その時にエリスはいつも、姉はもっと凄いのだと自慢げに話していた。元より、薄々姉妹の異常性には気付いていた彼であるが、今は、はっきりとその意味を認識していた。


「おい、どうするよこれ……」


 もう何度目か分からないラルゴの言葉に、先ほど自分で磨いたソファにもたれたミハイルは、からかうように笑う。


「折角部屋を綺麗にして、髪まで整えたのにな?」


「……片付け手伝わせたのは悪いけどよ、お前もきっちり決めてんじゃねーか」


 胸元の空いた小綺麗な服を纏って肩をすくめるミハイルは、腹立たしいが非常に似合っている。正直に言えば、王都に来たばかりの頃はあんな小洒落た服装に憧れたものだ。だが、体格のせいなのか顔のせいか分からないが、全く似合わなかったのである。


 そんな思い出を振り払うように下を向けば、普段着の中では一番綺麗な服に埃が付着しているのに気づき、ラルゴはそれを指で払った。あまり、気合を入れていると思われるのも恥ずかしいが、小汚い格好も恥ずかしいという微妙な心情が反映されている服装だ。ミハイルはと言えば、割と普段から服装には気を遣っていることもあり、不自然に見えないだろう。


 何度見たところで、歪んだ部屋の景色しか映さない水晶にも、いい加減腹が立ってきた。一昨日の作戦では、一応命を張ったつもりだったのだが……。ミハイルの方を見れば、最近売店に入荷したという、身体づくりに最適だと謳われているドリンクに口をつけて、顔を顰めているようだ。ラルゴはそんなミハイルに声を掛ける。


「なぁ、ミハイル。……俺たちだけここで暇を持て余してるってのも、ちょっとムカつかねぇか? 曲がりなりにも先輩だしな」


 ラルゴの言葉に、ドリンクをテーブルに置いたミハイルは、眉間に皺を寄せつつ一度咳払いをすると口を開く。よっぽど不味かったのだろう。気になっていたが、買うのはやめておこう。


「彼女たちが、僕たちのことを先輩だと思ってくれているかどうかは、一先ず置いておくとしても……そうだね。僕だって、こんな部屋でむさ苦しい幼馴染と世間話に興じるくらいなら、あの華やかな子たちとお茶会したいよ。当然だろ?」


 色々と言葉に棘があるのは、飲み物のせいか、数時間も部屋の掃除につき合わせたせいか。どちらにせよ、慣れたものだ。ラルゴはミハイルの言葉を鼻で笑うと、立ち上がった。


「行くぞ、ミハイル」


 そんな背中に、慌てたミハイルの声が掛かる。


「おい、ラルゴ!? 行くってまさか……」


「お前も男なら、五千回くらい妄想した事あんだろ? 女子寮楽園に決まってんじゃねーか」


 そう言ってラルゴは振り返ると、ミハイルに笑みを投げた。ミハイルは、ラルゴの言葉に抗議するように立ち上がる。


「君と一緒にするな! 精々六百回くらいだ! ……いや、冗談だからな? ラルゴ、女子寮には――」


 心配そうな声色で続けようとしたミハイルの言葉を、ラルゴは手で制した。女子寮に潜む魔物とも称される彼女の存在――。そんなことは、嫌というほど知っていたからだ。


「分かってる。幾多の先輩たちを葬ってきた、“破城鉄拳”のカトレアさん、だよな?」


 女子寮の寮母カトレアは、学院の卒業生であるため、二人にとっては大先輩にあたる。年齢を聞く勇気など誰にも無いが、見た目的には三十手前くらいだろうか。柔和な笑顔の裏にある、とんでもない強さと侵入者を見つける嗅覚は、主に男子生徒の間で非常に有名な存在であった。


