取り戻したもの 1

 観測者と邂逅を果たした翌日のこと。放課後の喧騒に包まれる校舎を抜け、リタは女子寮への道を急いでいた。校庭はすっかり秋らしく色づき、学生たちの制服も冬服に変わっている。


 正直、今日くらいは疲れも残っていたし休みたかった。だが、休んでは作戦に参加してくれた他の友人たちにも心配を掛けるだろう。そんな気持ちで、何とか授業には出席したが、とてもじゃないが起きていることは出来なかった。エリスも大目に見てくれたのかは分からないが、注意されることもなかったのは僥倖である。


 何より幸運だったのは、ロゼッタが不在だったことだろう。昨夜の後始末に追われていることは想像に難くない。先延ばしになっただけと言い換えることもできるが、疲れのたまったこの状態で学院長室に呼び出されなかったことに安堵しつつ、リタは女子寮の玄関を潜った。


 キリカとエリスは、王立図書館へと出向いている。統一教会の発祥と、女神の降誕について、可能な限り古い文献を探すためだ。今現在流通している統一教会が出版している書物では、碌な情報を得られないことは、夏休みのうちに確認済みであった。昨日の今日で、とは思わないでもないが、なんとなく動いていないと落ち着かないという気持ちも分かる。


 そして肝心なリタはといえば、部屋に届いているであろう材料を使って、これからお菓子の仕込みをする予定であった。明日は休日であり、昨日の作戦の打ち上げを予定しているのだ。


 リタ自身、調べものに縁が無い性格であることには違いない。とはいえ、色々なことを考えなければならないことも、行動していかなければならないということも、嫌という程分かっている。それでも、友人たちと過ごすかけがえのない日々を大切にしたいという気持ちもまた、大きかったのである。


(どんな時間だって、君がくれた大切なものだからね。この人生で初めて、ちゃんと生きるってことを知ったんだよ、キリカ?)


 そうして考え事をしながら、自室の前に到着したリタは、視界に広がる光景に思わず苦笑いを漏らす。マルクティ商会から届いていた大量の材料が部屋の前を占領していたからだ。


「ちょーっとだけ、買いすぎた、かな? あはは……」


 せっかく皆で取り戻した日常だ。楽しまなくては勿体ない。事件の顛末はまだ聞けてないが、ロゼッタに任せている以上、とりあえず問題は無いだろう。


「よし、やりますかね!」


 リタは息を吐いて気合を入れると、腕まくりをして材料の搬入に取り掛かる。この日、姉妹の部屋には遅くまで明かりが灯っていたという。




 そうして迎えた翌日の朝。忙しなくリビングの掃除をしているエリスを視界の隅に収めながら、リタは台所で大量のお菓子の仕上げに追われていた。


 開け放たれた窓の外は綺麗な秋晴れだ。自室で打ち上げをすることには変わりはないのだが、やはり晴れているだけで多少心が上向きになる。きっと、前世では中々お目にかかれなかった青空に対する憧れは今でもリタの奥底に燻っているのであろう。


 部屋を吹き抜けていく爽やかな秋風は、夏の終わりを強く感じさせる涼しさで、リタの胸に仄かな切なさを呼び起こす。だが、部屋に漂う甘い香りが、それ以上に楽しい気分にさせてくれるのも事実。


「これで、完成っと!」


 皆は喜んでくれるだろうか。リタは完成したお菓子に埃などが付着しないよう簡単な結界を張ると、すっかり綺麗になったテーブルにつく。そして、エリスが準備してくれた淹れたての紅茶を片手に、友人たちの来訪を待つのであった。




 それからあまり時間を置かないうちに、いつものように少し頬を上気させたキリカが訪ねてきた。今日も急いで来てくれたのだろうか。普段、教室では凛とした表情の彼女が、こんな表情を見せてくれる。それは、今日も変わらずリタにとって幸福を感じさせてくれる瞬間であった。


「すっかり秋仕様だね。似合ってるよ?」


 ベージュを基調にした、柔らかな雰囲気のキリカの服装を眺めながらリタはそう口に出す。また件の店で新色を買ったのだろうか、その薄い唇もまた、柔らかな雰囲気の薄桃色を纏っていた。


 折角の休日に、お洒落をした恋人を迎えるのだ。アニメやゲームの知識しか無いからこそ、数少ない知識は忘れずに活用したい。はにかみつつ「ありがとう」と言ったキリカの耳の赤さに満足感を覚えながら、リタはエリスの待つテーブルへとキリカを誘う。


