切れない鎖 4
リタの言葉に表情を引き締めた観測者は、軽く頭を下げた。
「言葉は通じないだろうが、せめてもの謝罪だ。すまない」
その視線は、自分の後方に控える二人の少女に向けられているのだろう。きっと今頃、あの二人は首を傾げているだろうな、とリタは思いながらもその視線を観測者から逸らすことはない。
「それで?」
今は謝罪の言葉が聞きたいのではない。リタの言葉に、顔を上げた観測者は小さく頷いた。
「単刀直入に言おう。恐らくお前の妹はアルトリシアと縁がある者だ」
観測者の言葉にリタは混乱してしまう。先程聞いた話からは、少なくともアルトリシアは一人で何かの目的の為にアルトヘイヴンに干渉したと理解していた。
エリスが前世で、アルトリシアと関りを持っていたとか?
もしくは、アルトリシアの子孫? いや、そうだったとしたら、自分もそうだから違うだろう。
どちらにせよ、エリスが自分の家族であることに何ら変わりはない。出来るならば、エリスが傷つかない結果であって欲しいと願うばかりだ。
リタが説明を求めるより早く、観測者が口を開く。
「前世なのか、はたまた未来なのか……。それを今結論付けることは出来ないが、少なくとも血縁レベルの深い縁だ。それで、だ――。言い方は悪いが、状況次第でお前の妹は災厄の引き金にもなり得る、と俺は考えている。……まぁそう怖い顔をするな。これは観測した事実としての話だ。――――ここからは俺の直感なんだが、その縁は使い方によってはお前の切り札になり得る可能性もある。彼女もまた、お前がそうなった要因のひとつで、鍵のひとつかもしれない」
苦々し気にそう話す観測者を睨みつけたリタは、魔力を込めた右手を観測者に向けて吐き捨てた。
「一応、言いたいことは分かった。だけど、次に私の妹を
リタの言葉に頷いた観測者は、両手を挙げてそれに答えた。ふと観測者の目が何かに気付いたように見開かれたのを見て、リタは振り返る。その先で見たのは、キリカが鼻血を拭う場面だった。どこか、キリカもエリスも顔色が優れないようにも見受けられる。
「悪いことは言わない。彼女たちは先に帰せ。浸食が始まっている」
観測者が低く呟く。恐らく、生身で虚数領域に踏み入れた影響であろう。リタはその言葉に頷くと、キリカとエリスを念話で促す。だが、彼女たちから戻ってきた返答は、リタの望んだものでは無かった。
「……話が終わるまで一緒にいるってさ」
(まぁ、逆の立場だったら私だってそう思うよ)
リタの言葉に、軽く肩をすくめた観測者は笑う。その顔は、どこか寂しそうでも晴れやかでもあった。
「そうか、手短に済ませよう。それにしても、あの二人……。DMTPも無しに異相次元跳躍をやってのけるとは。全くもって凄まじいな」
呆れたようにそんな言葉を発する観測者に、リタは率直な疑問を投げかける。
「DMTP?」
「――ほら」
そう言いながら、観測者が軽く右手を払うように振ると、リタの奥底から何かが沸き上がるような感覚があった。
(あの時、イヴが私の深層に埋め込んだ何かが反応してる……)
訝し気な視線を向けたリタに、観測者は苦笑いを零しつつ続ける。
「
「次元構成元素変換プロトコル……ね。成程、マザーを送り返すのにも必要ってことね」
リタのジト目に微かに関心した顔で頷いた観測者は、意地の悪い笑みを浮かべた。非常に腹立たしいが、さっさと話を進めたいリタはぐっと我慢する。
「珍しく理解が早くて、助かるよ。いいかオリジン、よく聞け。俺たちが相手にしなければならないのは、女神を僭称する存在であり、当時の地球では世界最高峰の頭脳を持っていたであろう存在だ。だから、情報や目的が洩れるリスクは最小限に抑えたい。いいな?」
「具体的には?」
「“敵を騙すには、まず味方から”ってことだ。俺はいくつかアルトヘイヴンにも種を蒔いている。お前はきっと気付くだろう。色々な人間と関りを持つ中で、お前が正体を明かすこともあるかもしれない。だが、例え相手が誰であろうと、最終目的については決して話すな。逆に盛大なブラフを撒いてやるんだ。お前が、女に生まれた原因とかな――」
「そもそも私はその原因を知らないんだけど……? って、わざと教えない気!?」
リタの言葉に、観測者は曖昧に頷きつつ「俺もまだ確信には至っていない」と返した。
「……ま、いっか。どうせ知ったところで変わんないし。適当に嘘で誤魔化しとくよ」
もしかしたら、それはとても重要なことなのかもしれないし、とてもくだらないことなのかもしれない。ただ、それを聞いて何かが揺らぐくらいなら、聞く必要などない。リタにはそう思えたのだ。
そのままリタと観測者は手短に今後の行動方針について話した。はっきり言って、こういうことを考えるのは苦手なリタだ。時折念話でキリカとエリスに助言を求めつつの会話となったことに関しては、ご愛嬌としておきたいリタであった。
キリカと再会を果たした時――イヴと会話を交わした時――より、決めていた行動方針が大きく変わることは無かったが、多少細かい部分まで明確に出来たのは良かったと言えるだろう。
その中で特に重要な二つの柱がある。
まずは、イヴとマザーの言葉に従って、アルトリシアの本名を探すこと。これは確実にやっておきたい事だ。何故ならば、世界に存在するものは必ず名に縛られる。リタは、アルトリシアが本物の神だとは信じていない。だが、女神としての名を用いることで、何らかの力を得ている可能性は高いと推測していた。
