切れない鎖 3

 今、観測者は何と言った?

 エリスの事を、“アルトリシア”と、そう呼んだのか――――?


 そんなこと、あってたまるか。


 リタはいつだって、自らの直感を信じて生きてきた。そして、確信に近い程の強い予感がある時に、外れたことなどない。それは、観測者の言うところの因果干渉力とやらが関係しているのかもしれないし、全く別の要素がもたらしてきたものなのかもしれない。


 どちらにせよ、リタがはっきりと言えるのは妹が自分の敵であるはずが無いということだ。だからこそ、リタは最低限の冷静さを保てていたとも言えるだろう。


 一瞬で場の空気は変貌していた。リタは、魔力で作り出した刃を観測者の喉元に突き付ける。気付けば、キリカも同じくレーヴァテインの切先を観測者の眼球の数ミリ前で静止させていた。


 そしてエリスは、観測者に向けている剣はそのままに、左手に持つ漆黒の剣を逆手に持ち替えた。そのまま、何の躊躇いも感じさせない表情で自らの首筋にあてがう。リタはその様子に瞠目しつつ、怖気を感じた。


(あれじゃまるで……。キリカと再会を果たす前の私だ……)


 エリスは真っすぐに観測者を見据えつつも、その両目には何の迷いの色も映していないようにリタには感じられた。そしてそれは、事実であった。


 エリスは間違いなく、本気であったからだ。有り得ないとは思っている。だが、本当に自分が姉の敵になるのならば、自死を選ぶのは彼女にとって当然の思考である。


 力になりたいと、役に立ちたいと思っていた。それは変わることのない、昔からの想いだ。だが、足を引っ張るばかりか、あまつさえ障害にすらなるというのなら――――。


 必ず、この魂までも砕き、永遠に消え失せて見せよう。


 エリスは、そんな覚悟だけを抱き、審判が下るその時を待ち続けた。



 微動だにしないエリスを見て、リタは思わず泣きそうになった。彼女はいつだってリタを案じてくれている。ずっとずっと昔から、一番近い場所で、共に生きてきた。だから分かっていた、知っていたつもりだった。


 だが、リタは本当の意味で理解できていなかったと言えるだろう。エリスがまさか、あんなにも躊躇なく自らの命を投げ出そうとするなんて思ってもみなかったのだ。女神がいつか世界を消滅させるということを知っている彼女だ。もしかしたら、世界の為への自己犠牲の精神なんかもあるのかもしれない。


 けれどリタには確信があった。エリスはきっと、リタのことだけを案じてあんな行動をとったのだと。そして同時に、大切な妹をあんな風にしてしまったのは、他でもない自分なのだと。


 エリスには強くなって欲しかった。この世界で、彼女自身を守れるように。自らの意志で、未来を掴み取れるように。リタはそう思って、せめて自分に教えられることを教え、戦うための覚悟を説いてきたつもりだった。それは決して、年端もいかない少女に悲壮な決断を迫るためではない。


(あー、ダメなお姉ちゃんだな、私。エリスも変な所ばっかり真似しちゃってるし……。もっと色々、ちゃんと話さないと)


 とはいえ、今は考え事に没頭できる時ではない。まずは、観測者の発言の意図を把握するのが先だ。


『エリス、早まらないでよね』


 リタは念話でそう伝える。エリスが小さく頷いたのを見届けたリタは、歯を食いしばると低い声で発した。


「……冗談だとしたら、ただじゃおかない。今すぐ、言葉の意味を答えろ」


 固有名詞こそ同じだとしても、他の二人じゃ言葉が通じないだろう。リタは、念話でキリカとエリスに動くなとだけ伝えつつ、観測者の返答を待つ。


 リタの作り出した刃は、観測者の首の薄皮を裂き赤い筋を作っている。だが、観測者はその視線をエリスから逸らすことは無い。エリスもまた、じっと観測者の双眸を見据えていた。


 観測者は、微かに震えているようにも感じる。眼球は血走り、その呼吸は荒い。そして観測者は、引き攣った顔で絞り出すように声を発した。


「馬鹿な! 有り得……ない。有り得ない、有り得ない、有り得ないッ!!」


 観測者は、頭を掻き毟りながらそんな言葉を発した。目の焦点が定まっていないようにも見えるが、しきりにエリスとリタを交互に見やっている。


 リタは困惑しつつも念話で二人に、一度下がるように伝えた。キリカは即座に転移で離脱すると、観測者の後方で待機する。エリスもまた、そろそろと静かに後ろに下がると、いつでも動ける体勢は維持しながらも両手の剣の切先を下げた。


