切れない鎖 2

「――――そして、彼女は遂に未来を観測するに至った――――“アルトリシア”はその特異領域――――計画を秘密裏に発足させ――――結果として、“マザー”は――――」


 目の前では、観測者が何かを話している。その声色から察するに、きっと苦々しい表情をしているに違いない。話の内容を聞かなければならないと思う。大切な話なのだろう。だが、リタの脳はこれ以上の情報を処理することを拒んでいたのだ。


 正直、訳が分からない。まさか前世の母親の話が出てくるなんて思ってもみなかった。更に、その正体が都市伝説の科学者集団の一員だったなどと、前世の自分が聞けば狂喜乱舞していたのではなかろうか。不謹慎極まりないが……。


 あり得ない。そう思った。そう思い込みたかった。

 では、目の前の人物の存在は? 彼はあまりにも知りすぎている。何より、直感が告げているのだ。これは、真実であると。


 実際に、リタが今になって思い返せば不審な点はいくつかあったのだ。祖父母の顔は知らないし、職業だって研究員としか聞いたことはない。大規模企業体に勤めている訳でもないのに、あれほどの財を成していたこともそうだ。


 環境に甘えていたと言えるだろう。思考を放棄していたとも言えるかもしれない。


 脳裏に浮かぶのは、もう顔も思い出せない前世の父親と、微かに思い出せる優しい笑みを浮かべた前世の母親のこと。本当に、そうだとすれば……。父親は、知っていたのだろうか。ふと、そんなことを考えた。


 もうぼやけたようにしか思い出せない、実家で過ごした日々の事。それでも、一度思い出してしまえば、忘れかけていた感情が沸き上がる。


 ああ、もしかして。あの日々さえも――――。


 全部、嘘だったんだろうか。

 愛だと感じた何かも、教えてくれたお菓子のレシピも、あの笑顔も。


 そう考えると、私は……。本当に、私だったんだろうか。

 もしかしたら、自分も目の前の男と同じで――――。


 視界がぐらついた気がした。


「……くだらない!」


 揺れる視界の中、我に返ったリタは足に痛みを感じる程強く、地を踏みしめた。


 ……だから、どうだって言うのだ。

 世界の救済? 自分のクローン? 大いに結構。流石は自分の母だと誇ってやろうじゃないか。


 例え自分が、何者であろうと。

 例え両親が、何を隠していようと。


 私の魂に宿ったこの想いだけは、間違いなく私自身のものだ。

 だから、自分のルーツだとか、その程度の事で膝を折ることなど有り得ない。


 そして、顔を上げたリタの両目に強い意志の光が戻る。そんなリタの声に顔を顰めながらも、観測者は微かに口元を緩めた。


「――――少なくとも、お前は近江慎太郎だったよ。……羨ましいことにな」


 彼が浮かべた不思議な表情の意味をリタは知らなかった。恐らく、一生知ることは無いのだろう。けれど確かに、リタはその言葉に救われた気がしたのだ。だからせめてと、腰に手を当てたリタは不敵な笑みで返した。


「今更だけど、今はリタ・アステライトっていうんだ。知ってるかもしんないけどさ」


「興味ないな」


「あっそ」


 リタは大きく息を叩くと、自らの頬を叩く。乾いた音は、やけに大きく響いた気がした。観測者は、呆れた顔でこちらを見ると、先ほどの話の続きを話そうとする。だが、これ以上訳の分からない話をされても、自分の頭では処理しきれない。リタは、慌てて手で制した。


「いや、その……。言っとくけど、私はこの身体に引っ張られてるだけで、もう数年もすれば聡明な淑女になるのは間違いないんだ。だから、うん。決して、決して、理解が及ばないという意味では無いんだけどさ……。今は、シンプルに、短く、話してくれないかな?」


 リタの言葉に、観測者はわざとらしい嘲笑を浮かべた。リタはとりあえず数発殴って、その顔から強制的に笑みを消し去ると、さっさと話せと促す。そして観測者は、掠れた声でもう一度話し始めるのであった。




