取り戻したもの 2

 友人たちがいる中、恋人とテーブルの下で手を繋いでいるという小さな背徳感を感じながら、リタは右手で焼き菓子を摘まんで口に入れた。とりあえず、出来栄えは完璧である。


 意外とキリカって積極的なんだな、と考えていたリタの脳裏に、全く別の可能性が過る。もしかして、慣れているだけではないのか、というものだ。とはいえ、隣のキリカの表情を見れば、それが杞憂であることは余りにも明白であった。正直、バレバレなのでもう少し普通にして欲しいと思うのは、贅沢過ぎるだろうか。


 ずっとこうしていたいのは山々だが、流石にいつまでもキリカの右手を独占しているのも憚られる。リタは名残惜しさを感じつつも、その手をそっと離した。


「ほら、キリカ? 自信作だから」


 リタはキリカに笑顔を向けながら、一番見た目が綺麗なケーキを彼女の皿に乗せる。魔法できめ細やかに仕上げた、くちどけのいい優しい甘みのクリームと、白葡萄に似た果実の酸味が絶妙に絡むケーキだ。


 お礼を言いながらフォークに手を伸ばそうとしたキリカの耳元で、リタは小さく「食べさせてあげよっか?」と囁いた。慌てふためきながら拒否するか、子供扱いしないでと拗ねるか、そんな可愛い反応を期待していたリタであったが、キリカの反応はそのどちらでも無かった。


「それは今度、二人きりの時に、ね? く、口移しでも……構わない、から……」


 仕返しとばかりに、耳元で囁かれたキリカの声で、リタは脳細胞が溶けだして耳から流れ出すのではないとかと思った。これは、完敗だ……。リタは思わず変な呻き声を漏らしながら、何とか小さく頷く。


 そんな二人の様子を見かねてか、右隣から「うげぇ」という声が聞こえた気がするが、エリスがそんな声を出す訳がない。きっと、自分の聞き間違いであろう。リタは、火照った頬を冷ますように、冷たいケーキを口に放り込んだ。すっきりとした甘さの中で、ふわりと果実酒の香りが広がっていく。


 さぁ、今日くらいは友人たちとのお茶会を堪能しようじゃないか。まさか、自分がアニメの中だけの存在だと思っていたこと――しかも、会だ――をしているなんて、前世では想像も出来なかったことだ。そうしてリタは、並んだ甘いものと、華やかな女学生たちの笑顔がもたらす幸福感を十分に感じながら、穏やかな時間を過ごすのであった。


 そう、ラキがあんなことを言うまでは――――。




 その時は突然訪れた。女子会には似つかわしくない、だが王立学院生にとっては当たり前の、少々物騒な話に話題が及んでいた時のことだ。


「そう言えば、聞いてくれよエリス」


 一通りのお菓子に手を出したラキが、満足げに紅茶のカップを傾けながら口を開いた。首を傾げるエリスに、ラキは笑いながら続ける。


「あの夜にな、オレとリタが出撃の準備をしてた時のことなんだけどよ。いきなりリタが、オレに服を脱げって迫ってきてよ――」


 その言葉で、確かに場の空気が凍ったのをリタは知覚していた。膨れ上がるプレッシャーを跳ね除けるように声を上げる。


「ちょっ!?」


 確かにあの夜、着替えの際に「服を脱げ」とは言った。だが、余りにもラキの口ぶりでは誤解を招くだろう。勿論、リタとてラキがわざとそのような意図で発言したということは理解している。とはいえ、ラキは知らずとも、隣に恋人がいる中でのその言葉は、リタにとって看過できないものであった。


「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら?」


 案の定、左隣から聞こえた底冷えするような低い声に、リタの背筋は凍った。慌てて弁明を試みようとするも、笑顔のキリカの「黙りなさい」の一声で唇は縫い付けられる。ラキも、そんなキリカの様子に気圧されたのか、頬を引き攣らせながら続けた。


「いや、その……。リタがオレを真っ裸に剥いてな、嫌がるオレに無理やり恥ずかしい台詞言わせたんだよ……」


 ――――終わった。


 恥ずかしそうにそう話したラキであったが、確かにこちらを見て一瞬笑みを浮かべた。間違いなく、演技である。だが、それをそうだと認識しない人間が二名――。


 リタは、左の二の腕が軋む音を聞いた。視線を下げれば、がっちりとキリカの右手に握られている。彼女は自覚しているだろうか、凡そ人間とは思えない自身の握力を。


「ねぇ、キリカ? 出来れば、ちょっーとだけ私の話を聞いて欲しいんだけど? あと、その手を少し緩めて欲しいなぁ……なんて。……あ、ダメですよね? でもこれ、他の女子生徒だったら悲惨なことになってると思うんだけど? 結構色変わってきたけど、大丈夫? 私の左腕……」


 リタの言葉も虚しく、二の腕を握りつぶさんとする彼女の握力は強まるばかりである。その様子に、ユミアは何処か引いたような表情を浮かべながらも、呑気にケーキを口に運んでいた。意外に大物だな、とリタは現実逃避にもならない考えを抱く。