 そして、更に間を空けずに訪ねてきたのは、ラキとユミアであった。


「おっす、リタ! 来てやったぜ~!」


「もう! ラキちゃんったら。ちゃんとノックするって何回言ったら分かるんです? ……はぁ、皆さん、おはようございます」


 ノックもせずに我が物顔でドアを開けるラキと、苦笑いで続くユミア。新しいルームメイトともお互いに上手くやれているようだ。特に疲労が残っているようには見受けられない二人の様子に、リタはとりあえずの安堵を覚えつつ、リビングへ招き入れた。


 急に賑やかさと華やかさを増していく空間にリタは笑顔を浮かべながら、手早く作ったお菓子を準備する。今回は、味は勿論、ちょっと見た目にも凝っている。色とりどりのお菓子が大量に並ぶ様は、正に壮観であった。それを囲む美少女たちの笑顔が、さらに周囲を輝かせる。


 並ぶ品々に対し感嘆の声を漏らす面々に、腕によりをかけて準備した甲斐があったとリタは笑みを深めた。待ってましたとばかりに、早速手を伸ばすラキの右手を叩き落としながら配膳を済ませれば、手早くエリスがお茶の準備を整えてくれる。


 席についた面々は準備が整ったことを察したのか、皆がリタを見ていた。リタはその様子に、やはり自分が作戦の発案者として音頭を取らなければ始まらないかと、満足げな笑みを浮かべて口を開く。


「諸君、ご苦労。一昨日の作戦遂行にあたり、各員の多大なる尽力があったことは――」


「おいリタ、そういうのはいいから早くしろ」


 だが、リタの言葉はラキの待ちきれないという声に遮られた。周囲を見渡せば、皆が笑っている。まぁ、今日はいいか。リタは大きく溜息を吐くと、紅茶のカップを手に取る。他の四人がそれに追随したことを確認し、リタはそれを掲げた。


「紅茶だし、このカップ高かったから、恰好だけね? 皆、昨夜はお疲れ様! 乾杯!!」


 続く皆の声の明るさに、リタはきっと今日も最高の一日となる、そんな確信を抱いていた。




 ユミアも既にラキから状況は聞いていたらしいが、リタは改めて昨夜の事件の結末を話した。最終的な顛末は、ロゼッタから聞くことになるだろう。どちらにせよ、友人たちと協力して悪い奴を倒した、この結果だけで学生には十分すぎる程の大団円なのである。少なくとも、今日のこの場に、それ以上の話は必要あるまい。


 そういえば、男子二人は今頃部屋で悶々としているだろうか。リタはふと、そんなことを思いほくそ笑む。実は昨日の昼休み、ミハイルに水晶型の通信の魔道具を渡していたのだ。学院の女子寮は、当然の如く男子禁制である。彼らの活躍を鑑みれば、美少女たちとのお茶会気分くらいはせめて味合わせてあげようという、リタの計らいであった。


(私ってば、慈悲深いなぁ。でも、もうちょっと焦らそう……くふふ)


 リタがそんなことを考えていた時であった。リタの左手に優しく触れたのは、隣に座るキリカの指先。リタは、目線をずらして軽く笑みを浮かべると、左手をテーブルの下に下げた。時を置かずして絡まるキリカの指の感触に、鼓動は自然に高鳴っていく。


 目の前では、大食い大会でも開催しているのかという勢いで甘いものを口に運ぶラキ。並ぶお菓子を片っ端から自分の皿に運んでは、すぐに口に入れている。その様子に、隣のユミアが抗議の声をあげた。


「ラキちゃん!? それは私が狙ってたんです! 返してください!!」


「やだよ!」


 ラキはユミアの伸ばした手から、自分の皿を庇うように遠ざける。何枚もの皿を手のひらに載せ、ユミアのフォークを躱している。無駄に器用で、流石の柔軟性だが、行儀が悪い事には違いない。


「まあまあ。功労者のユミアちゃんには、一番大きいのがあるから……」


 笑いながら窘めるエリスであったが、どうやらラキには逆効果のようであった。


「おい、オレもふぁんふぁっただろうふぁよ!! ――んぐっ。おい、ユミア? オレにもちょっとそれくれよ」


「もう! 食べながら話さないでっていつも言ってますよね? 絶ぇーっ対にあげませんからね!?」


 目の前で繰り広げられる光景に、リタはただ優しい笑みを浮かべながら、紅茶を口に含む。きっとキリカも、こんな日々を送れることを幸せに思ってくれているに違いない。そして、大切な友人たちと巡り会えたこともまた然りだ。


 リタは、確かに伝わるキリカの気持ちを包み込むように、彼女の右手をそっと握り返した。

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