 それから暫くの間、リタはただ静かに話に耳を傾けていた。言葉を発することも出来なかったと言えるだろう。自分の感情に整理をつけることが出来なかったのだ。


 前世の母親である近江綾は、恐らく人類で初めて自らの意志で未来を観測することに成功した人物であった。そして同時に、その過程において異相粒子の反射波より偶然にも異世界アルトヘイヴンを発見した人物でもある。


 エミュレイアは元より、未来を観測することによって、より良い可能性だけを選び取り、滅びの道を辿っていた地球を救うという目的で結成されたという。だが、アルトヘイヴンの存在は彼らにもう一つの可能性を与えることになった。それから徐々に、彼らの歯車は狂っていくことになる。


 誰かが異変に気付いた時には遅かった。


 それは、アルトヘイヴンの発見に研究所が沸いてから数週間後のことであった。何の前触れもなく、行方不明者が出たのだ。特異領域観測装置に残されていたのは、接続デバイスと次席科学者の衣服のみ。コードネーム“アルトリシア”、彼女はその存在を忽然と消していた。


 この事件に研究所は一時騒然となるも、元より公に存在している組織ではない。内部での調査には限界があり、誰しもが疑問を抱きつつも、月日がそれを鎮静化させていく。目の前にある、世紀の発見の連続に目がくらんでいたとも言えるだろう。この時点では、誰一人として知らなかったのだ。アルトリシアの計画を。


 それから数か月後。近江綾は、観測した未来が大きく変わったことによって、アルトリシアの行く先を知ることになった。アルトリシアが、何をどうやったのかは分からない。分かるのは、その時観測した未来が、最愛の息子の無惨な最期だったということだけだ。


 元来、綾が研究に明け暮れたのも、ひとえに息子に少しでも幸せな未来を贈りたいという一心からである。計画は、順調なはずだった。少しずつでも、事態は好転していくはずだった。だが、アルトリシアによって変えられてしまったのだ。余りにも耐えがたい結末へと。


 その光景を繰り返し観測するうちに、彼女もまた少しずつ壊れていったのかもしれない。


 自分と同じ力、もしかしたら自分よりも強い因果干渉力を持つであろう息子のクローンを複数生産し、並行して幾億の可能性を観測させれば――――。だが、そんなことが許されるのか?


 綾は、何度も悩んだ末、その決断を下した。


 家では息子に笑顔を向け、研究所では数多の息子と同じ顔をした実験道具に向き合う。実験道具たちは次々に壊れ、力を失っていく。綾は、周囲には廃棄と言いつつ、記憶消去と見た目の変更を施すと、役目を終えた彼らを秘密裏に解放していった。その行為自体、誰にとっても何の慰めにもならないことは知っていたが、そうせずにはいられなかったのだ。


 そうした行為さえ知らない周囲から見れば、綾の実験は正に狂人の所業であったと言えるだろう。日に日にやつれていく綾と、部屋中の壁に書きなぐられた計算式。次々に壊れていくクローンたち。その異様な光景に、多くの人間が研究所を去っていった。彼女は、飽きるほど、罵倒の言葉を浴び続けた。


 だが、最早綾に立ち止まるという選択肢は残されていなかったのだ。回数が足りなければ増やすだけだ。何度も、何度も、何度も、気が遠くなるほどに繰り返していく。正しい選択肢を選び続けた果てに、必ず唯一解はあるのだと信じて。


 多くの可能性を観測するほどに、増えていく犠牲。

 観測したのは、幾億もの並行存在の息子と異世界からの訪問者。彼らもまた、自らの運命を悟り藻掻き苦しんでいた。


 もしかしたら彼らは、自分たちが観測したからこそ生まれてしまったのだろうか。

 だが、同時に生じたのは、全く新たな可能性。


 いつしか、そんな生活を続けるうちに、遂に彼女は自らの死を観測するに至った。ああ、遂に来たかと、罪深き自分には似合いの結末だと、そう思った。だが、簡単にそれを受け入れられるほど、綾は真っ当な生き方をしてこなかった。