 観測者は荒い呼吸を繰り返しながら、突如目を見開くとリタが突き付けていた魔力の刃を両手で掴んだ。リタは、その様子に慌ててその切れ味を落とす。そうしなければ、目の間で両手の指の切断ショーを見る羽目になるからだ。


 観測者は何の痛痒も感じていないのか、血飛沫が上がるのも厭わず叫んだ。


「何故、お前たちは冷静でいられる? 何故、お前と似た顔をしている!? 彼女は、彼女は……、何者、なんだ……ッ!?」


 リタは観測者の問いに、眉間に皺を寄せるしかなかった。

 そういえば、私が私として生まれてからのことは観測できないんだっけか、と思い返す。先程の立ち回りを鑑みるに、直接視認すれば違うのかもしれないが。


 彼は、エリスに何を見たのか。リタは鼓動を落ち着けるように一度大きく息を吐いた。


(どちらにせよ、私は正直に答えるしか無いよね? でも、もし、本当にエリスが……。いや、そんなはずはない。他でもない、私には分かる!)


「――私の自慢の妹だよ。双子の、ね」


 リタは、真っすぐに観測者を見据えながら、自分と妹に言い聞かせるようにゆっくりとそう発した。言葉は分からなくとも、きっとエリスには伝わると信じて。


 リタの言葉に、観測者は大きく目を見開くと、そのまま硬直して動かなくなった。少なくとも、彼から攻撃的な意志を感じることはない。


 観測者の手の平からは、見ていて不安になるほどの夥しい量の血液が流れ出している。リタは魔力の刃を消し去ると、エリスの方に視線を向けた。エリスは無表情には見えるが、その瞳は微かに逡巡の色をたたえていた。


「双子……? いや、まさか……。そんなことが、有り得るのか? だからこんなに歪な因果の糸が――――?」


 観測者は何かを呟きながら、頭を抱えている。視点すら定まらず、意味不明な言葉を呟き続ける様子に、リタはこれは長くなりそうだと溜息をつく。様子を見る限り、彼に何かが見えていることは明白だが今すぐに状況に動きが出るとは考えにくい。


 リタは、一度構えを解きエリスに駆け寄った。エリスもそんなリタに頷きを返すと、両手に展開していたシグマドライブを送還する。


「エリス、大丈夫だからね」


 リタはそう言ってエリスの二の腕を握る。少しだけ、その体温が低いようにも感じたリタは、そっと指先で撫でるように手の平を下げ、その手を優しく握った。


 隣に転移してきたキリカも、心配そうな視線をエリスに向けている。そんなキリカと、アイコンタクトを交わしたリタは、手短にお互いの状況を報告し合った。




「えっと……。生身で転移して来たってマジ?」


 エリスとキリカから話を聞いたリタは、率直な思いを吐き出す。エリスとキリカは、その言葉に若干気まずそうに頷いた。虚数領域へ生身で転移するなど、正気の沙汰ではない。


 ここでは、何が起きてもおかしくないのだ。そもそも、彼女たちはこの空間のことをあまり理解していないのではないだろうか。だが、少なくともリスクを予想できない程愚かではないことは確かであった。


 キリカは魔眼を使用し、エリスもオメガ・アルス・マグナを起動している。

 この領域への転移は、それだけの困難を伴うことであり、自分がそれだけ心配を掛けたということでもある。猛省しなければならない。


 どのようにして、この場所を特定し転移魔法を構築したのか。その点に興味が尽ることはない。戻ったら、詳しく話を聞かなければならない。魔法理論は数少ないリタの得意分野であり趣味のひとつでもあるのだ。


 そして、エリスがおずおずと何かを口に出そうとした、その瞬間であった。


「ククク……! アーッハッハッハ!! 分かった! 分かったぞ!!」


 いかにもアニメで噛ませ犬として出てくる悪役のような笑い声を上げた観測者。その様子に、ピクリと肩を震わせたキリカを見ながら、リタは少しだけ頬を綻ばせた。場違いだと分かっているが、やっぱりキリカは今日も可愛い。エリスもほんのりと口角を上げている。その様子に、リタは確かに自分の背が押されたのを感じた。


 観測者は、ひとしきり天を仰ぎながら大笑いをすると、涙目でリタの方を見る。その顔には、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。


「ああ、そうか、そうだったのか、オリジン。それにしても……、どんな確率だ!? ――いや、だからこそ特異概念点シンギュラリティか!」


「……待たせ過ぎ。いい加減さっきの発言の意味を聞かせて貰えるかな? ――――言っとくけど、つまんない話だったら殺すから」


 リタはそう言うと、大切な二人の少女を背に、観測者に向かってゆっくりと歩き始めた。

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