「ああ、死んでないけどな? あの寮母の目を掻い潜って敷地内に潜入する難しさもあるけど、そもそもリタちゃんの部屋に勝手に入ったら殺されるんじゃないか?」


「流石に俺も自殺願望がある訳じゃねぇって。部屋の外から窓を小突く程度だよ。でもお前も、自分の目で見てぇだろ? あいつらの部屋。意外に、滅茶苦茶女の子らしかったりしてな? ……で? お前はどうする?」


 挑発するような視線を投げかけたラルゴに、ミハイルは不敵に笑う。ミハイルとて、一人の年頃の少年である。今回は、建物に侵入する訳でもない。そんな免罪符が、彼の倫理観の天秤を傾けた。決して、姉妹の部屋を一度見てみたかったとか、そういう理由ではない、と彼は言うに違いない。


「骨は拾ってやる」


「ったく、素直じゃねぇなぁ。ミハ兄はよ!」


 エリスがいつもミハイルを呼ぶ名前で呼びながら、ラルゴはミハイルの背中を叩いた。エリスは昔から、ミハイルのことをそう呼ぶのだ。確かに、最初に剣の稽古に加わった時は、自分より大人びていたことには違いないが……。俺も年上なんだがなと、ラルゴは遠い目をしてしまう。


「――ッ! 気色悪いから二度とそう呼ぶなよ?」


 鳥肌が立ったのだろうか、腕をさすっているミハイルの背中に、もう一発強烈な一撃を叩き込んだラルゴは、手痛い反撃が来る前に部屋の外へ飛び出した。




 そうして、周囲を警戒しながら歩く少年達であったが、元より目立つ二人である。こそこそとしていては、逆に目立つというものだ。


 ミハイルは、その見た目もさることながら、確かな実力をもつ人格者と専らの評判である。ラルゴも、普段は悪態をつきながらも、そのことは重々承知していた。そして、本人は気付いていないが、ラルゴ自身も粗野な言動以外は、割とクラスの女性陣からの評価は高かった。その目つきの悪さと恵まれた体格により、意図せずして女性陣から距離を置かれていることには、気付かない方が幸せなのかもしれない。閑話休題。


 そんな二人に駆け寄ってきたのは、桃色の髪の少女である。目を輝かせながらミハイルだけに執拗に話しかけるマグノリアから絡まれること数分――。どうにか解放されて歩みを再開した二人であったが、遠くに見える砂煙と騒がしい声に目を見合わせることになった。


 目を凝らせば、先頭をひた走るリタの姿が目に入る。前髪を額に張り付けて、必死に走っている姿は何だか滑稽だ。ラルゴは、そんな幼馴染の珍しい表情の意味を、すぐに悟ることになった。彼女は追われているのだ。武装した数人の集団から。


 剣姫やエリスは、ラルゴも知っているが、あの二人は何故校庭であんな物騒な物を振り回しているだろうか……。まぁ、リタが何かやらかしたんだろうな、とラルゴは即座に正解を導き出した。それに加え、先日の作戦で知り合った黒髪のラキという少女も、少し遅れつつ笑いながら走っている。


「あ、誰か轢かれた……」


 横から漏れたミハイルの言葉に、ラルゴは乾いた笑みを漏らした。リタに吹き飛ばされ、錐揉み回転をしながら天を舞うのは、赤いマントを羽織ったくすんだ金髪の少年だ。その隣で叫ぶ赤髪の少年は、兄のように自分を慕うレオンであった。「殿下ぁぁぁぁぁぁ!!」という絶叫が、ここまで聞こえた気がする。


「やべぇ……。頭痛がしてきた」


 ラルゴの言葉に、隣のミハイルが苦笑いで頷いた。制服の上からマントを羽織るのが許されている人間の身分など、平民の自分には嫌というほど分かる。


 知り合いなのか不明だが、リタが走りながらジェスチャーで件の金髪の少年に、何かを伝えようとしているが、無駄に終わったらしい。吹き飛ばされた王族の少年――アレク――もまた、腰に佩いた黄金の剣を抜くと、レオンを引き連れて追跡者に加わったのが見えた。