 もう自分には贖いの道を歩む時間すら残っていない。

 まだ息子は、成人すら迎えていないというのに。


 それでも、彼女はどうしようもなく、近江慎太郎の母であった。


 綾は、最後に残っていた唯一のクローンである観測者を、その役目から解放すると、崩壊しつつあったエミュレイアの研究所に火を放つ。彼女は既に、唯一解へ至る入口に辿り着いていたのだ。


 その先は、本人次第だが……。

 綾は確信していた。息子なら大丈夫だと。彼が、自分の満足できる終わりを迎えられればそれでいい。


 その為に、例え自分という存在が、無限の時間に囚われることになろうとも。


 まずは、彼女にコンタクトを取り、この世界に導かなくては。

 近江慎太郎の永い旅路を、共に往く者を――――。


 そして綾は、自らをそこへ至る最後の一ピースにすべく、燃え盛る炎の中、脳髄を観測装置に直結し生命活動を終えた。




「――――これで少しは、分かったか? オリジン。未だに彼女の意識は、世界と因果を廻り続けていると、俺は考えている」


 正直、話の半分も理解できていないだろう。それでも、リタにはひとつだけ分かることがあった。


 確かに、自分は愛されていた、と。

 いや、今でも愛されているからこそ、ここに生きているのだと。


 今更、観測者の語った内容が真実かどうかなど、どうでも良かった。前世の母親が行ってきたことは、誰が見ても過ちであったのかもしれない。素直に喜ぶことなど、出来るはずもない。正直に言えば、吐き気を我慢するのに必死だった。


 それが、子に対する親の心なのだろうか。親心なんて、未だに分かりそうにない。

 でも、譲れないもの、世界より大切なものを知った気持ちは分かる。


 キリカの為に全てを投げ打つと、全ての敵を薙ぎ払うと誓ったのだ。

 例え、世界だろうと、女神だろうと弑すると決めたのだから。


(そういえば、あの日イヴが言ってた言葉には違和感があったんだよね。イヴ自身は、キリカじゃないキリカの残滓だって名乗った。疑似人格だからかな? でもあの時、私じゃない私と、そしてもう一人……、私を誰よりも大切に思う人から想いを託されたって確かに言ってたんだ。それって、まさか……?)


 リタの頭の中でリフレインしていたのは、あの日は理解が及ばなかった台詞。


「……正直、まだ気持ちの整理は出来そうにないよ。でも、一応言ってることは、分かった……のかな? 前世では出来なかった、親孝行のチャンスに恵まれたってことだけはさ。そうでしょ?」


 リタの言葉に、少しだけ敵意の和らいだ表情で観測者は頷いた。


「ああ、そうだ。少しはやる気になったか? 無論、救った果てで、ただ幸福を甘受させる気などは無いがな。彼女を裁くことを出来る人間など、本当の意味では居ない。だが、“マザー”は償うべきだと俺は思う。だから、勝手だが滅びの道を辿っている地球の救済を以て、彼女の贖罪としたい」


「勝手に決めて大丈夫? それに、今はもう――」


「彼女は、必ず受け入れるさ。もう一つの疑問の方も安心しろ、彼女の脳髄は保管している。容れ物身体は俺みたいに、どうにでもなるしな? お前は目的を果たす先で、アルトヘイヴンの滅亡を回避する。全てが終わった暁には、二つの世界を救える可能性のある取引だ。余りにも馬鹿馬鹿しくて、最高に面白そうだと思わないか?」


「君の目的はあくまで、優先度は二番目、だけどね。でも、キリカを幸せにするに、二つの世界を救う、か……。アニメだとしても出来過ぎてるシナリオだけど。いいよ、やってやろうじゃん」


 リタは笑みを浮かべつつ、そう答えた。だが、ここである疑問が沸き上がる。ここまでの話で、観測者が綾に執着する理由を見出せていないのだ。


 クローンとはいえ、母親のように感じているのだろうか? ということは、ただのマザコン野郎? いや、まさか――――。


 リタは慌てて口を開く。


「えっと、一応聞いておきたいんだけど、君の理由は? 流石に、私としては歪んだ愛とかだったらかなーり複雑なんですけど……」


 リタのジト目に、大きなため息を吐いた観測者はポケットから煙草を取り出して咥えた。リタは、炎熱魔法でそれを消し炭に変えると、観測者は煤で汚れた顔を拭いながら口を開く。