「何で、剣姫が怒ってんだ……?」


 そんな中、発端であるラキは、訳が分からないといった様子で肩をすくめている。後で、また椅子に括り付けて成層圏までかっ飛ばしてやる。リタはそう決意しつつ、打開策を模索するも、中々妙案は浮かんでこなかった。


 前世であれだけ童貞を拗らせた挙句の、初めての恋人である。こんな時にどうしたらいいかなど、リタには分かるはずもなかったのだ。


 妹に頼るのは情けないけど、背に腹は代えられないか――。とにかく、キリカに話を聞いてもらわないと。リタは、そんなことを考えながら、右隣に座るエリスの方に視線を向けた。だが、エリスは感情の抜け落ちた目で虚空を見つめながら、何かを呟き続けており、リタの視線に何の反応も返さない。


「有り得……私が……必死……我慢し……譲って……、吐きそ……も……のに、他の女……裸……? こっちの気持ちも考えろっての――――」


(えっと……、何コレ!? エリスがおかしくなっちゃった!? 怖い怖い怖い!!)


 内容は聞き取れないが、その響きはおどろおどろしい呪詛のようにも思えた。リタは、思わずうすら寒さを感じてしまう。実際、完全に自業自得なのであるが、本人がそれに気付くことは無かった。


 左側には、変わらない笑顔をこちらに向けているキリカ。

 右側には、全く知覚出来なかったのだが、いつの間にか右手に持っている“必殺お仕置き棒”をくるくると回しているエリス。


 リタは背中を流れ落ちる冷や汗を感じながら、口を開く。


「ね、ねぇ? 私の話、聞く気あったりする? ……無いよね? うん、知ってた」


 よし、逃げよう。


 時には戦略的撤退も必要なのだ。自室から何処に撤退するのか、という話は一旦置いておいて。


 とりあえず、彼女たちが落ち着いて話を聞いてくれるようになるまでは、何を言っても無駄であろう。リタの魂胆に気付いたのか分からないが、右腕を掴もうとエリスが左手を伸ばしてきた。リタはそれを器用に躱しつつ、左腕から魔力を放出し、キリカの右手を払う。


「えっと、これだけは言っとくけど誤解! 誤解だから!!」


 リタはさっと立ち上がると、埃が立たないようにテーブルを跳び越えながらそう叫ぶ。だが、無言でリタを捕獲しようとする二人の少女を前に、リタの本能は警鐘を鳴らし続けていた。リタの撤退路を塞がんと、キリカとエリスは見事な連携を見せながら、部屋の壁を走る。


(速――ッ!? 捕まったら、マズいことになりそう……!)


 学院に張り巡らされた結界もある。あまり、高度な術式を学院の敷地内で使うつもりは無い。それに……、誤解とはいえ転移で逃走するのは不誠実な気がしていたのだ。


 リタは一瞬の隙を突き、開け放たれた窓から外に出て走り出した。アニメでしか見たことが無いが、恋人との追いかけっこと洒落こもうじゃないか。どうせなら、夕日が沈む海岸が良かったが、それは贅沢過ぎるというものだ。多少、後方から感じる空気が剣呑な気がするが、気のせいということにしておこう。


「エリスさん? 剣を!」


 そう窓から飛び出しながら発したキリカに、エリスが部屋に置いていた訓練用の剣を投げ渡す。続いて、窓から飛び出したのは、凄まじい風切り音を放ちながらお仕置き棒を素振りするエリスである。


「よく分からんが、面白くなってきたな! 剣姫、エリス、オレも協力するぜ! 腹ごなしに丁度いい」


 呑気に少年染みた快活な笑みを浮かべたラキが、窓枠に足を掛けながら叫んだ。リタは思わず、立ち止まって叫び返す。


「ラァキィィィィ!! 絶対! 許さないんだからっ!!」


 だが、砂埃を巻き上げながら猛追してくる二人の物騒な少女たちを視界に収めたリタは、即座に方向転換し走り始める。いつの間にか、追手が三人に増えたことに多少の頭痛を覚えるも、こういうのも何だか学生っぽくていいなと、リタはそう考えていた。


(あれ? 何か忘れてるような……? ま、いっか)


 リタは頭の中に浮かびかけた何かを追い出すように頭を振ると、更に身体を加速させる。爽やかな秋晴れの下、少女たちは他の学院生にとっては傍迷惑な速度で校庭を駆け抜けていく。




「えっと、私は、その……。戸締りも必要ですし? 折角のお菓子は、早めに食べたほうが美味しいですから、ね? お留守番しておきますねぇ」


 誰に聞かれた訳でもない。だが、これは必要なことだ。うんうんと頷きながら、他に誰も居ない部屋でユミアは小さくそう発した。


 急に静かになった姉妹の部屋を、午後の柔らかな風が吹き抜ける。まだ日は高いが、今日も気付けば暮れているのであろう。ユミアは、一度胸に手を当てると、その鼓動と体温を噛みしめるように目を閉じた。


「あらためて……。いただきます、リタちゃん。――――くぅ! このケーキも最高ですぅ!!」


 甘味を堪能する少女から、時折漏れ出る幸せそうな声には、こんな平和な日々がいつまでも続くようにと、そんな願いが込められていたのかもしれない。

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