 そんな時である。確かに、リタがこっちを見て目を光らせた気がした。


「おい、嫌な予感がするんだが?」


「はぁ……、僕もだ」


 ラルゴの言葉に溜息をついたミハイルが頷く。案の定、リタは方向転換し、真っすぐにこっちに向かって疾走してくる。流石に王族も巻き込んでの追いかけっこに加わるなど、御免被りたい。ラルゴが、「逃げるぞ」と提案する前に、既にミハイルは走り出していた。


「クソッ! ミハイルお前先に逃げんなって! どうにかしろよ! 先輩だろ!?」


 だが、ミハイルは振り返ることもなく、その手をひらひらと振ると「付いてくるな」と言い放った。


「ざっけんな! 二手に別れたら俺が狙われる自信しかねぇ! ――って、あいつら足速ぇな、オイ!!」


 振り返ったラルゴは、目前に迫る脅威に気付き魔力を全身に行き渡らせる。身体強化で爆発的な加速を得たラルゴであったが、後ろから聞こえる恨めし気に自分の名を呼ぶリタの声はもうすぐそこである。自分が何をしたというのか。だが、何となくクリシェでの日々を思い出して、楽しくなってしまうのもまた事実。


 目の前のミハイルが、急に左へ飛んで校舎の裏へ入ったのを視認したラルゴは、全魔力を右足に込めて強く地面を蹴ると、同じく左へ曲がった。ここまで来たら、面倒事に巻き込まれるのは決定事項だが、あの憎らしい優男を逃がしてたまるか。最早そんな執念だけが、ラルゴを走らせていた。


 そうしてひた走る二人の少年の前に、灰色の髪と紺色のドレープスカートの裾を靡かせる女性が校舎の扉より現れた。考え事をしているのか、その視線は明後日の方向を向きながら足早に歩いている。校舎裏は狭く、既に距離は至近――。ラルゴは急に時が遅くなったような錯覚を覚えていた。


 マズい! 学院長を轢くのは本気でマズい!! 目の前のミハイルが急制動をかけるように、減速する。恐らく魔術も併用しているのだろうが、自分にそんな器用な真似は出来ない。ラルゴは、血の気が引いて行く音を聞いた気がした。ここは、仕方ないか。ミハイルの魔術の練度に期待するしかない。


「ミハイルすまん!」


 ラルゴはそう叫ぶと、自分の身体を急減速させつつも、勢いを殺し切ることが出来ず、ミハイルともつれ合うように前へと倒れ込んでいく。その瞬間、確かにロゼッタが視線をこちらに向けた。


 そうして、全身に凄まじい衝撃を感じると共に、二人はその見えない壁をずり落ちるように地に倒れていく。気だるげに右手を振ったロゼッタが張った障壁に衝突したのである。そんな二人に、訝し気な視線を向けたロゼッタが、何かに気付いたように呟いた。


「うん? 貴様らは確か――――」


「どいてどいてぇぇぇぇぇ!!」


 だが、ロゼッタの言葉は、倒れていく少年の後ろから聞こえた絶叫に掻き消されることになった。考え事をしていたこともあるし、無駄に図体のデカい少年の陰になっていたこともある。それでも、ここまで気付かないとは……。全く、頭が痛い事が重なるなと、ロゼッタは溜息を吐いた。


 そしてロゼッタは、予想される衝撃に備えて、即座に新しい障壁を張った。誤算があったとすれば、目の前の少女の干渉力は折り紙付きで、更に別の魔術障壁で抵抗を軽減していたということだ。それは、エリスが放つかもしれない魔術的な抵抗をも排除するためのものであった。


 そうしてミハイルとラルゴを見事な跳躍で跳び越えたリタは、ロゼッタの障壁を突き破り、妹から石頭と称されるその頭部を、凄まじい速度でロゼッタの顔面にめり込ませたのである。

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