「俺自身、“マザー”には勿論恨みもあるが、感謝もある。自分でも、これが何の感情なのか、よく分からないんだがな。だから俺は、もう一度彼女に会って、それを確かめたい。それを知って初めて、俺は何かから解放される気がするんだよ。――そして、“マザー”によって生み出された俺が、おこがましくも彼女に贖罪のチャンスを与えてやる。そこまで至って、俺はようやく彼女と対等な、“人”になれる気がするんだ。それに、だな……」


 ゆっくりと、言葉を選び、噛みしめるように話す観測者は一度言葉を切った。どこか恥ずかし気な表情を浮かべている気もする。こんな時で無ければ、気色悪い顔をするなと茶化してやりたいところではあるが、どうにもそんな気分ではない。リタは静かに、その言葉の続きを待った。


「――自分がどんな目的で生み出されたにせよ、だ。生きている、生かされているなら、せめてじゃないか。お前も、そう思わないか?」


「君のことはいけ好かない奴だと思うけど……。全くその通りだと、私も思ってるよ。ずっとずっと、昔から、ね」


 リタは、前世の自分と似たようなことを考えている観測者に、渇いた笑いを漏らす。


「それから、“マザー”からの最期の伝言を預かっている。もしいつか、お前に会うことがあれば伝えて欲しいって言われてな……」


 そう言いながら、観測者は頬を掻いた。綾からは、伝えなくても構わないと言われているし、好きに生きろとも言われている。だが、あの時の彼女の表情が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。観測者は、軽く息を吐くと口を開く。


「『自ら感じ、答えを得よ。決断はその意志に託す』ってよ」


「えっと……。え? そんだけ……? マ、マザーは他に何か言って無かったの?」


 何故だか分からないが、リタは綾の事を彼女が生きていた当時の呼び方で呼ぶことに、羞恥と微かな抵抗を覚えた。今は、リィナが母だと感じているからかもしれない。


 観測者は、リタの言葉に「口調は違うが、伝言はこれだけだ」と首を横に振った。リタは思わず天を仰ぐ。


(意味は分かるけど、抽象的過ぎるよ! ――うん? あれは……、もしかして?)


 見上げた先で、リタは小さな光を見つけた気がして目を細めた。真っ暗な中で、何かが星のように輝いている。それにつられるように上を見上げた観測者は、眉間に皺を寄せた。光は徐々に大きくなっていき、黒一色だった亜空間を塗り潰さんばかりの光量へと至った。



 静寂が空間を支配していた。リタはその正体に確信を持っていたが、観測者はきっと驚いているに違いない。そして、真っ白に染まった景色の中で聞こえたのは、地に降り立ったであろう二人分の足音。光が消えていくと同時に露わになるのは、輝きを纏うの少女と、後ろに控える銀髪の少女の姿。


「誰だったかしら? 運命共同体だなんて言ってたのは……。私たちを除け者にしておいて、何を企んでるのか聞かせて貰える?」


 そう言いながら、リタに向かってレーヴァテインを構えるキリカの瞳は魔力で光り輝いている。その後ろには、観測者の喉元にシグマドライブを突き付けるエリスの姿もあった。


 キリカは笑みを浮かべている。だが、直視できそうにない。目を逸らしたリタの視線の先には、エリスに驚愕の表情を向けながら口を開閉する観測者の姿が映った。


「あ、あはは……。その剣、復活するんだ――じゃなかった! 別に私も好きで呼び出された訳じゃないし、私としても勿論キリカと一緒に話を――――」


 凄まじいプレッシャーを放つキリカを前に、後ずさりをしながら言い訳を試みるリタであったが、その動きは凍り付いた。


 エリスを見据える観測者の口から漏れ出た声を、両耳が拾ったからだ。


「アルト、リシア――――?」

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