だから、女神を確実・簡単にぶちのめすためには、人としての名を以って同じ土俵に引き摺り下ろすのが一番手軽なのだ。そのうえで、観測者が蒔いた種と、鍵が揃えば女神を罠に陥れることが可能となるらしい。詳しい話は、今日観測者が観測した情報を元に再調整が必要らしく後日ということだ。
もう一つが、戦いの準備を整えることだ。これに関しては、リタの得意分野でもある。曲がりなりにも女神を相手にしようというのだ。多くの人々との戦いも避けられないと思っている。とはいえ、リタは大規模対人戦闘用の魔法は既に開発済みだ。これからは、例え
(女神を倒して全部が解決なんて、手軽な結末は有り得ないはず……。でも、女神がこの世界に仕組んだ何かを解き明かさないと、先にも進めない。その先のことは、未来の私たちが何とかしてくれるよね、きっと。まずは、やれることをやるしかないか)
話し終えたリタと観測者を、沈黙が覆っていた。互いに、考え事に没頭していたせいで気付かなかっただけなのであるが、後ろで見守るキリカとエリスにはそう見えていなかったのだ。キリカの控えめな咳払いで、そういえば時間が無かったんだったと我に返ったリタは、慌てて観測者に問いかける。
「ねえ、準備してもらいたいものがあるんだけど」
観測者は、リタの言葉に首を傾げた。これまでの話を統合するに、観測者がアルトヘイヴンに蒔いた種というものは、リタがリタとして転生する前にイヴが干渉した結果であろうことは明白だ。だから、彼に物質的な支援を求めるつもりは無かった。
「惑星の公転軌道の計算に必要な計算式とか理論とか、その辺の関連知識一式。後は、正確な天体位置の観測方法の知識かな。出来る?」
「戻ったらすぐに準備しよう。虚数領域からレーヴァテインを通じて存在情報に転送する。頭が割れるくらい痛むだろうから、覚悟はしておけ。…………クク、成程面白い。意趣返しか?」
何かに気付いたように笑う観測者に、リタも笑みを返した。千年前、ノエルを苦しませた忌まわしき惑星魔法が脳裏に浮かぶ。そう、やられたらやり返す。それだけは譲れなかったのだ。
「うん、史上最大のね! クソサイコ女神もお漏らしするような、とっておきの極大魔法をぶち込んでやる」
「いきなり口汚いな……。だが、悪くない」
そう言って観測者は右手の拳を突き出した。後ろからキリカとエリスが見ていると思うと非常に恥ずかしいのだが、リタは自らの拳をそれにぶつけた。リタは、そんな恥ずかしさを誤魔化すように、観測者に挑発的な笑みを向ける。
「つうかさ、君って童貞の癖にキリカとエリスを見ても動じないんだね」
「俺が、どれだけの結末を見届けてきたと思っている? ……それもあるが、冗談だ。だから、そんな顔するな気持ち悪い。単に、余計な機能は省かれているだけだ。とにかく、長くなったが今日の所はこれくらいにしておこう。俺にとってはすぐだが、お前にとっては数年後か……。会いたくはないが、また会おう
そう言うが早いか、観測者の身体から光る粒子が溢れ出す。それと同時に、徐々に彼の気配が薄れていく。リタは先ほどからかわれた仕返しに、舌を出してそれに答えた。
「そうだ、オリジン。言い忘れていたが、聖女は決して信用するな――――」
「は?」
リタの疑問の声は虚しく虚空に響く。聖女って、セレスト皇国に降臨したとかいうあの聖女の事? そう聞こうと思っていたのだが、既に観測者の姿はない。次に会ったら絶対殴る。リタはそんな覚悟を胸に、振り返ってキリカとエリスに笑みを向けた。
「ねえ、お姉ちゃん? さっきの人って何処かで見たことが……」
二人の下に駆け寄ったリタに、エリスが首を傾げながらそんな言葉を発した。これが自室ならば、妹の疑問に答えないなんて選択肢は無いが、今はその時ではない。
リタはエリスの疑問を手で制しつつ、「後で話そう」と帰還を促す。そんなリタの言葉に、揃って笑みを浮かべた二人の姿が光に包まれると、次の瞬間にはその姿を消していた。
(うーん、エリスが既視感を覚えてるのは何故? 転生前に会ってるはずが無いし……。もしかして、私もあんな表情してることあるのかな? やだなぁ……)
だが、ここで曖昧にしたばかりに、エリスの瞬間記憶は薄れ、その既視感の正体に彼女たちが至ることは無かったのだ。エリスが自室で一瞬だけ幻視した女性と、観測者の目元がよく似ていたという事実に。
一人虚数領域に残されたリタは、大きく息を吐くと欠伸を漏らす。この肉体そのものに疲労は無いのかもしれないが、精神が参っている。
「ふぁ……。流石に疲れちゃった。さっさと戻って寝よ。――――え?」
リタは伸びをした姿勢のまま硬直してしまう。気付きたくないことに気付いたからだ。エリスとキリカは生身で転移してきているが、自分はそうではない。感覚的には、虚数存在の自分に意識が乗っているだけという状態なのである。
「待って!? これどうやって戻んの? 誰か! ねぇ!!」
リタの言葉は、誰も居ない暗闇に虚しく響く。リタは大きく項垂れると、眠い頭を何とか働かせながら戻るための手段を探し始めるのであった。
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